狼公女ベアトリクスの契約結婚
海野ぴゅう
第1話 告白
大陸の西の端から飛び出した山深い半島の先、三方を海に囲まれたカルマル城は外敵からスタツホルメン公国を守る堅牢な水城だ。
青銅の屋根が特徴的な石造りの城は優美より機能性を優先しており、この公国に住む者達の性格を象徴していた。彼らが尊ぶのは
『質実剛健』
である。
多くを望まず手元にあるもので足るのが幸せだと生まれた時より言い聞かされて育つ。身分に問わずだ。
その簡素ながらも重く風格を感じさせる城塞では17歳になる公女の誕生パーティがにぎやかに開催されていた。普段は質素だが晴れの日に盛大に楽しむ。
テーブルには所狭しと海山の幸が並べられ、公国中から集まった領主が我先にとヤール公主一族にお祝いを述べた。
スタツホルメン公国の良心と言われるヤール家は古い領主の家系で、幾度となく公主に選ばれている名門貴族だ。その一族の娘ベアトリクスは『狼公女』と呼ばれ、スタツホルメン公国民にこよなく愛されていた。
ソファーや床で寝ているものが大半となり、長時間の宴がおひらきになろうかという深夜、ふぅわりと足どり軽い銀髪の女性と、身長が2メートルはあろうかという朱色の髪の男性が、パーティ会場から抜け出して三方の海が見渡せる城壁の回廊にやってきた。
妖精が熊を無理矢理に外に引っ張り出す様子は見もので、誰か見ていたらきっと笑い転げていただろう。
男性は海を鋭く見つめ、女性はその男性をうっとり見つめた。まだ春先で肌寒いのと緊張のせいで、指先が震えるのを感じながら彼女は口を開いた。
「お、伯父様…わたくし今日で17歳に…ですので、あ、あのっ…」
腰まで届くふわふわの銀髪に淡い色の花々を編み込んだベアトリクス・ヤールは、まさに早春の妖精だ。
そばかすだらけの白い頬を赤く染め、
「わたくしと結婚して下さいませっ!」
膝をつきプロポーズしたベアトリクス公女は、色素の薄い青い目を期待でいっぱいにした。
しかしそんな公女を目の前にして、ホルムイェルは幾百の敵を前にした時よりも困惑した。公国の英雄と言われる戦士も、可愛い姪には弱かった。
ホルムイェルは長さ2メートルの
彼の一人目の妻は公主を出したこともある有力貴族の出身で、上品で頭が切れる女性であった。しかし身体が弱く、息子を産んで亡くなった。
二人目の妻は勇猛で恐れられる公国北部のフェンニー族出身の戦士だった。こちらは大層丈夫であったが、公国内の反乱に巻き込まれて亡くなった。
反乱で父親をも亡くした失意の彼は、跡目を弟であるベアトリクスの父親に譲った。
その後は妻も
ちなみに伯父の二人目の妻はベアトリクスの母親の妹だ。ベアトリクスの母親は妹より戦士として力では劣っていたが、感覚が鋭く剣技に長けていた。その血をベアトリクスは色濃くひいており、15歳でウルフバートという短剣を使いこなして海賊を蹴散らしたことから『狼公女』と呼ばれている。
(伯父様をモノにする為に強くて頭のいい女性になるのよっ!)
日々の研鑽の結果、彼女は有数の剣の使い手になった上、学業でも優秀な成績を修めている。
そんな猪突猛進な姪から
もちろんベアトリクスもそんな伯父にキュンキュンが止まらない一人だ。
(嫌だわ、結婚したらこんな可愛らしいところを他の女性には見せないようにして頂かないとっ!彼のキュートは私だけのものですっ!!)
ホルムイェルは姪からの真剣な告白に冗談で返す気にはなれず、いつも浮かべているあいまいな笑みを引っ込めて、彼女を立たせた。
「ベア…
結婚後の妄想にふけっていた彼女の表情は一瞬で消え、体温は一気に急下降した。
「…んな…っ」
(わたくしの今までの苦労は…?わたくしの人生は伯父様の妻になる為に…)
ベアトリクスは呆然自失で声も涙も出ず、身体の平衡もとれなくなった。しかし伯父の前で無様に倒れるのは避けたいとなんとか踏ん張った。彼女を支える伯父の大きな手が腰にあることにさえ気が付かなかった。普段なら舞いあがるところなのに。
「…大丈夫か?」
目が覚めると朝で、ベッドのそばには物憂げな茶色い目をした父親、ビルイェル・ヤール公主が座っていた。
情けないことにどこかで倒れたとベアトリクスは察し、顔を真っ赤にして頷いた。
(たくさんいた酔っ払いの一人だと思われていると願いたいわ…
ベアトリクスの父は一人娘の銀色の髪を一房手にとり愛し気に口づけた。
彼の妻も兄ホルムイェルの妻や父親とともに反乱の際亡くなっていた。兄から問答無用で公主の地位を譲られ、苦労しながらも大切に一人娘を育ててきたのだ。
そんな娘が自分の偉大な兄を慕っているのを苦々しく思っていたが、とうとうふられたと伝え聞いた。兄が娘の気持ちを受け入れるのは絶対に嫌だが、断られるのも
「私の自慢の娘、よく聞くのだ。昨日デーン王国より正式に書簡が届いた。皇太子との婚姻だ。賢いおまえだ、断れば両国間に戦争が起こるかもしれん。100年前のようにたくさんの死体と墓を作り、待つ者の涙は故郷の土を湿らせる。殺し合いが嫌になるまで戦争は続くだろう。だからこそ国を治める者はどのような犠牲を払っても戦争を起こさないよう努力しなくてはならない。貴族である私たちはスタツホルメン公国の上にただ立っているわけにはいかぬのだ」
「わかりました、お父様。わたくし参ります」
ベアトリクスは笑顔を作り、心配そうに優しい茶色い目を自分に向ける父親に即答した。
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