第4話 黒の王子

「ベアトリクス、愛しい我が娘!待ちかねたぞ」


「クリストファお義父様、お久しぶりでございます」


 ベアトリクスがすぐにクリストファ王に抱き着いたので衛兵が剣を手にしたが、王は手で彼らを制してベアトリクスをぎゅうと抱きしめた。長い抱擁は心からのもので、それはベアトリクスや両国の兵士たちに伝わっていった。


 二人が抱き合っていると、背のひょろりとしたきらびやかなお仕着せの男性が側にきて慇懃に挨拶した。筋張った身体は痩せており、肌はよく焼けている。


「ベアトリクス様、ようこそデーン王国にいらっしゃいました。私はこちらでハリス教の司教をさせて頂いておりますヒウェルと申します。お見知りおき下さい」


(まあ!紹介もされずに自分から名乗るなんて…司教は陛下よりも上、ってことかしら…?しかし無表情な方ですこと)


 ちらりと見るとクリストファ王がなんとも思っていないようなのでベアトリクスはヒウェルに一通りの挨拶をした。そしてベアトリクスはヒウィルがスタツホルメン公国からきた公女をどう思っているのか知りたくて質問した。


「わたくしたちはヒウェル様から見たら異教徒でございます。つまりは『敵』となりますのでしょうか?それでしたら護衛の者達を国に帰らせなければなりません。彼らを危険にさらすわけにはいきませんもの」と王とヒウェルだけに聞こえる小声で聞いた。


 王は面白げな表情をしてヒウェル司教の反応をみているが、質問を受けた当の本人は困惑している。


(司教様のお手並み拝見、ですわ。陛下もハリス教徒ですが、芯から信じてるってわけではないようですし)


「安心して頂いて大丈夫でございます、ベアトリクス様。ハリス教の聖典には『われわれのである』とございますから」とヒウェル司教はベアトリクスに苦笑いをにじませながら返答した。


「あら、『われわれの』かと勘違いしておりましたわ。勉強不足で申し訳ございません。司教様のお墨付きも頂きましたしこれで安心して彼らを滞在させられます」


 ベアトリクスがそう愁傷に言うと、


「これは辛辣な公女様で…確かに一部そういったものがおりますことを否定致しませんが、ハリス教のために命を捨てるも厭わない純粋な者が教会に集まるのでしょう」とヒウィル司教は眉間に皺を寄せて答えた。


「信じるもののために自分の命を捨てる…そのような覚悟を持った方はきっと他人の命も簡単に奪いそうですわね、ふふふ」


 いつも聖典を至上のものとあがめる司教が困っている。王はベアトリクスに呆れながらも口角が上がるのを止められなかった。


(ふむ、やはり公女を王子の御守りに選んだのは間違っておらんな)




 王都に着いて3日後、ベアトリクスは城であてがわれた広い広い自室で結婚式の準備をさせられていた。

 シンプルで上品なベージュのドレスは公国にはない優雅なデザインで、身なりにこだわらないベアトリクスでも芯からときめく程美しい。きっちり編み込んだ銀髪に同色のレースのヴェールをふんわりセットする。レースが髪と一体化して、古の神話の女神のようである。


 相手のヴァルデマー王子は花嫁姿を見に来もしない。それどころかデーンに来てから二人は一度も会っていなかった。


 公女の部屋と同じフロアには王子の部屋もあるが、吹き抜けを挟んでいるのでかなり離れている。


(仮とはいえ結婚相手が気にならないのかしら?)


 ベアトリクスは不思議に思う。


「なぜ結婚相手に会えないのかしら?ヒウェル司教様が紹介して下さった兄王子とは会えたのに」


 ベアトリクスは準備を終えた侍女が下がるのと交代で部屋に入ってきたエリクに尋ねた。彼はそれに答えずに、彼女のお守りウルフバート短剣を手に彼女の頭のてっぺんから足の指先まで眺めて甘いため息をついた。


(はあ、ベアはやはり美しい…でもナイフを操って戦うベアはゾッとするくらい美しいんだよな)


 エリクは美麗なドレスの内の太ももに固定する足用ナイフホルダーを彼女に渡し、ウルフバートを机にそっと置いた。この短剣は城一つの価値がある。

 ベアトリクスから契約結婚だと聞き、自分にもまだチャンスがあると天にも昇る気持ちになった。

 だがこのように美しいベアトリクスを見た王子が心を奪われる可能性もある。相手は大国の王子だ、勝ち目はない。

 エリクは大きく深呼吸をし、心をなだめ落ち着けた。


(今のところ二人とも全く気がなさそうなのが救いだな)


「殿下はおまえみたいな乱暴者と偽装でも結婚したくないんじゃねーか?」


 彼は希望的観測をつっけんどんに言い放ってから、もしや彼女が傷ついたかと心配になった。なんといっても17歳になったばかりの女性なのだ。


「それなら却っていいわ」


 あっけらかんとそう言うベアトリクスに安心したエリクは、ヴァルデマー王子を思い出した。なぜか公女ではなく随行した兵士達にはお目通りがあったのだ。


 真っ黒の髪に深い緑色の瞳、全身黒一色で統一した服。精悍で厳しい顔つきだが、お坊ちゃん感が完全には抜け切れていない。身体は細いが鍛えているようだ。

 来て三日だが、耳に入ってくる噂では王子は女性嫌いで『黒王子』や『氷の王子』と呼ばれているらしい。


(黒王子はベア女性に興味なさそうに見えたな。性格も水と油だ。っていうか、ベアがこの国の基準で女性に入るのかどうか…)



「陛下が居間においでになりました」とノックして入って来た侍女が告げた。


「では行って参りますね、エリク」


 ベアトリクスはドレスの裾を持ち上げながら小走りで2部屋通り過ぎて王が待つ応接間に続く扉の前に着いた。身なりを整え扉をノックしようとしたら、中から言い争う声が聞こえてくる。


(あら…陛下…と殿下かしら?)


 彼女は淑女にあるまじく聞き耳を立てた。通常運転である。


「相手は劣り腹の側女から産まれたと聞いております。公女とはいえなぜ…」


「そのようなことは言わずともよい。父がお前の為に心を尽くして手に入れた刀なのだ、大事にせよ」


「しかし、母親がトナカイを追う遊牧民であるフェンニー族出身とはあまりにも蛮族過ぎます。父上には申し訳ないですが我慢致しかねます。どうせ正妃にもできないような者を…」


 二人は明らかにベアトリクスの出自でもめていた。


(今さら?!まさか王子ったら知らなかったの…?それでは偽装結婚も知らないってことよね…ちょっと可哀そうだわ。でもお互い様ですし3年は我慢してもらいましょう)


 ベアトリクスは二人が言い争う部屋にノックをして笑顔でひらりと入っていった。その様はまさしく白い妖精だ。


「お義父様、準備が出来ましたわ」


「な、なんと化けたものだな、我が美しい娘。立派なご婦人らしく見える」


「まあ、なんて失礼なお義父様だこと!」


 ベアトリクスはぷくりと頬を膨らませて王の背中を叩いた。その力が強過ぎて王の顔がゆがんだが、彼女はお構いなしで笑っている。

 仲がいいと噂には聞いていたが、父と花嫁になる公女が砕けて話しているのを見て黒王子は深い緑の瞳を大きく見張った。何よりも彼女があまりに美しく、いつか見たことがある少女だったことに驚いていた。

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