第24話 王の散歩道
海賊の船が船の横腹に衝突するという直前、ヤール家の武装船は軽快に旋回して海賊船の横腹に船頭をぶつけた。
ずしんと刺さるような大きな衝撃のあと、グイグイと押された海賊船は真っ二つに割れ、海賊たちは我先にと狼公女の乗る船によじ登って来た。
「ふふふ、ヤールー家の船にようこそですわ。死にたくなかったら降参しなさい。前から申し上げている通り、我が国の兵士として大切にこき使ってあげます」
海賊たちの前に腕組みして立ちはだかったのは朱色の鎧を装備したベアトリクスだ。船の性能に満足して笑みを浮かべている。
ベアトリクスが口上を述べると、図体が誰よりもでかいでっぷり腹をした赤髭の男が最後列から躍り出て真っ赤な顔で公女に文句を言い放った。
「狼公女っ?!出戻ってきたのか!くそっ、若い男を見せびらかして俺を騙しやがったな!!卑怯者めっ」
「あら、まだ出戻っていませんわ。今日は新しい船の試運転がてら穴を開けさせてもらいました。しかしあれほどあっけなく沈没するなんてっ!申し訳ないですが笑っちゃいましたわ。さぁ、さっさと殺されるか降伏するかお選びなさい。わたくしたちは先を急いでいるのです」
ベアトリクスと兵士達は同時にガチャッと両手剣を構えて剣先をシャッと小気味よくこすり合わせた。統率が取れた動きと音は劇的で美しく、王子はゾクリとした。
「誰が出戻り女に降伏などするものか!野郎ども、いけっ」
バルバロッサがそう叫ぶと、戦うのかと思いきや海賊どもは次々と海に身を躍らせる。海面に浮かんだ男たちは自分たちの船の残骸につかまって泳ぎだした。
「…では目的地にまいりましょう」
彼女がそう言うと、皆がすぐに剣と武具をしまって配置に戻った。まるで何も起こらなかったかのようだ。
「よろしいのですか、海賊を放っておいて?」
クローディアスが聞くと、ベアトリクスは、
「いいのです、彼らにも家族があり生活があります。彼らが本業の海上輸送に力を入れてくれると助かるのですが。まあ、いずれはわたくしたち海軍を増強する際に吸収しますわ。彼らは海図が読める優秀な乗組員ですから」
と、何事もなかったかのように答えた。
遠くを見通す狼公女を、ヴァルデマーは眩しそうに見た。
(これほどの統率力…明らかに俺より格上だ。俺は後二年で彼女に夫として認められる男になれるのか…?いや、なるしかない)
決意に燃えるヴァルデマーだったが、当のベアトリクスはこれからの世界の成り行きについて考えを巡らせていた。
これまでの大陸での戦いは優秀な騎馬隊を持つ東の国が有利だった。ルーシも実質的には東方の騎馬民族に貢物を欠かさない属国である。
しかしキタイで作られたという爆発する粉が世界情勢を変えそうであった。現にルーシが手に入れようとしているので、表舞台にでれば各国が続々と興味を持つだろう。そうなると海での戦いもこのように体当たりや船に乗り込んでの白兵戦ではなくなる。戦い方が変わるのだ。
そしてもう一つがハリス教だ。
貧しい西の世界でハリス教は現世どころか来世の利益まで約束して爆発的に貧しい平民に支持されてきたが、今後世界でどのように根深く巣を作るのか…教団本部がどのような戦略でいるのか。
ハリス教が自分達の国を作るとベアトリクスは確信している。組織・利権とはそういうものだ。
スタツホルメン公国が大国化を目指すならハリス教を国教にするのも手だが、ハリス教会は国外に大金を送る集金マシーンでもある。民と国益から養分を吸い取る寄生虫はどんどんと肥え太りとどまることがないであろう。出来れば教義のみ受け入れ国の団結を図り、お金は外に持ちだしたくないのがベアトリクスの本音だ。
大きく国境が変わりそうな世界で公国がこれから選ぶ道、しなければいけないこと、してはいけないこと。
(…とりあえず
公国の未来の為にわずかな読み間違えは許されない。
「さあ、ここからは馬で参りましょう。防寒着を羽織ってくださいませ、山はここより冷えます」
カルマル城があるエーランド島からずっと海を北上し、テレという漁村で一泊した。村とはいえ交易で栄えているのでちょっとした町となっており、王子が泊まれるような旅籠もある。
目的地はテレから馬で5時間程の『王の散歩道』と呼ばれる雄大な景勝地だ。その地を歩くと誰もが王のような雄大な気持ちになる為そう名付けられた。
岩山に囲まれたすり鉢状の平野がトンネルのようにどこまでも続き、足元には低木や地被類がびっしりと生えている。
土地には生命の気配は小さく、人間が住むのを拒絶しているかのようだ。清水が至る所に湧き出て流れを作っているが、樹木はひょろりとしており、妖精がいそうな雰囲気がある。
ここでは人間はよそ者で少しの間いさせてもらっている、という気持ちになる。
冬以外に遠乗りを楽しむ場所となっている。
「運が良ければアレが見られますわね…」
呟いてベアトリクスはふと気が付いた。ここに最後に来たのは母と父とであった。王の散歩道を通り抜けて国境近くまで北上した場所にあるフェンニー族の集落に向かい、家族3人で馬を走らせたのだ。
(そうですわね…他にも景勝地はたくさんありますのに、ここに殿下を連れてきたのは…)
身分が低い自分が王子に望まれようなどおこがましい事を思わない。しかし、自分を理解して欲しいという欲求があったのだ。
(マヌケです!殿下にこんな遠い場所に来させてしまうなんて、愚かな…)
すぐ前でクローディアスとエリクに挟まれたヴァルデマーの横顔を盗み見た。いつもと同じように無表情だ。
(…とりあえず不愉快ではないようですわね。まあ、あの景色を見て頂けば満足かと思うのですが。どうも殿下のことになると冷静な判断が出来なくていけません)
思わず大きな安堵のため息をつくベアトリクスを後ろに感じ、ヴァルデマーは自分のわがままに公女が疲れているのではないか、と不安になってきた。
そんなヴァルデマーを見てお人よしのエリクはなんとかしなければと焦ってきた。なぜか後ろのベアトリクスも元気がない。
「あ、殿下!湖です、湖が見えてきました!」
救われたとばかりにエリクは嬉しそうに声を上げた。
「あちらでお昼にしましょう。用意を致しますので、馬から降りて散策でもなさって下さい」
清流があるので飲料水には困らない。スタツホルメン公国の自然の恵だ。
「…ベアトリクス様、殿下の案内をして頂けませんか?私が昼食の準備をさせていただきます」
ふいにクローディアスがランチの準備に取り掛かっている公女に声をかけた。それは哀願が十分にこもっていたが、彼女には通じなかった。
「クローディアス様こそせっかくの素晴らしい風景です、殿下とゆっくり散策なさっては」
ベアトリクスは不思議そうに首をかしげたが、クローディアスを気の毒に思ったエリクに無言で背中を押され、ヴァルデマーと二人で散歩することとなった。
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