第10話 プライド

「な、何事だあっ!?」


 熟睡中のベアトリクスを抱きかかえて城に戻ったクローディアスは、あわただしい城内に面食らい、側を走り去ろうとした兵士に尋ねた。


「はい、ベアトリクス様がお部屋におらず、殿下とスタツホルメン公国の兵士どもが大騒ぎしておりまして…申し訳ございませんが急いでおりますので失礼いたしますっ!」


 兵士は伝令の途中だったらしく、目の前で熟睡している彼女に気が付かずに慌てて去っていった。


「なっ…」


 クローディアスが城内をひっくりかえすような騒ぎに呆然としていると、ヴァルデマーが親友を見つけて側に駆け寄った。いつも冷静な顔が焦りで歪んでいる。


「クロード、どこに行っていたのだ!大変なことに…ん?」


 ヴァルデマーはクローディアスが居心地悪そうに腕の中に人を抱いていることに気が付いた。大きさからして女性のようである。


「…まさかこのように大事になっているとは知らず…すまんっ!」




「陛下にまで報告がいく直前だったのです!そもそも王太子妃としての自覚が足りませんっ!」


 ベアトリクスの部屋で目を吊り上げて怒るエリクのせいで、ヴァルデマーとクローディアスが言葉を失くして目線をさ迷わせている。物欲がない彼女の部屋には最低限のものしかないが、女性の部屋をじろじろと見るわけにもいかない。


「エリク殿、これは城外へランチに連れ出した私の責任…」とクローディアスが言いかけたのをエリクはぴしゃりとはねのけた。


「うちの公女にはこれくらい言わないとダメなのです!今日のところは私が説教致しますので、お許しいただけませんでしょうか」


 ベアトリクスはエリクが彼女を酷く叱るポーズを見せることでこの場をおさめようとしていることに気が付き、二人に頭を下げて謝った。どうせ3年しかいないのだから個人的な評判などどうでもいいとベアトリクスも割り切っている。


「デーン王国の良い季節に気が緩んでおりました。皆様に大変ご迷惑をおかけしてしまい反省しております」


 愁傷に謝るベアトリクスだが、公国ではいつも父親に怒られていたので申し訳なさそうに謝るのは得意だ。


「そ、そこまでベアトリクスが謝ることは…」とヴァルデマーが言うのをエリクが遮る。


「甘やかさないで下さい、図に乗ります!」


 エリクの勢いに押され、ヴァルデマーとクローディアスは彼女の殺風景な部屋からしおしおと出た。




「で…何があった?」


 うってかわって穏やかにエリクは尋ねた。理由もなしに彼女が誰にも告げずに城外に出るわけない。

 しかしヴァルデマーならまだしも部下のクローディアスに抱き抱えられていたのは、理由によっては我慢がならなかった。


「実は、エリクたちと別れた後に教会で僧達の話を盗み聞きしていたら、クローディアス様に見つかったの。彼は陛下からわたくしを密かに護衛するように言われているそうで…」


 そこまで聞いてエリクは顔色を変えた。プライドが酷く傷つけられたのだ。


「俺達では足りないとでも…」


「いえ、陛下はエリク達がどうこうというよりもただ心配しているのよ。で、僧達の話していた内容ですが…」


 ベアトリクスは教会でダグたちが話していたヴァルデマー殺害計画を打ち明けた。そしてクローディアスと共にヴァルデマー王子を守り、ついでに一網打尽にする算段を説明した。


「誰にも聞かれたくないから城の外に出ていたの。心配かけてごめんなさい」


 エリクはほっとしながらも、自分に一番に相談がなかったことがショックだった。


「どうして俺に言わなかったんだよ?」


「あら、だって三人で話をしていたのでしょう?殿下達にはなるべく普段通りでいて欲しいもの。もちろん陛下には今夜報告致しますけど」


「ふうむ…」


 確かにヴァルデマーに話すとベアトリクスに危険な目に合わせられないなどと面倒を言うだろう。それでは本来のここにいる目的が果たせなくなる。

 しかし、敵から王子を守るよりも敵を殲滅するほうが手っ取り早いと考えるのは頼もしい公女である。


「わかった。俺達も作戦に参加するぞ」


「実は、もうエリク達にしてもらうことは考えてありますの」


 二人は公女の計画を検討し始めた。




 難しい顔のヴァルデマーを前に、クローディアスはなんと言い訳しようか困っていた。計画は王子には秘密、つまりは何も知らないまま囮になってもらわねばならない。


「一緒にいて何を話していた?おまえがベアトリクスと仲がいいなんて知らなかったぞ」


 明らかに嫉妬している王子は屈辱に顔を歪めた。ベアトリクスとヴァルデマーは夫婦なのに昼食をともにしたことさえない。


「おいおい、何か勘違いしてるな。私は…」


 不意にベアトリクスの愛らしい寝顔とリンデンの花を思い出したクローディアスは赤くなった。


「…っ!クロード、おまえ俺がベアトリクスを気にかけているとわかって手を出そうとしてるのか?」


 ヴァルデマーの顔がみるみる険しくなり、眉間の皺が深くなった。


「いやいや、違う、手は出してない!」


「手は、だと?まさか…」


(親友の妻の上、皇太子妃だなんてしゃれにならない)


「ヴァル、落ち着け。私は陛下の命で護衛してただけだ」


「…それは確認してもいいのか?」


「もちろんだ。異教徒である彼女が陛下の一存で輿入れしたから、一部が猛反対しているのは知っているだろ?おまえだって最初は不満だったはず」


「うっ…」


 ヴァルデマーは結婚式前にベアトリクスに聞かせてしまった言葉を思い出した。


(劣り腹とは…なんと酷いことを言ってしまったのか。俺も彼女を追い出そうとしている者達と同じだと思われているのだろうな…)


「私はベアトリクス様を個人的に知らなかったから噂を聞いても何とも思わなかったが、今日少しお話しただけで素晴らしい女性だとわかった。ヴァル、私は応援するぞ」


 王子は親友からの言葉に心を強くすると共に、つまらないプライドを捨てて今夜彼女に謝ろうと決心した。そこを超えないと何も始まらないのだ。

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