第11話 葛藤

「ベアトリクス、話がある」


 ヴァルデマー王子の部屋をいつも通りの時刻に訪れた彼女は、いつも通りに挨拶をしてから廊下に一番近い場所にある椅子にいつも通りに座ろうとしていた。


 彼は緊張で固くなった声を彼女にかけ、居間のソファに座らせた。自分は彼女の斜め向かいに座る。


(正面だと何も言えなくなるが、斜めなら…)


 意を決して対峙したが、やはり言葉は出ない。眉間に深い皺を寄せた彼が怒っていると判断したベアトリクスは謝罪した。


「本日はご迷惑をお掛け致して申し訳ございませんでした。殿下のお怒りは当然で…」


 ヴァルデマーは泣きたかった。


(これも対等な結婚ではないと言った俺のせいだ)


「違っ…」


 焦って立ち上がった彼は、勢いで膝を机にぶつけて本当に床にうずくまった。そのまま死んでしまいたいくらい恥ずかしいヴァルデマーだ。


「…っつ」


「だ、大丈夫でございますか?人を…」


 立ち上がりかけたベアトリクスを慌てて止めた。


「ち、違うのだ!」


「何がでしょうか?他にもお叱りが…」


「違う!」


 思わず大声を出してしまったヴァルデマーは立ち上がり、恥ずかしくて横を向いた。 いかなるときも平常心でいなければならない。


「今日のことでそなたを怒る理由がない。ましてや他にもなんてあるわけない」


「しかし…」


 そう言うが明らかに怒っているヴァルデマーに何と言っていいのかベアトリクスはわからなかった。


「ではお話とは?」


 不思議そうに彼女が頭を横に傾けるとふわりと銀の糸のような髪が躍る。


(ああ、美しいな…しかし今は見とれている場合ではない!)


「そなたの生まれを侮辱した俺を許して欲しい」


 ベアトリクスは一瞬意味が分からずフリーズしたが、気を取り直した。


「殿下がわたくしなどに謝る必要がありません。実際身分が低い女性が母親ですと子供の能力が劣る確率が高くなるのは教育の結果なので当然です。ましてや国を背負う重いお立場。お考えは間違ってはおられません。わたくしは誰になんと言われようとも産んでくれた母を尊敬しておりますのでお気になさらないで下さいませ」


「そ、そうは言っても、俺たちの…」


 ヴァルデマーが弱った顔でもごもご言おうとすると、ベアトリクスがいつもより柔らかく言葉をかぶせた。


「殿下がわたくしなぞに心をかけてくださっただけで十分ですわ。ふふふ、いつもわたくしといる時はつまらなさそうになさっていますが、そのようなお顔もできるのですね」


 ベアトリクスは情けない顔で固まるヴァルデマーを前にふわりと微笑んだ。初めて自分に向けられた笑みは破壊力抜群だった。


「は…話が終わったから寝るっ!」


 彼は寝室に向かおうとしたが、彼女に引き留められた。


「お待ち下さいませ。わたくしからも大事なお話があります」


(な、なんだと言うのだ…まさかもう離縁?)


 聞かないわけにはいかず、彼はしぶしぶソファーに座り直した。


「なんだ?」


「万が一でございますが、殿下の寝所を多人数で襲撃されたら防ぎきれませぬ。その際は緊急脱出路からお逃げいただきたいのです」


「だ、脱出路…?聞いたことがないぞ」


「今までは必要がなかったのでしょう。現在城内に不穏な空気があるということです」


 ベアトリクスは7歳の時、母に押し込まれて通った寝室から城の裏の墓地までの暗くて長い隠し通路を思い出した。

 母は彼女とエリクを逃がし、部屋に残り反乱軍と戦って死んだ。忘れるわけにはいかない。最後に母は笑い顔を見せてくれたのだ。ベアトリクスは自分もそうありたいと常に思っている。


「こちらです」


 ベアトリクスはヴァルデマーを先導して寝室に入った。暖炉のえんとつから賊が侵入しないように柵をしてあるのだが、左側の柵を引っ掻ける黒光りする飾り金具を彼女は引っ張った。柵も取り外す。

 すると暖炉の中の煉瓦のひとつがスズと音を立てて手前にいざった。

 ベアトリクスは暖炉を覗く。


「低いので頭部に気をつけて下さいませ」


 飛び出た部分の煉瓦と思ったものは、焼き物の引手だった。ぐいっと力強く彼女がひっ張ると、通常の扉の半分ほどの大きさの煉瓦柄の扉が開き、奥には暗い路が見える。取手部分が飛び出していないとロックがかかる仕組みなっているようだ。


「こちらをしばらく進むとわたくしの部屋の暖炉に繋がっております。部屋の外には公国の兵士が常時2名見張りとして立っておりますので助けをお求め下さい」


 淡々と説明するベアトリクスにヴァルデマーは困惑して尋ねた。


「そなたはどうなるのだ?一緒に来れないのか?」


(俺にベアトリクスを捨てて逃げろと?そのようなこと出来るはずがない!)


「…はっきり申し上げますが、大勢であろうとわたくし一人なら味方が来るまで防ぎきれます。しかし殿下がいらっしゃると足手まといなのです。わたくしは殿下を守る為にこの国におりますので一切のお気使い無用です」


 扉のロックをかけるには構造上外側に一人残る必要があるのだと彼は理解した。


「…それは嫌だと言ったら?」


「陛下から直接命令して頂きます。殿下を守る事がひいては国の利となるのですからお願いいたします」


「…了解した。ベアトリクスの指示に従う」




 ベッドに入ったヴァルデマーは泣きたかった。


(俺が彼女を護ることが、かえって彼女を危機に陥れることになるとは…ベアトリクスに自分が犠牲になるから逃げろと言われて了解しなければならないのか?俺が強かったら…)


 ヴァルデマーは端正な顔を歪ませてベッドで身もだえした。

 眠れなかった。

 今夜はベアトリクスの本をめくる音も不規則だった。どうも集中できずに進んでは戻りを繰り返しているようだ。

 自分と同じくいつもと違う様子の彼女が気になる。


(話しかけたら嫌がられるだろうか…いや、ままよ!)


「ベアトリクス…少し話さないか?」


 彼が上体を起こし、離れた椅子に座る彼女に呼び掛けると、少し動揺した空気のあとにパタンと本が閉じられた音が聞こえた。


「眠れないのですか?」


 いつの間にかベッドの側に彼女がいた。


「足音がしないのだな」


「…癖です、申し訳ありません。これからは音を付けます」


「いや、どちらでもベアトリクスが楽なほうでよい。それよりここに座らないか」


 彼は広いベッドの真ん中から出来るだけ奥にいざり、彼女が座る部分を整えた。間違っても触れあわない距離だ。

 ヴァルデマーは灯りを消したおかげで彼女の顔が見えないことに感謝した。闇のおかげでいつもより言葉が口から出やすい。


「はい」という彼女の言葉から微妙に警戒を感じたヴァルデマーは、彼女に指一本も触れないと自分に誓った。野良猫を手懐けるよりよっぽど根気がいりそうだが、少しだけでも前進した気がして嬉しい。


(暗闇で良かった…)


 彼は顔が勝手にニヤけるのを止められなかった。

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