1.「オフ会、やりません?」

 花島県波瀬市桜町。周囲を海に囲まれた島の南東の端っこにあるこの町は、今日も相変わらずの晴天、真夏日。天気予報によると今日の最高気温は35度だそうだ。


 そんな町の海辺のアパートの一室で、山下玲香は下ろしたままの長い髪を弄りながら、ひたすらパソコンと向き合っていた。


 中学校はつい昨日、夏休みに入ったばかりだ。それをいいことに、朝からこの調子である。


 真夏の燃えるような太陽の光は黒いカーテンでシャットアウトされ、空調の効いた涼しい室内には似合わぬ蝉の声だけが漏れ響いている。薄暗い部屋に、パソコンの明かりと照らされた彼女の顔だけがぼうっと不気味に浮かび上がっていた。


 今日はやることがたくさんある。といっても学校の課題などではなく、裏––––つまり『夜桜屋』としての仕事だ。

 小学生の頃、趣味で計画を練り始めたちょっとアレなビジネス。普通に検索するだけでは辿り着けない場所にサイトを作って、主に違法な方面の情報を交換する場とするとともに、ハッキングしてほしいなどの違法な依頼を引き受ける。

 夜桜屋はそのサイトの名前であり、自分たち––––といってもメンバーは自分含む二人だけなのだが––––のチーム名のようなものでもあった。


「ええと……とりあえず整理しますか」


 独り言を呟いて、玲香はテーブルに肘をついた。

 まず、昨日完成させたレポートをお得意さんに送らなければならない。それから新しく顧客がついたからリストに追加して、数個来ていた質問に返信して……あとは自分の趣味で、面白そうなツールを見つけたのでそれを使ってちょっとしたスクリプトを書いてみたい。


 と、背後でごそごそと布が擦れる音がした。長い髪をはらりと靡かせ振り返ると寝ぼけ眼の少女と目が合う。クラスメイト兼仕事上のパートナーである織野菜々だ。


「あ。菜々ちゃん、起きた?」


 さっき起きたと思ったのに、菜々はもう目を閉じていて、すやすやと寝息を立てていた。


「菜々ちゃんー、寝てるー?」


 もう一度、少しボリュームを上げて呼びかけると、やっと菜々は瞼を開いた。


「おはよ」

「……ふ……」


 目を擦りながら起き上がる菜々。無理に起こすのは申し訳ないけれど、今起こさなければお昼と夜が逆になってしまう。それにできるだけ早く仕事を終わらせてしまいたい。


 床に投げっぱなしにしていた膝掛けに包まると、菜々はゆっくりと立ち上がりベッドを離れた。この季節に膝掛けというのはミスマッチだが、寒がりの菜々にとって、18度の冷房が効いたこの部屋では膝掛けは必須である。玲香の部屋で殆どの時間を過ごし、ほぼ同棲状態の菜々にとっては、この暗さも寒さももう慣れっこだった。


 〈なにしてたの?〉


 手を動かして、ちょこんと首を傾げる菜々。彼女がしているのは手話だ。これについては玲香が慣れっこだった。病気がちでしっかり声が出せない菜々のコミュニケーション手段は手話か筆談である。菜々の場合耳が聞こえないわけではないので、玲香はそれに手話か声か都合のいい方で返していた。


「んー、ちょっとお仕事を。ねえ、Asuさんに昨日のレポート送ってくれない?」

 〈……まだお昼だから〉


 やる気満々な玲香と対照的に、気怠げにチラリと鞄の持ち手につけていた懐中時計を取り出す菜々。


「日曜だからいいの。私たちが学生でも社会人でも、日曜なら休みで問題ないでしょ?あとなんか急ぎっぽかったし」

 〈あ……そっか〉


 平日と勘違いするなんて、さてはまだ寝ぼけているな、と思いつつ再びパソコンに向き直る。もし平日ならば私たちは完全に中学校に遅刻だし、実際つい昨日夏休みに入ったばかりだからしばらくは平日だと落ち込まなくてもいいのだ。


 机の上にあった昨日の残りの水で朝の薬を飲んで、菜々はやっとパソコンの前、玲香の隣に座った。


「じゃ、接客は任せた、夜桜ケイちゃん」

 〈任された、夜桜ルイちゃん〉


 仕事の時はハンドルネームで呼び合うのがお決まりだった。どや顔を玲香に向けると、メモ帳に下書きを始める菜々。こういうのは菜々の得意分野である。実生活ではほとんど話せない代わりに文字を使えばコミュ力お化けだ。質問の回答に苦戦している玲香の隣で、菜々はすらすらと丁寧で当たり障りのない、それでいて温かみのある柔らかい文章を紡いでいく。


 〈レポートおくったよ〉

「ん、ありがと。さすが早いねー」


 頭を撫でると、うへへ、と満面の笑みを浮かべる菜々。こんな無邪気で可愛らしい少女があんなヤバい内容のレポートを書き上げただなんて、誰も想像できないだろう。


「お疲れ様」


 玲香が笑うと、菜々は玲香の肩にちょこんと頭を乗せ、右手で拳を作って左手の甲に当てるような仕草をする。お疲れ様、の手話だ。その拍子にふと彼女の右手に指輪の薬指に銀色が光っているのが目に入り、玲香の心は温かい気持ちで満たされる。自分の右手にも同じ銀色の指輪が光っているのをこっそり確認すると、玲香は菜々の天然パーマのかかった黒髪を梳きながら微笑を浮かべた。

 どんなに違法なことをしていようとも、ふたりなら何も恐れるものはない。


 たくさんのモニター、デスクトップにノートパソコン。ごつごつした電子機器が並ぶ玲香の部屋はとても女の子の部屋とは思えない。が、それを親に咎められることはなかった。玲香の父親は海外で働いており、母親は看護師のため忙しく家にいないことが多いからだ。

 この部屋は––––というよりこの家は、今やふたりの楽園と化していた。


 と、玲香のお腹がぐーっと鳴った。


「えへへ……お腹すいたぁ、今何時?」


 玲香の問いに、菜々は鞄の持ち手につけていた懐中時計を取り出して。


 〈12時半、だよ〉


「ええっ!?早っ!?まだ11時くらいの気分でいた」


 作業に集中しすぎていたのだろう、玲香にはよくあることである。


 〈もう、玲香ちゃん、朝ごはんはちゃんと食べなくちゃ!〉


「はいはい、気をつけまーす……それにしても菜々ちゃん、相変わらずその時計、好きだよね」


 〈うん……おばあちゃんがくれた時計だから〉


 時計を両手で包み込む菜々。彼女はいつもこの懐中時計をお守りのように持ち歩いていた。鞄につけたり、ネックレスのように首にかけたり。


 菜々のいちばんの宝物だった。


 玲香の目で見ても、かなり精巧に作られていることがわかる。アンティークな雰囲気で、文字盤には大きくローマ数字が描かれている。


「それ、おばあちゃんの形見……なんだよね」

 〈うん。おばあちゃんがずっと大切にしてたものなんだって。お葬儀のときにお母さんがくれたの。おばあちゃんが死んだら時計をわたしに渡すようにってお母さんに言ってたみたい〉


 小学校の卒業式を終えた次の次の日の早朝に、彼女の祖母は亡くなった。それから彼女が身につけるようになったこの時計について、玲香は深く聞いたことはなかった。気になってはいたが、おばあちゃんを亡くして沈んでいた菜々に遠慮してその話題を避けていたというのもある。


 しかし今日は、少しだけ踏み込んで聞いてみようという気持ちになった。もう1年と少し経ったのだしと自分に言い聞かせて。


「代々受け継がれてる的なあれなの?」

 〈それがね、違うみたいなの。知らない人からもらったって言ってた〉

「知らない人から……?」


 玲香が呟いた、その時。


 ポーン。

 ピロン。


 玲香のパソコンと菜々のスマートフォンが、それぞれ聞き慣れた通知音を発した。



【チャットルームにて】


 〔Mafuyu:やっほー!今日も元気なまふゆちゃんだよっ♡みんな元気してる!?〕


 〔Mafuyu:元気してる!?誰かいる!?〕


 〔Mafuyu:おーい〕


 〔Mafuyu:お〕


 〔Mafuyu:ー〕


 〔Mafuyu:い〕


 〔BrackTree:通知で起きました おはようございます〕


 〔Mafuyu:あ!まふゆんの愛の通知で目覚めたんですね!?運命を感じちゃいます♡〕


 〔BrackTree:いやただ単にうるさくて起こされたんですよ!土曜の朝からなんなんですか、せっかくの休日なのに……〕


 〔Mafuyu:ツンツンしないでよもう!そうだあたしと付き合いません?いまフリーなの♡〕


 〔BrackTree:唐突!付き合いません(キッパリ 〕


 〔BrackTree:それでなくてもネットで出会った人と付き合うのはちょっと抵抗あるんですよ。せめてリアルで会ってから〕


 〔Mafuyu:えー……そんなぁ。結構優良物件だと思うんだけど!後悔しても知りませんよっ〕


 〔BrackTree:あのさっきから既読数4に増えてるの気づいてるんですよ?見てるだけじゃなくて助けてくださいよお二人さん!〕


「助けてあげる?」

 モニターの画面を眺めつつくすりと笑う玲香。菜々も笑ってうなづいた。


 〔mitochondria:おはようございますー〕


 〔mitochondria:潜伏してるのバレちゃってましたね。既読4のうち1は私ですよ!ちなみにもう1人はどちらさま?〕


 〔とある町内の平和主義者:おはようございます 僕ですよー なんかいい雰囲気だなって思って 眺めてました〕


 〔BrackTree:眺めてないで助けてくださいよ!?どう見てもいい雰囲気とかないじゃないですか!?〕


 〔Mafuyu:ええ!かわいいまふゆちゃんがせっかく猛アタックしてあげたのにぃ〕


 〔Blacktree:猛アタック……〕


 〔mitochondria:でもまふゆちゃん、言葉遣いはギャルだけど普通に女子力高いですよね、スキンケアとか詳しいし、この間も色々教えてもらったし。普通にモテると思うんですけど〕


 〔Mafuyu:そうかな!?ありがとう!そんなこと言ってくれるのmitochondriaさんだけだよ……惚れた、あたしと付き合って?〕


 〔mitochondria:ちょ、私女!!!〕


 〔Mafuyu:え、そうだったの!?でもね大丈夫だよ、まふゆんね、女の子とも付き合えちゃうの♡〕


 〔mitochondria:ま、まじですかっ!?〕


 〔mitochondria:ええと私はちょっと、ごめんなさい、ていうか最愛のワカナが隣で見てるんですよね……変な誤解されちゃうじゃないですか〕


 〔Blacktree:そうかそういえばふたりはリア友だったね。mitochondriaさんは男の子だと思ってたから勝手にワカナさんとはいい雰囲気なのかなと思ってたんだけど……〕


 〔Blacktree:まふゆちゃん残念だったね、mitochondriaさんは女の子でも男の子でもワカナさんのものだったんだよw〕


 〔Mafuyu:ぴえん……〕


 〔mitochondria:実は私たちほぼ同棲状態なんですよね〕


 〔Black tree: いいですねえ……。女の子同士でキャッキャウフフしてる様子が目に浮かびます(*´꒳`*)〕


 〔Blacktree:ところで、どうしてこんなに朝早くにチャットを……?〕


 〔Mafuyu: あのですね、今日はちょっとみなさんに提案がありまして〕


 〔ミトコンドリア: 提案?なんですか?〕


 〔Mafuyu: オフ会、やりません?〕


 〔ワカナ: おふかい……?とは?〕


 〔とある町内の平和主義者: お、ワカナさんいつのまに!? このチャットのメンバーで、リアルで会ってみよう、ってことですよ〕


 〔Black tree: オフk!?本気ですか!?〕


 〔Mafuyu: まふゆちゃんはいつでも本気ですよぉ♡ みんな波瀬市民ってことはプロフィールで把握済みなんですからっ♡〕


 〔Black tree: ……〕


 〔Mafuyu: つまるところ、今夏はみなさんと一緒に御井豆の花火大会を見に行きたいってことです!アイミもゲスト出演するらしいし……!美少女まふゆちゃんからのでぇとのお誘いですよっ♡〕


 〔とある町内の平和主義者: テンションが……(汗)〕


 〔Mafuyu:まあ考えといてくださいな、花火大会は8月22日、今日は7月25日ですからまだまだ時間はありますよ♡ ではあたしはこれで〜〕


 〔Blacktree:わかりました、考えておきます〕


 〔とある町内の平和主義者:前向きに検討させていただきたいと思います〕


 〔mitochondria:え、まじですか!?ワカナと話し合ってきます〕


 ・

 ・

 ・



 今日は朝からバイトの日だ。


 黒木カイトは、返却されたDVDを元の場所に返す作業をしつつため息をついた。


 1ヶ月ほど前からここでバイトを始めた。ほどよい田舎にあるため忙しすぎず、ゆっくり作業ができる上、同じようにここでバイトをする大学生も多いので、そこまで苦にはなっていなかった。


 DVDを棚に戻しながら、カイトは客の女子高校生たちの会話に耳を傾けていた。女子高生たちはさっきから仲良さげにキャッキャと話に花を咲かせている。どうやらお盆明けにある御井豆大花火大会の話をしているようだ。恋人と花火を見に行く子がいるようで、その子を応援するような言葉が聞こえてくる。


 青春だなぁ、と思って聞いていると、ドアが開く音がした。客が入って来たらしい。


 何気なく出入口に目をやり、はっとした。

 あの子だ、と思った。


 この店によく来る中学生くらいの女の子。天然パーマで重めのロングヘアに、透き通るような白い肌。前回は黒いブラウスに水色のスカートだったが、今日は紺色のワンピースを着ている。


 ずっと観察していたから服装まで覚えている。自分でも自分が気持ち悪いと思ってしまうが仕方ない。


 いつも遠くから見ているだけだった。しかし今日は違った。彼女はレジで返却を済ませた後、こちらに歩いてくると、自分の横で立ち止まった。アニメ映画のDVDを探しているようだ。その箱は空だったらしく、一旦その場を立ち去った。しかしやはり気になるのかすぐに戻って来ると、首から下げた懐中時計を手に取り時間を確認する––––


「……あの!」


 気づくと、彼女に話しかけていた。

 突然話しかけられてびくりと振り向く彼女。


 やってしまった、と思った。ついに話しかけてしまった。でも、もう止められない。


「よろしければご予約されてみますか?それ、新着だから人気で、今なくて……。でも面白いですよ。えっと、僕、前その映画見に行ったんだけど……すごい良くて。だから……」


 必死に言葉を紡ぐ。女子中学生相手に緊張している自分が恥ずかしい。


 すると彼女は、ふふっと相好を崩して……カバンの中からスマホを取り出し何かを打ち始めた。


 ––––ん?スマホ?


 〈ありがとうございます〉


 こちらに向けられた画面にはそう書いてあった。


「筆談……?」


 想定外だった。一瞬耳が聞こえないのかと思って焦ったがそうではなかった。こちらの話したことは通じているし、レジで何度か彼女の接客をした時も通じていたはずだった。ただ彼女の声は一度たりとも聞いたことがなかったが。


 カイトの動揺を察したのか、彼女は微笑んでスマホに何か文字を打ち始めた。そしてそこに書かれた文字を見て、カイトはどきっとした。


『わたし、喋れません。聞こえるけど、声が出ません』

 正直、焦った。通っている中学校、持っている服、やっているSNS、趣味、持病、それからおそらく彼女の中で一番大切であろう秘密。


 彼女のことならなんでも知っている気でいたが、それでも戸惑った。なぜ、こんな重要なことを。


 自分たちはこの店の常連客である彼女しか知らない。きっと店を出た彼女の後ろをつけていたらすぐにわかったことなのだろうが、自分たちが彼女についての情報を仕入れた方法はそういう一般的なものではなかった。


「そそ、そうだったんですね。すみません、変なこと聞いちゃいました……ね」

 〈いえいえ、大丈夫ですよ。普段は筆談か手話なんです〉


 ふふっと笑う菜々。その手は微かに震えていた。しかしそれは緊張や警戒の類ではなく、持病の薬の副作用からくるものだということを自分は知っている––––そう、まだここに勤めて1ヶ月しか経っておらず、彼女のレジをほんの数回担当しただけで、そもそも今日初めてまともに会話を交わした身である、この自分が。


 知らなかったのがおかしいのではない。ここまで知り尽くしている方がおかしいのだ。


「そうなんですね。何かあったらいつでも遠慮なく教えてください。もし気づかなかったら肩をたたいてもらえたら」

 カイトも微笑み返したが、おそらくそれはぎこちないものになってしまっていただろう。


 いきなり触れてはいけないものに触れてしまった感……なんと言っていいのかわからないでドキドキしていると、彼女はまたスマホに何か打ち込んで画面をカイトに向けた。


 〈これ、帰って一緒にみようと思ってたんです。いい映画ならよかった。ありがとうございました〉


「一緒に……」


 誰と一緒に見るんだろう、と思って、呟いた瞬間。


「おい、カイト!お前何バイト中にナンパしてんだよ」

「ひぃぃっ!?」


 突然頭を小突かれた上に、まさかのこのタイミングで友達に声をかけられるという不意打ちに、カイトは一瞬フリーズしてしまった。隣で少女も固まっている。


「ま、真夏……!?なんでここに」

「DVD返しにきたんだよ!いくら自分がイケメンだからって、こんな幼気な女の子をナンパするのは良くないぜ?」

「ちょ、おま……違うって!」


 からかって笑う友人––––戸川真夏の言葉を、慌てて否定する。


「あ、後でちゃんと説明するから……!」

「おうおう、言い訳楽しみに待ってるぜ!じゃあなカイト、バイト頑張って」


 手を振って、立ち去ろうとした真夏だったが、ふと足を止め、隣であたふたしている少女の方に向き直る。


「そいつ、いい奴だから、まぁ話してやって。……じゃ、またな、可愛らしいお嬢さん」


 ぽん、と彼女の頭に手を置き、真夏は上機嫌で去って行った。


「ああもうっ!どっちが変人だよ、真夏の馬鹿!……あれ、僕の友達なんです。気にしないでやって……」


 困ったような笑顔でこくりとうなづく少女。真夏のせいで自分まで変人認定された気がする……。


 彼女が店を出た後もカイトはため息ばかりついていた。仕事どころではなくずっと彼女のことを考えていた。

 嫌われただろうか。怪しまれていないだろうか。突然話しかけたりして、大丈夫だっただろうか。それから一緒に映画を見る相手は誰だろうか。まあその相手については大体見当はついているが……


 そこまで考えてカイトは首を振った。そんなのはどうだっていい。自分はこれから彼女とどうやって会話すればいいのだろう。手話を覚えるべきだろうか……いや、やはり筆談の方がいいのか?どうなんだろう。どちらの方が会話しやすいのだろう。親密になるにはどうしたらいいのだろう……


 ––––数時間後、やっとのことでバイトを乗り切ったカイトが店の外に出ると、待ってましたとばかりに真夏がひょっこり現れた。


「やっほー、カイト、お疲れ!」

「真夏……本当に待ってたとはね」

「まあ今の間に家帰って動画見てたんだけど……でもバイト終わる時間に合わせて来てやったんだよ、俺ちょー優しいだろ?」


 得意げに言う真夏に、カイトは思い切り突っ込みを入れた。


「それ絶対目的違うよね!?」


 この後、真夏にいじられまくるのは目に見えている。覚悟せねば……


「……あの子なんだろ」


 真夏の低い囁きに、カイトははっと顔を上げた。


「カイトとリョウが言ってた例の女の子、あの子なんだろ」

「え、そ、そうだけど」

「……やってやるよ」


 ニヤリ、と不気味に笑う真夏。その笑みに、ぞっとする。

「俺に任せろって……今の所、上手く行ってるみたいだからさ」



 昼間の蝉に代わって、窓の外からはカエルの鳴き声が聞こえてくる。相変わらず室内は冷房が効き、カーテンもきっちりと閉められていた。


 広いベッドの上にふたり寝転がり、パソコンでDVDを観る。気になっていたアニメ映画の最新作ではなく、別の洋画だったが、玲香も菜々も満足していた––––こうして、ふたりで同じ時を過ごせることに。


「菜々ちゃん、ありがと」

 無意識のうちに、思ったことが声に出てしまっていたらしい。


 〈え、なにが?〉

「んー、……DVD、代わりに借りてきてくれて?」

 〈こちらこそありがとうだよ。いつも忙しい玲香ちゃんの代わりに、私がちょっとそこまで行ってるだけだもの〉

「私はただの引きこもりだよ。でも……将来ふたりでシェアハウスして暮らしていけるくらいのお金は、確保しとかなきゃね」


 言葉では言い表せない幸福感がふたりを包む。しばらくその感覚に浸っていると、菜々が玲香の服の袖をちょんちょんと引っ張った。心なしか、少し不安げな表情に見える。


 〈ねぇ……花火大会、どうする?〉

「ああ、チャットの……」


 結局今晩はチャットメンバーとは話していない。玲香はため息をついた。

 玲香たちがいつも使っているチャットは『Twin』。今最も普及しているSNSである。親や同級生ともこれでやりとりをしているし、見ず知らずの人と知り合ってチャットメンバーになることもできる。


 玲香も菜々も顔見知りとのチャットがメインだったが、数個ネットでのチャットに参加していた。その中でも活発なのが『まふゆんの部屋』。ローカルアイドルグループのメンバー、アイミのファンによる小規模グループらしく、菜々がプロフィールにアイミが好きと書いていたためか1カ月ほど前に唐突にDMで声をかけられたのだ。その後菜々が友達を誘うと言って玲香をグループに入れた。


 今のところメンバーは声をかけてくれたリーダーのMafuyuちゃんをはじめ、Black Treeさん、とある町内の平和主義者さん、そしてmitochondriaこと玲香と、ワカナこと菜々の5人だ。人数は少ないが、あまり人が増えすぎても濃い会話ができないだろうというMafuyuの意見で、玲香が最後に入った時点で鍵をかけ5人でチャットをしている。


 その浮上率の高いこと高いこと……大体こういうチャットは過疎化しがちなイメージがあるのだが、このグループはみんなフレンドリーで、毎晩みんなで集まってチャットで話すのが恒例になっている。たまに朝や昼にも会話が進むことさえある。会話の内容もアイミの話だけではなく、その日あったことやお悩み相談などなんでも話していた。


 そのためか、皆1ヶ月前に知り合ったばかりだというのに古くからの友達のような雰囲気で話せている。話せているんだけど……


「私は行ってもいいかなって思ってる。悪い人たちじゃなさそうだし、会ってみたら楽しそう。オフ会とかちょっと憧れてたしさ。……菜々ちゃんはどう?」

 〈わたしもそう思う。すっごく行ってみたい。……けど、大丈夫かな?ネットの人と会うなんて危なくないかな。お母さん、許してくれるかな。あと、わたしは声が……〉

 菜々の長い睫毛が目元にぱさっと影を落とす。そうか、そんなことを気にしていたから元気がなかったのか……。


「大丈夫だよ。オフ会なんて今の時代よくあることだし、親には内緒で行けばいい。声のことだってみんな気にしないと思うよ。優しい人たちだもん」

 〈でも……〉

「それなら事前に言って反応見てみるのもありなんじゃないかな」

 玲香の提案に、菜々は目を丸くした。

 〈えっ〉

「そのまま伝えればいいんだよ。病気のことも」

 〈ええ……大丈夫かな、面倒だと思われないかな。せっかく仲良くなれたのに、嫌われそうで怖くて〉

 菜々は小学生の頃、それが原因でいじめにあっていた。怖いのも当然だ。玲香はそっと菜々の頭を撫でた。


「大丈夫、そんなことでなんか言われるようならこっちから縁切っちゃえばいいんだよ。そんな人達と仲良くしてても嫌でしょ?それに……」

 〈それに?〉


「夜桜屋のKeiは常に堂々としていなくちゃ」


 最初はぽかんとしていた菜々だったが、玲香が微笑んで見せると菜々も口角を上げた。

 〈うん、そうだね!……そうしてみる、ありがとう〉


 枕元に置かれた菜々の懐中時計は夜11時を指していた。

 もうそろそろ寝なければ。


「花火大会、楽しみだね」

 〈うん。楽しみだね〉


 目を閉じると、蛙の声が一層大きく聞こえてきた。

 ––––ふと、考えることがある。

 もし、こことは別な世界––––パラレルワールドのようなものがあるとしたら、その世界でも私は同じような気持ちでこの蛙の鳴き声を聞けているのだろうか。

 大好きな友達がいて、大切な仲間がいて。今この瞬間は奇跡の連続から成り立っている。

 幾つもの分岐点で、もう片方の道を選んだ世界には、これほどの幸せが、同じようにあるのだろうか。


 ––––その確率は、きっと限りなく低いのだろう。





【チャットルームにて】


 ・

 ・

 ・


 〔Mafuyu: そういえば花火大会でぇとのことなんですけど、もう予定決めてくれた人いますかぁ?


 Black tree: 僕行きます!!!!


 ミトコンドリア: 出席でお願いします!


 ワカナ: 私も行きます


 Mafuyu: わーい!ありがとうございます♡


 Mafuyu: あれ、とあるさんは?


 Mafuyu: とあるさーん


 Mafuyu: ……


 〔とある町内の平和主義者:僕は出席ですけど、いきなり花火大会で集まることは反対です〕


 〔Mafuyu:えっ?どうしてですか?〕


 〔とある町内の平和主義者:まふゆさん、ワカナちゃん、mitochondriaさんは女の子です。女の子からしたらいきなり夜にネットで知り合った男と会うのは不安だと思うし、僕たちはそれを気遣うべきだと思います〕


 〔Blacktree:た、確かに〕


 〔Mafuyu:きゃあ、とあるさん紳士っ♡〕


 〔とある町内の平和主義者:花火大会まで1カ月ほど時間があります。その間に何度かお会いしませんか?お昼の明るいうちに〕


 〔Blacktree:賛成です!〕


 〔ミトコンドリア:いいと思います!〕


 〔Mafuyu:あたしも賛成!〕


 〔Mafuyu:あれ、ワカナちゃんは〕


 〔ワカナ:あの、賛成なんですけど、お会いする前にお伝えしたいことがあります〕


 〔Mafuyu:どうしたの?言ってみて〕


 〔ワカナ:わたし、喋れません〕


 〔ワカナ:耳は聞こえます、でも、うまく喋れなくて。病気で〕


 〔ワカナ:いつも会話は筆談か手話なんです。だから、私が行っても大丈夫ですか。面倒だって思いませんか〕


 〔Mafuyu:思うわけないじゃん!〕


 〔Mafuyu:話してくれてありがとう。あたしはワカナちゃんと会いたいし、筆談でもお話しできるなら嬉しいよ〕


 〔Blacktree:僕もですよ。みんなで会えて話せるなら手話だって勉強します〕


 〔とある町内の平和主義者:上に同じ!面倒なんて思わないから 安心してください。もし不便なことがあったら教えてほしいな〕


 〔ワカナ:ありがとうございます、嬉しいです。よかった……〕


 〔Mafuyu:ではでは日程でも決めますか!みんな予定教えて!〕


 ・

 ・

 ・



「なあこれ……本当に本当なのか」


 思い出すのは先日の、バイト先で話しかけた少女の姿。スマホを片手ににこっと微笑む、無邪気なあの笑顔。


「信じられないよな……でも確かに事実、なんだと思う」

「あの子と、例のあの子の友達が……?まだ中学生の女の子たちが……?」


「そう」


 リョウはスマホの画面を見つめたまま答えた。表示されているのは「夜桜屋」と書かれたサイトだった。URLからしてもう怪しさが溢れ出ている。専用のブラウザを使い、ここのURLとパスワードを知る人しかたどり着けない、「知る人ぞ知る」闇サイトだ。


 夜桜屋は情報交換専門のサイトである。ここを利用しての直接の仕事の依頼や商品売買は禁止していながら、管理人兼凄腕のハッカーであるRuiとKeiのふたりのみ有償で依頼を引き受けている。これがまた評判が良いのだ。


 取引は全て仮想通貨、客とのやり取りに使うのは管理人側が予め提示している匿名性と機密性の高いいくつかのメッセンジャーのみ。秘密厳守で、顧客情報については管理のために取引の内容などの記録は取るが第三者に売り捌くようなことは決してせず、ネットから隔離したスタンドアロンの環境で厳重に管理すると明記してある。そこまでするか?と突っ込みたくなるくらい、情報の取り扱いに関してはかなり徹底しているようだ。まだ幼い中学生の少女達がこれら全てを管理しているとは到底思えない––––


「やっぱり信じられないよ。この夜桜屋の管理人が……あの子たちだなんて」

「ああ、俺も信じられない。でも事実なんだ、あの本で知った通りなら……なんならそれとなく夜桜屋の話を振ってみるのもアリだと思ってる」

「それで反応を見るのか」

「ああ。……タイミングとかはまた考えよう。相手は中学生とはいえ、これだけのものを作れる人間なんだ。下手に警戒されたくない」

「わかった。……じゃあ、例の時計は?あの子堂々と首にかけてたけど」

「それも同じだよ。焦ったら絶対失敗するから。……せっかくここまで漕ぎ着けたんだからさ、慎重に行こうよ」

「そうだな。あの子が障害持ちなのも初めて知って焦ったし」

「まあ病名とかは知ってたんだけどな……身体弱いんだなくらいでそこまで気にしてなかったし、喋れないとか想定外だったよな」

「もっと調べなきゃ。あの子のことも、お友達のことも……調べ尽くそう。なんかそういうの、楽しいしな」


 ニヤリと笑うリョウ。カイトも笑い返した。

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