14-1.「愛されてるね」

 車を運転していると、ふと下校中の中学生たちの姿が目に入った。この制服は桜中学校だ。9月に入ってもう夏休みも終わり、まだお昼が来ていないのに多くの生徒が下校しているところを見ると文化祭前の準備とかで授業が早く終わったのだろう。懐かしさを覚えつつ無意識に菜々の姿を探してしまう。


 彼女のことを、気にしすぎかもしれない。それは分かっていた。決して許されない酷いことをしたのだ、自分に対していい印象は持っていないだろうし、これだとまるでストーカー……


 そう思った瞬間、菜々の姿を見つけた。珍しく隣に玲香の姿はない。まさか本当に出会えるとは、と驚いていると、向こうも優雅の車を覚えていたらしく、手を振ってくれた––––というかメルセデスに乗っているとあのスリーポインテッドスターのエンブレムが主張して、こんな田舎だと特に注目の的になってしまうので、まあ当たり前かもしれないが。


「菜々ちゃん、学校お疲れ様。会えて嬉しいよ」


 とりあえず、話しかける正当な理由ができた。路肩に車を止めて、菜々に声をかける。


 〈優雅さん!〉


 途端に菜々の顔がぱっと輝いた。そのまますごい勢いで通学カバンからスマホを取り出す。


 〈お買い物の帰りですか?〉


「ううん、この間別荘行った時に忘れものしちゃってさ、取りに行こうと思って」


 口をついて出たのは出まかせだった。同時に頭の中でどんどんシナリオが作り上げられていく。頭の回転が異様に早いことに自分でも驚きつつ、優雅はにっこりと微笑んだ。


「菜々ちゃん、ついでに送ってこうか?」

 〈お願いします!!!〉


 助手席に回って車に乗り込む菜々。


「あれ、今日玲香ちゃんは?」

 〈まだ学校です。文化祭で映像系の出し物するんですけど、動画編集係がパソコン慣れてないらしくて結局係じゃない玲香ちゃんが手伝ってるの〉

「へえ」


 〈それだけじゃなくてクラスの飾り付けとかもあって、でも文化祭が明後日だから急がないといけなくて……学校に遅くまで残れる届け出?みたいなの出してがんばってます〉

「すごいねえ、動画編集もできるのか。さすが玲香ちゃん、学校でも頼りにされてるんだ……あの子、もはやパソコン関連でできないことないんじゃない?」

 〈凄いですよね、ほんと尊敬します。……玲香ちゃん、7時は確実に過ぎるだろうから先に帰っててって。夜は危ないからって言うんです。過保護なのはいつものことなんだけど……遅くなるけど待ってて、一緒に帰ろう、って言ってくれるかと思ってたからちょっと寂しい〉


 それはおそらく自分たちのせいだろう。玲香は菜々が自分と一緒にいることで危険な目に遭わせてしまうのだと思ったのかもしれない。決してそういうわけではないのだが……


 片時も菜々をひとりにさせたくない、離れたくないという気持ちもあっただろうが、離れてでも昼の人目の多いうちに下校させることを選んだ。今までの菜々に依存気味の玲香を見ているから推測できるが、かなり辛い選択だっただろう。


「愛されてるね、菜々ちゃん」

 〈そうですかね〉


 菜々がシートベルトを閉めたのを確認して、優雅はアクセルを踏み込んだ。

 それにしても、この子は学習しないのだろうか。怪しい人にはついていかない、車に乗らない……そういう教訓を知らないのだろうか。まあ彼女のことだから、一度親しくなった人を疑うとか、そもそも怪しい人という概念がないのかもしれないけれど。


 あの一件があってから特に、この車に乗ること––––否、自分とふたりきりになること自体、トラウマになっていても不思議ではないくらいなのに……こんなにも易々と。まあそのくらいの方が、今の自分にとっては好都合なのだが。

 交差点。玲香の家に向かう道とは逆方向、美井豆大橋方面に曲がる車に、菜々は首を傾げた。


 〈優雅さん、送ってくれるんじゃ〉

「うーん、そう思ってたんだけど。ついでに別荘寄ってかない?美味しい紅茶とお菓子、ご馳走するよ」

 〈ええっいいんですか!寄ってきます!〉


 途端に菜々に笑顔が戻ってきた。紅茶とお菓子で釣れるなんて、本当に警戒心がなさすぎる。優雅はため息をついた。やはり自分が守らねば……少々手荒な手段を使ってでも。


 別荘に着くと優雅は菜々をエスコートし、リビングに案内した。ソファに座らせてにっこり微笑む。


「紅茶派だったよね。ハーブティー買ったんだけど、飲んでみない?ラベンダーとかカモミールとか書いてた気がするんだけど」

 〈気になる、飲んでみたいです〉

「よし、じゃあ待っててね」


 優雅が紅茶をいれている間、菜々はずっと窓の外の海を眺めていた。大人しくて純粋な子だから、待っててと言ったらちゃんと動かずに待っていてくれる。この紅茶だって、なんの疑いもなく飲んでくれるだろう––––


「はい、お待たせ」

 お盆に紅茶とクッキーを乗せて菜々の前に置くと、菜々はぱあっと顔を輝かせた。


 〈わああっ、ありがとうございます!いい香り……〉


 嬉々として手に持っていたスマホを横に置き、こちらが申し訳なくなるくらい幸せそうな顔で香りを堪能した後、カップに口をつける菜々。


「どう?美味しい?」

 〈美味しいです!!〉


 ぽんぽん、と右の頬を叩いてにっこり笑う。ポーカーフェイスが得意な優雅は、簡単なものなら彼女の手話を読み取れるようになったことに嬉しさと優越感、それから彼女を騙すことに罪悪感を感じながらも、その全てを隠してにっこりと微笑んで見せる。


「よかった。……ごめん、僕は探し物してくるから、菜々ちゃんはゆっくりしてて。テレビでも本でも……あ、この間のみーず。のライブの映像とか見る?」


 アイミファンの菜々にはもってこいだろう。DVDを再生すると、菜々は目を輝かせて画面を見ていた。

 その様子を横目に優雅は階段を上り、自分の部屋に入る。探す物なんてないから、適当に服を散らかしてそれっぽくしておいてからベッドに座った。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ぎゅっと拳を握る。あの子を守るためにはこうするしかなかったんだ。そう自分に言い聞かせて……

 以前と違って、紅茶に盛ったのは普通の睡眠薬。もちろん先日のような余計な副作用はなく、効果も弱めのものだ。目が覚めたとき、菜々はどんな反応をするだろうか。何かがおかしいと警戒するだろうか。それとも鈍感な菜々のことだから、自分が薬を盛られたことにさえ気づかないのだろうか……


 数十分後。頃合いを見て部屋を出る。吹き抜けから見下ろすと、菜々はソファに置いていた枕に抱きつくようにして眠っていた。


「……寝てる」


 分かりきっていたことだったが、少し安堵しつつ階段を降りて、眠る菜々の隣に腰掛けるとそっと彼女の頭を撫でる。持ってきたブランケットを、壊れ物に触れるみたいに優しく肩にかけてやったがそれで罪悪感が消えるわけでもなく。


 菜々の着ている服を見る。淡いグレーと白の長袖のシャツに、少し長めで濃いグレーのボックスプリーツスカート。巷では珍しくて可愛いと評判の桜中学の制服だ。菜々にもよく似合っている。


 淡いピンク色のリボンは少し引っ張るだけでするりと簡単に解けた。そのまま上の方だけ数個、必要最低限のボタンを外していく。その白い胸元と下着を直視しないように、それから震える手が当たってしまって起こさないように、最大限気を配りつつ。


 恐る恐る首筋を弄り、チェーンを摘む。先程ボタンを外して作った隙間から時計を引っ張り出しすと、優雅は小さくため息をついた。作業はなるだけ早く済ませなければならない。

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