8.「"全てを終わらせるのは自分でなければ"」

『あ、もしもし?もう気付いてるかもしれないけど、菜々ちゃんちょっと借りてるから。……あー、単刀直入に言うと誘拐したから、よろしく』


 第一声がそれだった。表示された真夏の名前、聞こえてくるのは真夏の声。通話相手は確実に真夏だ。

 最初は冗談かなと思った。いつものどこか楽しげな声だったから。ドッキリを仕掛ける感覚で反応を見ているのかとも思った。

 しかし次の一言で、玲香は嫌でも確信することになる。


『返して欲しければ今すぐに夜桜屋のサイトを消し、今後一切活動をするな』

「––––っ!!?」


 いま、夜桜って。

 衝撃で息ができない。一瞬で世界の音が消え、心臓の鼓動だけが煩く響いた。起きたばかりでぼうっとしていた頭が無理やりフル稼働させられる。


『もちろん警察には言うなよ、っていうか言えるわけないよな。君たちも終わりだろ?』

「どうしてそれを」


 電話をスピーカーにしてパソコンを起動させキーボードを叩く。全身全霊をかけて開発し更新し続けている防御プログラム……破られるはずないと思いたいが万が一ということもある。しかし何度見ても何の警告も出てないし、侵入された形跡も……ない。


『それは秘密だよ。でも玲香ちゃんに夜桜の話振った時めっちゃ動揺してたし、その時点でまあ黒だろうとは思ってたけどね』


 滅茶苦茶だ。自分の目の前で夜桜のサイトを開いていた、あの時真夏は既に知っていたのだ。自分が動揺したせいで確信させてしまった?否、そもそも何故辿り着けた?


「菜々ちゃんは無事なんですか。今どうしてますか」

『寝てる。今んとこは無事みたいだよ?』

「あの子、朝に必要な薬があるんです。本当は夜にもあったんですけど……。何かあったらどうしてくれるんですか」

「はは、知らねーよそんなの!早く薬飲ませたかったら俺らの要求を飲むことだな』

「え?俺らって?他にも誰か?」

「あー、言ってなかったっけ?俺だけじゃなくて優雅もいるよ。運転係だったからね。今はちょっと離れてるけど』

「優雅さんも!?なんで……えっじゃあ昨日のメールは?菜々ちゃんから遅くなるから先に寝てて、起こしたら悪いから今日はわたしのお家に帰るねってチャットが」

『あーそれ、菜々ちゃん自身にパスワード入れて開けてもらったの。……パスワード、"reika0305"だったよ。名前と誕生日だなんて、玲香ちゃん愛されてるねぇ』

「スマホ勝手に覗き見たの!?スマホ覗き見なんて最っ低!」

『まあまあ……それにしてもすごいね、君とのチャットも見たけど、夜桜のこととか疑わしい会話は一切してなかった』

「当たり前でしょ!あんなチャット使うわけないですし、そもそもメインのスマホでそんなこと……普段から徹底してますから」

「そうだね。さすがは夜桜ルイ」


「……真夏さんはこの日のために……こんなことをするために私たちと接触したの?チャットに入らないって声かけてくれたのも、オフ会しようって言い出したのも全部そのため?今まで優しくしてくれたのも全部……」

『え?……ええといや、そういうわけでは……』

「ううん、それはどうでもいいの。そこを問い詰めたとこでどうにもならないから。……サイトと活動のこと、もし従わなければ?」

『うん、従わなければ彼女を殺す……とかそれっぽいこと言いたいところだけど、流石にそんなことはできないからさ』

「……何をするの」


 聞かずにはいられなかった。電話を持つ手が震える。


『うーん、実は特には決めてないんだよね……でもそうだなあ、とりあえずいま目の前にカッターナイフがあるんだけど、これであの子の顔を……いや、目立つし親とかに突っ込まれたらヤバイから服で隠れるとこのほうがいいかな?背中とか?……あーそれなら根性焼きでもいいな、今から煙草買ってくるかな。別に俺は喫煙しないんだけど』

「ちょ、まってやめて!!」


 血の気が引いた。隠れる場所を選んで傷をつけるなんて思考がゲスすぎる……


『嫌ならすぐにサイトを閉鎖させること』

「それは……」

『無理なんだ?まあもうかなりのところまで来ているからね。もう引き返せない……だろ?』

「……」

『俺もそう思ったよ。だから、夜桜側で公式に終わらせられないならあの子にやらせる。君が望むなら、消すって言うより予め大々的に宣戦布告させて、注目を集めてから攻撃してもらうとかも考えてるよ。完全に外から、部外者としてね。難攻不落、というか無敵と称される夜桜の評判はガタ落ちだろう。でもそれならみんなも仕方ないって思ってくれるんじゃない?』

「は……?」


 意味がわからない。菜々にやらせる?宣戦布告して夜桜を攻撃させる……?何を言っているのかわかっているのだろうか、彼は。


『玲香ちゃんは全力で応戦してくれていいよ。もちろん手加減は無しで。この子にもそうさせるから……そっちの方が諦めもつくだろうし』

「なっ……なに、それ」


 菜々の方が技術的に上だと確信しているかのような言い方だった。何故そんなに菜々を過信しているのか……というか、真夏ごときが自分たちの何を知っているというのか。


『あれ?自信ないの?……ごめんねぇ、これでも気を遣った方なのだけど』

「とりあえず煽られてるということだけはわかりました。でもこれだけは言っておきます。狙うなら、傷つけるなら私にして!だって菜々ちゃんは……何も知りません。あの子をいくら脅したところで、重要な情報の管理は全部私が!」

『あはは、馬鹿だねえ。関係ないよそんなの、ハッキングさせるんだから。結果は同じ、だろ?』


 数日前の菜々との会話を思い出した。菜々が夜桜にとって重要な情報を知らない方がいい理由を説明したあの日の会話。でも、無駄だったんだ。秘密にアクセスする技術を持っているならば、それをさせた方が秘密を吐けと言うより断然手っ取り早い。


 菜々にハッキングを教えてしまったせいだ。たとえ何も知らなくても、その時から菜々は十分、夜桜ケイとして狙われかねない存在だったのだ……


「……菜々ちゃんがそんなの了承すると思いますか」

『いや、思わない。でもそんなの関係ない。脅しでも拷問でも、なんでもしてやるから』

「は?」


 真夏の口から飛び出た物騒な単語たちに玲香は顔を顰めた。


『いいかい、玲香ちゃん––––いや、ルイちゃん。こっちには男二人いるんだ。わかるね?それでなくても力弱いし病弱だし喋れねえし……正直あの子ひとりくらいどうにだってできるんだよ?』


 どこか自慢げに、楽しくて仕方ないといったように、真夏は続ける。


『さっきだってさ、ちょっとほっぺた撫でてやっただけで俺の手握ってきて、幸せそうに微笑ってんの。もちろん寝たままだよ?……全く可愛いよねぇ、可愛すぎてキュン死するかと思ったよ流石の俺も。ちょっと怖がらせてやるだけで泣き出すんじゃねえのあの子』


 情景が浮かぶ。

 ぞっとした。あの彼がそんなことを言うなんて……


「……最低。てか真夏さん、自分が何言ってるかわかってるんですか。私たちが警察に通報できないからって何してもいいと思ってるんですか!」

『まあまあそう怒んなって、ちょっと遊ぶだけで別に殺すまではしないからさ。でもさ、そうなると君はなにも悪くないんだ。君の手は汚れない。君は菜々ちゃんに責任を押し付けることができる、菜々ちゃんに裏切られたってね』

「そんなこと望んでない!だって夜桜は……夜桜は、菜々ちゃんと私の……」


『……生憎俺らにハッキングの技術はないものでね、どちらかがどちらかを裏切らないといけないってわけだよ。……うっひゃあやべえ!俺ゲスすぎねぇ?最高だわははっ!』


 電話の向こうでケタケタと笑う真夏。狂ってる……完全に狂ってる。背筋がぞわっと冷えるのを感じながら、玲香は震える手でスマホを握りしめた。


「夜桜を潰してどうする気ですか。一体なんのために」

『何のためって……面白そうだからやってるだけだよ?』

「面白そうだからって、それだけで……そうか、誰かにやれって言われてるんですね。上がいるんですよね、それは誰で」


 ぷつり。

 電話は切れた。

 ツー、ツー、ツー、と数回音が鳴ってホーム画面に戻る。玲香はスマホを手に持ったまま、しばらく動けなかった。


「なんで……なんで菜々ちゃんが。なんで真夏さんと優雅さんが。なんで……どうして、どうやって」


 もう少し真夏のことを警戒しておくべきだった。夜桜のことを知っているとわかったあの時から……そうしたら、守れたはずなのに。

 夜桜は菜々との、とても大切なものだ。ふたりを繋げるもの。ふたりの世界。言うなれば、愛の証そのものだった。それが今、壊されようとしている––––


 これは自分のせいなのだろうか。自分が夜桜なんて作ったから。菜々を誘ったから。こちらの世界に菜々を引き込んだのは自分。危ないのも分かっていた、でも、それが楽しかった。誰にも言えない二人だけの秘密を共有して、それで笑い合えるのが幸せだった。それなのに、その結果がこれ……


 本当に彼女のことが好きなら、誰よりも愛していて大切に思っているのなら、夜桜なんてない方がいいのではないか。夜桜を作り、引き込んだ自分に全ての責任があるのではないか。


 だとしたら……全てを終わらせるのは自分でなければ。


 真夏たちに菜々を殺させるなんてそんなの許さない。だってあの子を世界一愛しているのはこの私。あの子を殺していいのは、手にかけていいのは––––


「––––私しかいない!!」


 玲香は力強く、パソコンの電源ボタンを押しこんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る