6.「プレゼントを選ぶときこんなにも幸せだったのは、初めてだった」

「はいこれ。菜々ちゃん炭酸好きだったよね」


 菜々がお手洗いから戻ってくると、真夏に手渡されたのは蓋付きのプラコップ。すれ違う人達も持っている、Miizuとロゴが入った屋台のコップだ。炭酸の泡がたくさん浮かんでいるのが見える。少し揺らしてみると中で氷が動く音がした。


 〈えっでも、さっき真夏さんからいただいたお茶がまだ残ってて〉


 慌ててスマホを取り出し、真夏にメッセージを送る菜々。こんな人混みの中を歩く時はいちいちスマホの画面を見せていたら大変なので、twinにメッセージを送って会話していた。


「いいのいいの、気にしないで」

 〈わわ、ありがとうございます〉

「玲香ちゃんには買ってあげてないから内緒だよ。……俺も買ってきたやつ飲も」


 同じカップに入ったジュースを飲み始める真夏。菜々もストローに口をつけた。しゅわしゅわとした甘みが口に広がる。


 〈美味しいです、ありがとうございます〉

「……ったくもう、可愛いなあ」


 真夏の横顔を見つめていると、不意にこちらを見た彼と目が合った。慌てて目を逸らす。


「菜々ちゃんさ。ずっと思ってたんだけど……その時計、ほんとにいいね」


 これですか、と首にかけていた懐中時計を持ち上げると、そう、とうなづく真夏。


 〈おばあちゃん、ほんとにずっと大切にしてたみたいなんです。肌身離さず持ち歩いて……。わたしもこの時計好きだから、ずっと持ち歩いてるんです。褒めてもらえて嬉しい〉

「うん……本当にいいと思うよ、それ」

 真夏はまだ、歩き続ける。


 空はだんだんと暗くなり始めていた。振り返ると、紺色と茜色の美しいグラデーションを織りなす夕焼け空。お祭りの提灯が遠く見えていた。

 いつのまにか、周りに人の気配はない。


〈真夏さん〉


 メッセージを送る。が、真夏は反応しない。指が動いているところを見ると別のチャットルームで会話しているのだろうか。画面までは覗き見ることは出来なかったが、彼は薄く笑いを浮かべている……ように見えた。


 不安になってもう一度メッセージを送る。


〈真夏さん?どこまで歩くんですか?〉


「ああごめん。駐車場まで。もうすぐだよ」


 さりげなく、背中に真夏の手が添えられる。

 何だか少し、寒気がした。

 夜になって気温が下がったからなのか。それとも何か、別の––––?


「真夏!!こっち!」


 遠くから呼ぶ声が聞こえ、菜々ははっと顔を上げた。誰もいない、車さえ彼のもの以外一台も停まっていない小さな駐車場で、優雅が手を振っていた。ほかの奇術部員らしき人の姿は見えない。


 彼は白い車にもたれかかっていたのだが、近づいてよく見ると、その車がベンツであることに気づいた。これはかなりのお金持ちと見た……白ベンツ乗りのイケメンマジシャン、優雅さん。住む世界が違いすぎて眩しい。


「ごめん!待たせたな」

「大丈夫だよ。……ごめんね、こっちの都合でこんなとこ呼び出しちゃって」


 菜々が首を振ると、優雅はふわりと微笑み、いつもの優しく柔らかい声で頭を撫でてくれる。


「来てくれてありがとう」

 〈あの……ほかの部員さんは〉

「ああ、訳あって帰ったよ。ついさっき、菜々ちゃんが来る少し前に」


 惜しかったと笑う優雅。そうだったのか、残念だったなと思う。できることなら挨拶したかったし、お礼を言いたかった。


「だから、僕が代わりに伝えるね。さっきはありがとう。君のおかげでいい演技ができたよ。……真夏から聞いたかもしれないけど、実は舞台にお客さんをあげたのは初めてだったものでね。部員に君と知り合いだって話したら、どうしてもお礼がしたいって話になって。さっき呼び出されたのもトラブルってのは嘘で、それについての話し合いで……。あのね、君にプレゼントしたいものがあるんだ」


 なんだろう。真夏の顔を見上げると、微笑み返してくれた。

 後ろを向いた優雅は後部座席のドアを開け、渡してくれるプレゼントを探しているようだ。そっと近づいてみるとベンツの中が少し見えた。すごい。乗ってみたいなあなんて思う。もう少し、と覗き見ようとした瞬間、優雅がこちらを振り向いた。どきっとして目を逸らし下を向く。


「ははっ、可愛い。車好きなんだよね、真夏から聞いてる。僕の車気になるの?」


 笑われてますます赤くなった。やっぱり、すごい美青年にからかわれている。余裕がなさ過ぎて、やはりどう反応したらいいかわからない。


「さて、菜々ちゃん。見てて」


 その声に顔を上げると、優雅が笑って立っていた。右手のひらを菜々に向け、何もないのを見せてからまた閉じ、左手でパチンと指を鳴らす。再び右手を開けるとそこには、華奢で可愛いブレスレットが……

 くすみのない金色の細いチェーンが輝く。等間隔につけられた小さなパールがシンプルに華やかさを際立たせている。


「菜々ちゃんにプレゼント。……君に似合うと思って」


 そういうと優雅はブレスレットのチェーンを外し、そっと菜々の手を取りつけてくれた。その動きはあまりにも自然で、一気に近くなった距離と手首に触れる手の感覚にどぎまぎする。


 〈ありがとうございます〉

「こちらこそ。うん、似合ってる。……あ、ついでにこれも。それが入ってた空箱なんだけど」


 爽やかに微笑んで彼が差し出したリボン付きの箱には有名なジュエリーブランドのロゴが……驚いた菜々は慌ててスマホに文字を打つ。


 〈あ、あの、こんな高価なもの、いただいてもいいのでしょうか。お菓子とかそういうものだと思ってたから……〉


「いいんだよ。……安心して、僕んちお金だけはあるから。こんなときくらい使わせてよ。それに僕だって……プレゼントを選ぶときこんなにも幸せだったのは、初めてだった」


 ふわりと微笑む優雅に、思わず見とれてしまう。

 が。


 ふと目眩を感じてよろける。緊張していたせいかあまり気が回らなかったし、気付かないふりをしていたが、先程からなんというか、体に力が入らなくて、少し頭がぼうっとするような感覚があったのだ。体が弱い菜々は少々の体調不良ならスルーできるスキルを身に付けていたが、かなり重症だったらしい、無視できないくらいにひどくなってきた。


「菜々ちゃん?」

「えっ……大丈夫?」


 真夏と優雅も異変に気付いたのか心配してくれる。大丈夫です、とスマホに打とうとしたが、再び視界がぐらりと揺れた。手に持っていたスマホが音を立てて足元の砂利に落ちる。


「菜々ちゃんっ!」


 真夏が体を支えてくれて、優雅が慌ててスマホを拾ってくれた。


「……どうした?大丈夫か?」


 菜々は彼の腕の中で目の前の優雅を見つめていた。その表情はかなり焦っていて、心配させてしまって申し訳ないなあと思う。


「菜々ちゃん、とりあえず休もう。優雅、車……いいよな」

「あ、ああ、もちろん」


 真夏が菜々を抱きかかえて車に乗せてくれる。先程まで優雅が乗っていて、冷房をつけていたからなのか、車内はそこまで暑くはなかった。

 朦朧とする意識の中、菜々は隣に座る真夏の体にぐったりと体重を預け目を閉じた。頭を撫でられながら、ぼうっと耳に入ってくる音だけを聞く。

 運転席に優雅が座り、ドアが閉まる音。それからエンジンをかける音。


「その子……本当に大丈夫なのか?」

 優雅の声。

「大丈夫だろ……多分」

 真夏の声。

「死んだりしないよな」

 優雅の声。

「死なないだろ、ただの睡眠薬なんだから」

 真夏の声。


 ––––死ぬ……?睡眠薬……?

 菜々は瞼を閉じたまま、頭の中でその言葉を反芻した。飲まされたの?私が?どうして……?



 本来ならこの辺りでこの状況のおかしさに気付いてもよかった、というより普通は誰でもおかしいと気づくような状況だった。しかし今の菜々は、抵抗することはもちろんのこと、おかしいと判断する力さえ奪われていたのだ。


 滑らかに走り出すベンツ––––そしてそれを最後に、菜々の意識は闇に落ちた。





「菜々ちゃん……今頃どうしてるかな」

「どうだろう。プレゼント貰って喜んでるんじゃない。ほかの部員とも仲良くなっちゃったりしてさ」


 玲香の呟きに、カイトが反応する。それでも玲香は不安そうだ。


「大丈夫かな……」

「あの子なら大丈夫だよ。人見知りとかしなさそうだし、楽しくやってるんじゃないの?まあ何かあったら真夏も優雅もいるわけだし」

「そうですよね……」


 確かに菜々は人見知りしない。どころか、初めて会った人でも全く警戒しない。だから人間関係では心配ないが、ある意味心配だ。必要以上にその人たちと仲良くなることはないだろうか、とか……。

 しかしカイトの言うことを聞いてあまり深く考えるのはやめることにした。


「今日は楽しかったです、ありがとうございました!」

 家の前まで送ってもらった玲香は、ハイエースから降り頭を下げる。


「いえいえ。また遊ぼうね」


 手を振って別れ、階段を駆け上ると玄関の鍵を開ける。ただいまー、と言ってみるが返事はない。母親がいないのには慣れているが菜々がいないとどうしても寂しいと感じてしまう。

 疲れと眠さに耐えつつ部屋の中でぼうっとしていると、ぴろん、とスマホが音を立てた。飛びつくようにスマホを手に取り開いてみると菜々からのメッセージだった。


 〔少し遅くなりそうだから先に寝ててください。今日は、起こしちゃいけないので、実家に送ってもらうことにします。

 おやすみなさい また明日!〕


 実家に帰るのは、菜々なりに気遣ってくれた結果なのだろう。嬉しいけど、寂しい。でも無理を言うわけにもいかないし……


 〔了解、気をつけて帰ってね!おやすみなさい、また明日〕


 玲香は返信し、スタンプを送ってスマホの電源を落とした。



 結わえられていた髪をほどき、首にかけていた懐中時計を外すと、真夏は眠る菜々をベッドに横たえた。


「てか菜々ちゃん、起きないの」

「しばらくは起きないと思うよ。多分」


 そう言って菜々の頬に触れる真夏。菜々は未だすやすやと眠っている。その表情は安らかで、起きる気配はない。


「このタイミングで起きてくれたら、それはそれで面白いんだけど」


 どこまでも無防備な菜々の顎を擽りながら、彼女の耳元で囁く。


「ねえ、菜々ちゃん」

「ん……」


 ふと寝返りを打った菜々の手が、頬にあった真夏の手に抱きつくように触れ微笑む。


「……まなつさん」

「えっ」


 軽く手を握られる形になったことで、そして何より彼女から発せられた声に、真夏は身動きが取れなくなった。

 一瞬本当に目覚めたのかと思ったが違った。菜々はまたすやすやと寝息を立て始めた。


「なあ……今」

「うん……」


 彼女の声を聞いたのは初めてだった。小さくて掠れた声だったが、確かに、真夏さん、と言った。

 寝言で、彼女自身の声で、


「俺を、呼んだ……?」


 瞬間、どうしようもなく彼女を抱きしめたくなった。

 この子可愛い……寝ていても可愛い。まだ幼いのに、天然のあざとさというか、不思議な魅力のある子だ。

 その寝顔に、自分の手を握りながら眠る彼女に、虜になってしまいそうになる。

 それと同時に、真夏の中にある感情が湧き出てきた。


「……あー、やば。興奮してきた」

「は?」


 怪訝な表情をする優雅だが、もはや関係ない。真夏の意識は目の前の少女にだけ向かっていた。


 抱きしめて、抱きしめてーーーー潰したい。

 この可愛い子を、原型をとどめないくらい、ぼろぼろにしたい。


 この手で。


「ぶっ壊してやる」


 狂ったところが見てみたい。可愛い、この子の。

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