9-1. 「やってくれるよね」
「もう一度聞くよ。夜桜へのハッキング、やるか、やらないか。YESかNOで答えて」
YESなわけがない。首を振ると真夏に肩を掴まれた。そのまま乱暴にベッドに押し倒される。ぼふっと音がして、菜々はなんの抵抗もせず真っ白なふわふわの羽毛ぶとんの中に沈み込んだ。
「へえ、これでも無反応なんだ。……優雅、はさみ」
「あ、ああ」
真夏が不機嫌そうに命令する。優雅は戸惑いつつも彼にはさみを渡した。
瞬間、勢いよく振り下ろされる銀色の刃。びくっと萎縮し、目を瞑る菜々の頬の真横に刃が突き刺さる。
「……あー、切れちゃったね、髪の毛」
言われて初めて目を開けた。えっ?切れた……!?確認しようと左手を動かしたところで、再び彼の手が振り上げられる。
あっと思った時にはもう遅かった。浴衣の左手の腕の裾に刃が突き刺さっていた。まるでベッドに縫いとめられるように。
「動くな」
「……」
正直、引いた。どん引きだ。少しでもずれたら腕を貫通していた。破れた浴衣とはさみの方に視線をやったまま、菜々は固まっていた。これは迂闊に動いたら殺される。いや、特に暴れたりする気はないのだが、真夏には伝わらなかったようだから仕方ない。
「優雅、手……押さえててよ」
気怠げに菜々の細い腕を片手でまとめる真夏。
優雅は躊躇いながらも、その腕を受け取った。そうして初めて分かった。彼女に抵抗する気など全くない。その腕はだらんとしていて全く力が入っていない。優雅と目が合うと、ぱちぱちと二度瞬きした。その表情は怯えているというよりは真顔か、ぽかんとしている感じで……
こちらが心配になるくらいだった。刃物を振り回され、髪や服を切られ、手を拘束されそうになっているにも関わらずこの反応……?
それでもやらないわけにはいかなかった。優雅もまた、恐怖していたのだ。真夏のありえないくらいの狂い度合に––––。
優雅は頭上で両腕をクロスさせるような形でベッドに押さえつけた。心の中で菜々に謝りながら。
「うーん、これも邪魔なんだよね」
菜々の腰の上に乗った真夏が、手に持っていたはさみで彼女の浴衣の帯をじょきじょきと乱暴に切り裂いていく。邪魔?なにが?どうして切るの?とりあえずなにかを切りたい気分なのだろうか。いじめられていた時も体操着が切られていたことはあったし……でも一応お気に入りの浴衣なんだけどな。そんなことを考えつつ、菜々はきょとんとした表情のままそれを見つめていた。
真夏は帯のなくなった浴衣の前を思い切り開いた。はだけた浴衣の下はスリップだった。白いレースのついた裾を手に取り、容赦なく切らんとする真夏。
「はっ……」
やっとその意図がわかったのか目を泳がせ、慌てて何か言いたそうに口を開き息を吐く菜々に、真夏はニヤリと笑って刃先を見せつけた。
「いい子だから……そのまま動かないでね、危ないから」
わざと菜々の耳のすぐ横でしゃきっと音を鳴らす。反射的に顔を背けるとぐっと乱暴に髪の毛を掴まれ無理矢理上を向かされた。
「ゔ、っ!」
痛みに顔を歪ませ呻く菜々の目のすぐ先に刃の先が突きつけられる。凍りつく菜々の髪を掴む手に更に力を込め、息を切らした真夏は少し口角を上げて。
「……ちゃんと見てろよ」
手を離されてもまだ頭に残る痛みと恐怖に涙が溢れ出る。菜々は自分の浴衣がゆっくりとはだけさせられていくのを、インナーに着ていた白いキャミソールワンピースがゆっくりと見せつけるようにはさみで切られていくのを、ただ震えながら見ていることしかできなかった。
そうして完全に切り裂かれたキャミソールの前を開かれ、下着を身につけただけの姿にされた菜々の白い柔肌に真夏の手が伸びる。
「やっぱ細いね。ちゃんと食べてる?てかこれ普通に手で折れるんじゃね、腕とか肋骨とか」
折れる……?え、折られるの!?真っ青になる菜々の脇腹を、素肌を、真夏はにやにやと笑いながらねっとりと撫で回していく。
「さあて、どうしようかな?」
「……??……?」
嫌だ……この感覚。ぞわぞわする、くすぐったい、嫌だ、気持ち悪い……怖い。
「ははっ、めちゃくちゃ怯えてるじゃん。ほら大人しくしてろよ、気持ちよくしてあげるからさ」
真夏は女子中学生相手としてはまずいであろう言動を平然とやってのけた。しかし菜々のほうはそれに突っ込みを入れる余裕などないわけで。
目が回りそうだった。全身を駆ける刺激と嫌悪感、それから意識が飛びそうになるほどの恐怖に、菜々は泣き噦り喘ぎ呼吸困難を起こしかけながらも頭上の優雅に視線を向けて必死に助けてと訴えかける。優雅は一瞬戸惑ったようだったが結局すっと目を逸らされてしまう。
優雅の方も、決して無視したわけではなかった。やりすぎだとわかっていたからこそ、罪悪感で限界だったのだ。取り乱した菜々の顔を見ていられなくて、かといって手元を見ると、抵抗する気力さえないと知っていながらも折れそうなほど強い力で押さえつけている彼女の細い手首、そしてそこにはあの時プレゼントしたブレスレットが輝いていて……そう、彼女をあの場所に連れてくる口実、そしてせめてもの罪滅ぼしのためという理由だけで買ったブレスレットが。
これをあげるとき、彼女に言った言葉。こんなに幸せな気持ちでプレゼント選ぶのは初めてだった––––あれは嘘だ。本当は、真逆の気持ちだった。こんな最悪な気持ちでプレゼントを選んだのは初めてだった。
ただひたすらに、罪悪感。
けほけほ、と咳き込む菜々の首に、追い討ちをかけるように手をかける真夏。目を見開く菜々だったがすぐ更に酷く咳き込んでしまう。
「あー菜々ちゃんダメだよねこういうの。呼吸器系責めたらガチで死にそうで怖いわ」
そう言いながらも真夏は笑って両手で菜々の細い首に圧力をかけ続けた。頸動脈と気道、喉仏を的確に指圧する、本格的な首絞め。そのうち咳をすることもできなくなり、喉のあたりでぐっと呻くような音を立てるだけになった。
すごい力で押さえつけられていて、嚥下することさえできない。苦しい……でも。
菜々は呼吸しようとすることを諦め、そっと目を閉じた。ここで殺されるなら、もうそれでいい。玲香ちゃんを、夜桜屋を守って死ねるなら、それで……
「真夏、やばいって!真夏!?」
耳鳴りとともに、優雅の声がどんどん遠ざかっていく。もう限界だ、と思った瞬間ふっと圧力がなくなった。酸素を吸い込んで派手に咳き込みえずく菜々の手首を、泣きそうな表情で目を背けながらも必死に押さえつける優雅。
「どう?菜々ちゃん」
どうって、何が。口の端から胃液混じりの涎を垂らし、ぜいぜいと息をしながら、焦点の合わない目で真夏を見つめる菜々。聞かなくても見ればわかることだった。もう十分すぎるほど、菜々は心身ともに傷ついていた。
「君がいうこと聞いてくれないからだよ?嫌なら嫌って叫んでみなよ大きい声でさあ!」
苦しんでいる菜々を見下ろして、たかが外れたように笑う真夏。菜々は口を開きかけて、やめた。そもそも頑張って精一杯大きい声を出したとしても今の彼には届かないだろうと思ったから。そもそもまともに声を発することさえできないことは真夏にもわかっているはずだった。
ここまで来ると酷いと思うより先に、狂ってる、と思った。手は震え額には汗が浮かんでいる状態で笑っている。悪霊どころじゃない、怖すぎる、なんていうか明らかにハイになってる……本当に何をされるかわからない。本人は無自覚かもしれないが、顔を真っ黒に塗りつぶしたくなるくらいには……狂っていた。
「ああもう仕方ないなあ、これが最後のチャンスだよ。やってくれるよね、夜桜ケイちゃん?」
限界だった菜々はぐったりとしていたが、その言葉でなんとか意識を保てた。それから何度も頭の中で反芻する。ケイ––––夜桜ケイ––––わたしは––––夜桜––––
「……おい答えろよっ!」
なにもリアクションのない菜々にしびれを切らした真夏が手を大きく振り上げる。はっと体を硬くしぎゅっと目を閉じる菜々––––
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