10.「すごい本を見つけたんだ」

「もしもし、桜町3丁目のスターモール横のコンビニのとこにタクシーを一台、今すぐお願いします。……山下です。はい。よろしくお願いします」


 タクシーなんて初めて自分で呼んだ。玲香はスマホを鞄にしまうと、パソコンに向き直った。


 玲香がまずいちばんにしたことは、菜々が今どこにいるか特定することだった。大体菜々のスマホを追跡すれば大丈夫なのだが、どうやら電源が切られているらしい。


 しかしまだ詰みではない。花火大会の穴場を見つけたという話をしたあのとき、玲香は彼らのtwinアカウントにログインできるよう少し細工をしていたのだ。念のため、と言った感じだったがまさか本当に役に立つとは思わなかった。


 真夏のスマホを追跡すると、結果は御井豆島の山の中。何故そんなところに……と思ったが、ふと数日前のチャットでの会話を思い出した。優雅が御井豆の山の中に別荘を持っていると言っていた。多分……いや、かなりの確率で、そこだ。


 菜々は玲香の動きを完全に読んでいると思い込んでいる。実際彼女はよくやっていた。さすが自分が教えただけあると思ったし、何より彼女は自分のやり方を熟知している。しかしいくら菜々でも、まさか玲香が対抗しながら場所を特定して地図で確認、タクシーまで呼んでいるなんて思いもしないだろう。


 自分が不利になることは知っていた。しかし夜桜も菜々も両方守りたかった。攻撃を防ぐよりも一刻も早く彼女のもとに向かうという玲香の選択は、悩み抜いた末に優先順位を決めた結果だった。

 夜桜は壊されてもいい。評判なんてどうでもいい。彼女さえ無事ならそれでいい––––


 立ち上がり、カーテンの隙間から外の様子を覗く。ちょうどコンビニの駐車場に黒いタクシーがバックしているところだった。

「きたっ」

 リュックに財布とピッキング用のセットとステッカーだらけのノートパソコンを突っ込み、玲香は家を飛び出した。階段を駆け下り、コンビニまでダッシュする。タクシーの運転手に見えるように軽く手をあげると、ドアを開けてくれた。

「山下さんですね」

「はい、お願いしますっ」

「ええと、今日はどちらまで……」

「御井豆島町高田のここのコンビニまで。急いでください!」


 スマホで運転手に場所を示してからパソコンを広げ、キーボードを叩く。もう一度地図を確認したがやはり目印になる場所で最寄りと言えばここのはずだ。山を少し登ったところにある小さい町で、買い物できる場所も……というかそもそも目印が少ない。


 場所があっていることを確認すると地図を閉じて、夜桜を守るべくまた震える手でキーボードを叩く。管理者権限をそう簡単に渡す気はないが、パスワードを『tasukeniikukaramattete』、つまり『助けに行くから待ってて』に変えておいた。


 目的地のコンビニに着くと一万円札を運転手に押し付け、「お釣りは要りません!」と映画の中のような台詞を叫ぶと迷わずさらに奥の道へと走った。以前チャットで優雅が白いベンツに乗っていることを話していたのは覚えていたので、その目印と地図を頼りに走っていると、一軒の家を見つけた。3階建ての白くて大きな家で、駐車場には白いベンツが止まっている。表札は––––白鳥。

 間違いない。


 インターホンを鳴らしても無駄だということはわかっていた。窓ガラスから中の様子を見ようと庭に入ってみると、換気のためなのか開けてある窓があった。玲香は近くにあった椅子と空の植木鉢を踏み台にして、迷わず窓枠に足をかけた。


 案外簡単に侵入できた……警備がしっかりしていそうなので鞄の中のピッキング道具を使わずに済んだことにほっとしながらも、気を引き締めてそっと着地する。そこはキッチンのようで、シンクを見ると水で濡れていた。さっきまで確かにここに人がいて、流しを使っていたことがわかる。それでなくても空調が効いている時点で人がいるのは明らかだ。


 分かってはいたが、かなり広い家だ。洗練されていて、お洒落で、値段が高かっただろうということもわかる。リビングには大きな窓があり御井豆の町や海を一望することができた。見上げると吹き抜けの天井にファンがゆっくりと回っていた。


 一階に人の気配はない。玲香は音を立てないよう細心の注意を払いつつ階段を上った。二階にも数個部屋があるようだがどこの扉をあければいいのかわからない。どうしよう、向こうが音を立ててくれたら––––そうだ。


 玲香はいつものチャットを起動し、真夏との個人トークルームを開く。自分のスマホがマナーモードになっているのを確認してから送信ボタンを押した。


 〔真夏さん〕


「あ、なんかきた……玲香ちゃんからだ!」

「えっ、まじで」

 真夏と優雅の声。目の前の扉の向こうから聞こえた。

 迷っている暇などなかった。ほとんど反射的に、玲香はドアノブに手をかけ、思いっきり扉を開け放った。


「菜々ちゃんを返せ!!!」


 そこで玲香が見たものは、こちらを向いてフリーズしている真夏と優雅、ベッドに投げられた菜々の浴衣、それから見覚えのないぶかぶかのグレーのパーカーを着てPCの前に座る菜々の姿だった。足とベッドをロープを結ばれていた痕跡があるが紐は切られている。しかし菜々はそれでも逃げ出そうとはせず、困惑したような表情でただ玲香を見つめていて……

「菜々ちゃん!」

 思わず駆け寄ってその手を取ると思いっきり抱き寄せた。菜々を捕らえようとした真夏の手が一瞬遅く宙を切る。そのまま玲香は素早く菜々を守るように背後に回し、真夏と優雅を思いっきり睨みつけた。


「よく来たねぇ、玲香ちゃん。……いや、訂正。来るとは思ってなかったよ」


 何が起こったかわからないと言った顔であたふたしている優雅の隣で、笑みを浮かべて立ち上がる真夏。じわじわと間合いを詰めてくるその目つきはいつもの彼のそれではなかった。目的のためなら手段を選ばないような……正直、ぞっとした。


「どうしてここがわかったんだい?」

「それは……秘密です」

「ふぅん。秘密ねぇ……まあ言われても俺らにはわからないだろうけど。そうだ、それよりサイトの方はどう?菜々ちゃん結構やってくれてたけど」

「知りません、途中から放ってましたから。てかどうでもいいですそんなの……。夜桜が目的なら、初めからそう言ってください。どうして菜々ちゃんを……色々ハンデがあるのも知ってるでしょう。やめてとも助けてとも伝えられないの知ってて……卑怯じゃないですか!」

「夜桜をやめさせるためだよ。だって危ないじゃないか。それにこの子は警戒心がなさすぎるんだよ。ますます危ない。……君たちのことを思ってのことだよ。なあ優雅?」


 優雅に語りかける真夏だが、優雅は信じられないといった顔で彼を見ていた。


「嘘ですよね。だってもし本当にそうなら警察なりなんなりに通報するか、私たちに直接言ったはず。それをせず誘拐って方法を選んだのはどうしてですか。矛盾しませんか?馬鹿にしないでください」


 握り締めた拳を震わせながらも、思いっきり真夏を睨みつける。と、真夏がぼそっとつぶやいた。


「あの本のためだったんだよ」

「あの本って?」


 玲香は思わず聞き返した。 が、


「あの本!?……前真夏が話してた」


 優雅には通じているようだ。しかもかなり驚いている。


「なんですか?あの本って……」


 本がどうかしたのだろうか。その本と菜々の時計に何か繋がりが?玲香と菜々に、真夏は話を切り出した。


「……あのね。俺たち、すごい本を見つけたんだ」


 ––––さて、彼女たちはどこまで、自分の話を信じてくれるだろうか。

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