4-1.「大切なお姫様なんだから」

 桜中学校の教室にて。


 玲香は筆箱を手に取るとリュックを背負い、急いで教室を出た。廊下を小走りで進み、突き当たりの螺旋階段のところで少し先を歩く菜々の姿を捉える。菜々のリュックのチャックが開けっぱなしになっているのを確認すると、玲香はその位置から筆箱を菜々のリュックに向かって投げ入れ––––


「はいカット!!」


 廊下にクラスメイトである高橋悠人の声が響く。瞬間、菜々が階段を駆け上がってきて玲香に抱きついた。


「お疲れ様、15回で成功だね!!」


 ビデオカメラを片手に手をあげる悠人。3人でハイタッチを交わし笑い合う。


「入ってよかったー、もっと撮ってもらうことになると思ってたから」

「15回で入ったのは奇跡だよ、テイク200超えてるシーンもあるんだぜ」


 この日撮影していたのは、文化祭の出し物である「バカッコイイ動画3ーC」で流す動画だ。シャーペンを叩いて2つ後ろの席の子の机に飛ばしたり、傘をロッカーの上でスライドさせるように投げて傘立てに入れたり、校舎の3階の窓から後ろ向きにペットボトルを投げて下を歩く掃除係のゴミ箱に入れたりする。


やってることはバカだけど決まったらカッコいい、というのがこの動画のみどころである。クラスメイトは全員出演することになっていて、玲香と菜々は「筆箱を忘れて帰ろうとしているクラスメイトのリュックに筆箱を投げ入れる」というシーンを担当していた。


「さて、あとは編集係の立花さんに渡していい感じに動画にしてもらうから。今日はもう帰っていいよ、お疲れ様」

「うん、お疲れ様。よろしくね」

 〈おつかれさまです〉


 荷物を纏め、2人並んで階段を降りる。下駄箱で靴を履こうとしたそのとき、後ろから「山口さん!織野さん!」と叫ぶ声。振り返ると自分たちを走って追いかけてくる森川ゆいの姿が……


「うわ、絶対この間の」


 玲香の予感は当たっていた。


「ねえねえ山口さん!お兄さん紹介して!お願いっ」


 キラキラ目を輝かせて可愛くポーズをとるゆい。お兄さんじゃないのよ……なんで今更言えるわけもなく。


 〈お兄さん?玲香ちゃんお兄さんなんていたの!?〉


 菜々が慌てて手を動かす。あああそうだ菜々には説明してなかったんだ……


 〈ごめん、真夏さんのこと。後で説明する〉


 手話で返してため息をつく。面倒なことになってしまった……


「え、なになに?わかんないよー」

「あーごめん。ええとね、お兄ちゃんはもう付き合ってる人いるから……」

「えー……そうなの?」


 本気で残念そうなゆい。というかよりによって真夏に一目惚れなんてどうかしている……さては不良キャラ、というかチャラい人が好きだな?髪を真っ赤に染めてる人なんてそうそういないから。


「でもかっこいいお兄さんでほんと羨ましいな。仲も良さそうだし」

「お兄ちゃん、そこまでいい人じゃないよ。変人だし常にテンションおかしいしゲームオタクだしアイミ命だしウインク下手だし」


 もちろん本気でそう思ってるわけじゃない。これは照れ隠しみたいなものだ。なんとなく頬が熱くなるのを感じつつ、玲香は踵を返した。


「……じゃあ、そういうことで。私は帰る」

 ローファーをはいて、頭の上にはてなマークをいっぱい並べている菜々の手を引いて歩く。その後ろをゆいが小走りでついてくる。


「ねえ、連絡先だけでも。だめ?」

「だめ」

「SNSのアカウントは?」

「だーめ」

「あ、SNSやってるんだ。真夏さんだったよね、探しちゃおうかな」

「そこまでして連絡したいの?」


 校門を出たところで立ち止まり、振り返る。


「さすがにいきなり連絡先知ってたらびっくりされるだろうから、今度言ってみようか」

「いいの!?」

「聞くだけだし。ねえ菜々ちゃん、いいと思う?」

 〈いいと思う!お友達ふえるのはいいこと〉


 にっこり笑う菜々。と、そのとき。


「玲香ちゃん!菜々ちゃん!」


 遠くから自分たちの名前を呼ぶ声。振り返ると道の向こうに真夏が立っていた。


「……あっ」


 噂をすればなんとやら。

 スターモールの買い物袋を持っているところを見ると、夜ご飯を買って帰る途中なのだろう。玲香は真夏に向かって手招きした。それに反応して、歩道橋の階段を駆け上がる真夏。やがてゆいの姿を捉えると、色々と察したようで「ゆいちゃん、久しぶり」と声をかけた。


「ええと玲香のクラスメイトだったよね。いつも仲良くしてくれてありがとね」

「真夏さ……お兄ちゃん。森川さんが連絡先教えて欲しいって。twinのアカウントとか」

「……twin?」


 一瞬だけ真夏が固まった、ように見えた。やっぱり嫌だったかな、連絡先聞いていいとか言って悪かったかな、と思ったが、真夏はすぐに表情を変えて。


「いいよ、もちろん!」

「やった!ありがとうございます……!」


 ぱああっと笑顔を輝かせるゆいは、彼が本当は兄でもなんでもないということを知らない。


「……え、Mafuyuちゃん?……ネカマ?」


 ゆいの一言で思い出した。そうだ真夏はネカマガチ勢だった。真夏が先ほど固まっていたのはtwinアカウントを渡す雰囲気にされたことが嫌だったのではなく、ネカマをしていることがばれるからだったのだろう。


「あー、うん、そうだよ。なんかこう言うノリ楽しくてさあ」

「そうなんですね……」


 少し俯くゆい。さすがに引いたのかと思いきや、ぱっと顔を上げて、きらきらした瞳で。


「素敵!ネカマやってる人初めて知り合えました!!」

「……え?」


 これにはさすがの真夏も驚いた。この反応は想定外だった……


「てかアイドル好きなんですね!アイミちゃん……御井豆ご当地アイドルやってる子でしたっけ。噂には聞いてるけど」


「あー、うん。そうだよ。ご当地アイドルはそんなにチェックしないか。仕方ない仕方ない……でもマジでアイミちゃんは超絶可愛いから!ピンク担当の子なんだけど」

「えー、ほんとだ。かわいい!」


 スマホの画面、真夏のtwinのプロフィールや投稿を見ながらゆいは楽しそうだ。ドン引きしてもおかしくないくらいなのに、絶対フィルターがかかっている。ただのアイドルオタクだとは思わないのだろうかと玲香はため息をつく。菜々もアイミ好きなので、菜々の手前そんなことは言えないが。


 ほぼ初対面なのにもう打ち解けて、盛り上がる真夏とゆいを、玲香は複雑な気持ちで見つめていた。


「玲香ちゃん、元気ないね」


 帰り道。菜々は通院日で病院へ行き、ゆいとも別れた後だったため真夏と二人きりで歩いていた。このまま家まで送ってくれるという真夏の好意に甘えた玲香だったが、まさか元気がないことまで気づかれる展開になるとは。


「そ、そうですか?」

「うん、なんとなく。なんかあった?」

「……別に」


 彼のせいだなんていえない……玲香がうつむいていると。


「もしかして俺のせい?」

「……え」


 思わず立ち止まってしまった。図星だ––––


「俺がゆいちゃんと仲良さそうに話してたから妬いちゃった?」

「そ、そんなわけ!」


 ニヤリと笑う真夏。慌てて否定するが、もうそれは否定することで肯定しているようなものだった。一気に顔が熱くなる。

 と、真夏の大きな手が、ぽんぽんと玲香の頭を撫でた。


「玲香ちゃんはさ、完璧すぎなんだよ」

「え?」

「中学生とは思えないっていうか……言葉遣いとか中学生だとは思えないほど大人っぽくて、菜々ちゃんのことも守ってて。逆にいうと、全部一人で抱え込んでる」

「……そんなこと」

「ううん、俺らからはそう見えてるの。黒木兄弟とも話したし……みんな玲香ちゃんのこと褒めてたけど、心配してた」


 ––––そんなこと、初めて言われた。


 小さい頃から両親の仕事の影響で、家に一人でいる時間が長かった。だからしっかりしなきゃいけなかった。菜々と一緒にいることが多くなってからも、虚弱体質で声が不自由な彼女をサポートし守らなければならなかった。


夜桜のことだって、大人……というより菜々以外の他人には一切言えるわけないから、自分がしっかりしなければならなかった。技術はもちろん敬語やマナーも全部自分で勉強した。


「たまには甘えていいんだよ。っていうかもっと甘えてほしい。玲香ちゃんはチャット仲間にとっても俺にとっても、大切なお姫様なんだから」

「……ありがとうございます」


 素直に、嬉しかった。顔が熱い……だけど、嬉しかった。とてつもなく、嬉しかった。親にももっとしっかりしなさいと言われるばかりで、そんなふうに言ってもらえたことがなかったから。


「真夏さん……やっぱり、好きです」

「ぐへ、ありがと」


 照れて頭をかく真夏の横で、玲香は真夏たちに出会えたことを心から幸せに思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る