0-3.「プロポーズだよ」
ガチャリ、とドアの閉まる音がするのを確認してから、玲香は菜々の方に向き直った。
「……ってことで、ここは私たちの天下になりました!好き放題していいし、家の中のものはもちろん、私のために作ってくれてる通帳のお金だって自由に使っていいんだよ。お父さんが海外で働いててさ、有名なIT企業だからお金はあるんだ。あっそうだ、今日泊まってく?」
〈れいかちゃん、テンションたかい〉
菜々がメモ帳を向ける。うう。隠し切れてなかったか。
「久々だよ、楽しいことなんてなかったから」
〈おとまりしたい。でもお母さんにメールしなきゃ〉
「そうだね、一応しといた方がいいかもね。着替えどうする?パジャマは私の使っていいんだけど、下着は替えたいよね。菜々ちゃんち遠いから面倒だし買いに行かない?」
〈おさいふもってない〉
「あれ?言わなかったっけ。ふふふ、お金ならあるのさ。……あと」
言おうかどうしようか迷いつつも、玲香は口を開いた。
「菜々ちゃんの声、可愛いね。初めて聞いた」
「!?」
みるみる菜々の顔が真っ赤になる。やはりあれは––––名前を呼んでくれたのは、無意識の寝言だったのか……
〈か、かわいい……!?〉
「うん」
〈……はじめていわれた。ありがとう。なんていってた?〉
「私の名前を呼んでくれた……んだと思う。多分」
〈聞きとれなかったでしょ〉
「大丈夫。私はずっとこの静かな部屋に引きこもってるから平気!それに私は好きだな、菜々ちゃんの声。ずっと聞いてたいくらいには好き」
「……!」
真っ赤になった顔からさらに湯気が出そうな勢いで菜々が照れている。可愛すぎる……でも本当のことだ。何だかもう、声でも髪の毛でも汗でも、彼女から生まれたものなら全て愛おしい。
「大丈夫、菜々ちゃんはそのままでいいよ。私も手話勉強したいし、てかするし」
〈ありがとう、玲香ちゃん〉
嬉しそうな菜々の笑顔につられて玲香もふわりと笑った。
それからは遊びまくった。お買い物をして、その帰りについでに映画を借りて、家に帰ってふたりで観て、ボードゲームをしてクイズをして……
玲香は菜々が笑顔でいてくれることに安心していた。しかし同時に無理しているのではないかと思って心配でもあった。
春休みに入っても菜々は玲香の家に半同棲する生活を続けていた。たまに菜々の母親も来て、食費などを賄うためのお金を渡すついでにみんなで話したり食事会をしたりした。
ふたりの距離は確実に縮まっていた。お互いにとって、それまでで一番楽しい春休みだった。
そして––––進級して小学6年生になり、春休みがそろそろ終わるという頃のある日の夜––––玲香は菜々と近所の公園に遊びに来ていた。
菜々が夜桜を見に行きたいと言ったのがきっかけだった。もちろん夜に外に出たことを文乃に知られたら怒られるのは目に見えているので、内緒で……という具合である。
親の言いつけを破ることにドキドキしながら、手を繋いで街頭と月の明かりを頼りに夜の川沿いを歩く。
公園に着くと、目に飛び込んできたのは白だった。満開の桜たちが街頭にライトアップされて白く浮かび上がっていた。玲香と菜々はその木々の中でも一番大きな桜の麓のベンチに座った。
「6年生になるね。小学生も最後だよ」
〈そうだね〉
夜の静かな空気。なんだか新鮮な感じがする。こんな時間に外に出たことなんてなかったし……
〈6年生になっても、わたしいじめられっ子のままなのかな〉
向けられた携帯電話の文字を読んで、玲香はどきっとした。菜々もなぜそんな話を振ってしまったのか、言ってしまってから後悔した。
「どうだろう……明日香ちゃんと同じクラスにならなければ大丈夫だと思う。……菜々ちゃんは何も悪いことしてないのに、何でいじめなんてするんだろうね」
〈違う。わたしが悪いの!〉
玲香の腕を掴む菜々。玲香ははっと息を飲む。
〈わたしは結局何もできない小学生だよ。得意なことがあるわけでもないし、いじめられてるし、喋れないし、家にも居場所はない。ずっとひとりで、なんのとりえもないただの小学生。いてもいなくてもおなじだよ。いじめっ子たちのいう通り、わたしなんて死ねばいいんだ……〉
そんなことを言われたのか。玲香は夜空の遠くを見つめながら思った。
許せない。自分は彼女に救われたと言うのに。死ねばいいのは、あいつらの方だ。いっそ……
「……しちゃおう」
俯いた玲香が小さく呟いた。え?と首を傾げる菜々。
〈今、なんて〉
「壊しちゃおう。全部。私たちの手で」
顔を上げる菜々。ふたりの目が合った。玲香の目は力強く、菜々は圧倒されそうになる。
「なにもできないなんて、そんなことない。菜々ちゃんにしかできないことも、私にしかできないこともきっとある」
〈私たちにしかできないこと……?〉
「そう。たしかに現実では私たちは弱いかもしれない。ただのいじめられっ子でしかない。でも、例えばインターネットの世界ではどう?私たちがいじめられてるとか、まだ小学生の子供だなんてわからない。何にだってなれるんだよ。だからさ……ふたりで力を合わせたらできないことなんてないよ。私たちは弱くなんてない。なにもできない子供じゃない。それを証明しよう、ふたりで」
具体的には何をするのか、それは現実的なのか。費用は?考えれば、玲香の言ったことは現実味のない、夢物語というか机上の空論のようなものだったのかもしれない。それでも菜々にはそんなこと考える隙もなかったし、どうでも良かった。ただ彼女のその力強い目と想いに心を動かされたのだ。
〈うん……証明しよう、ふたりで〉
桜が、舞う。
ライトアップされた桜が、風に吹かれてひらひらと、雪のように白く––––私たちを祝福するように。
「夜桜……なんてどうかな」
〈何が?〉
「チーム名だよ!」
〈やだ、人数増やすの?〉
「増やさないよ!決まってるじゃん。永遠に、ふたりだけのチーム」
〈なんだ、よかった。わたしも玲香ちゃんとふたりがよかったの〉
そう言って笑う菜々の耳に、玲香はそっと囁いた。
「プロポーズだよ。菜々ちゃんが好き。ひとりになんてさせない。あなたと夜桜に一生をかけるって誓う」
〈わたしも……玲香ちゃんが好き!ひとりになんてさせない。玲香ちゃんと夜桜に一生をかけるって誓う〉
「手段は選ばない。もしかしたら違法なことをするかもしれない。それでも裏切らないでいてくれる?一蓮托生でいてくれる?」
〈もちろん!どんなことがあっても絶対に裏切らないし、どんな運命も受け入れる。玲香ちゃんと一緒なら〉
「菜々ちゃん……」
手を取り合い、見つめあって微笑む。いっそこのまま時間が止まってほしいと思った。玲香の後ろに見える桜が、その舞い落ちる花びらが、空中で止まってくれないかと。永遠にこの時を止めてくれないかと。
「……菜々ちゃん、泣いてる」
玲香の声ではっとした。泣いてる?わたしが……?
彼女の顔が近づいてきた。涙を拭ってくれるのかと目を閉じた菜々が感じたのは、自分の唇に彼女のそれが重なる、柔らかな感触だった。
一瞬が永遠に思えた。本当に時が止まった、ように感じた。
「菜々ちゃん。……宇宙が滅びても、あなたを愛してる」
〈わ、わたしも……宇宙が滅びても、愛してる、玲香ちゃん〉
泣きながらうなづく菜々に、えへへと照れたように笑う玲香。どちらからとも言わず、ふたりは抱きしめあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます