23.「"何度でも繰り返す"」
優雅がバスルームに行っている隙に菜々はこっそりとドアを開けた。優雅もまさか自分がが逃げるなんて思ってもいないだろう。鍵はどこにあるか分かっていた。優雅のパーカーのポケットの中。
手には本と鍵、首には時計を下げて、手錠をかけられたままホテルの廊下を走る。外に出る前にフロントで係の人を呼び、絶句する彼女を急かして手錠の鍵を開けてもらった。
外に出るのは約1週間ぶりだった。新鮮な空気を吸い込んでから、分からない道を適当に走る。とにかくあのホテルから遠くへ、遠くへ。
逃げないといけないような気がした。確かに優雅は優しいが、彼と一緒にいてはいけないと思った。
しばらく走っていると、手に持っていた本が淡い光を放ち始めて立ち止まる。するとゆっくりと薄くなって……
––––消えた!?
慌てていると目の隅にちらりと人影が映り、先ほどまで存在しなかったはずの気配を感じた。反射的に振り向くとそこには髪の長い女性が––––そして何故か彼女が本を持っていた。
彼女は菜々を見るなり驚いたような顔になり、そのまま駆け寄ってきた。
「その時計……君の名前は?」
〈織野菜々です〉
「君の母親と、おばあちゃんと、ひいおばあちゃんの名前を教えて」
〈母は直子、おばあちゃんは多恵、ひいおばあちゃんは……おばあちゃんから聞いてたんですけど、トキコさん……だったと思います〉
「やっぱり!……君に話したいことがある。ちょっと聞いてくれるかな」
〈ええと、あなたは……?〉
「あたしは時子。君のひいおばあちゃんだよ」
〈え、え、ええ……!?〉
「その様子だとあの本とその時計でここまで来たんだね。……ありがとう、君が来てくれるのを待ってたよ」
〈どういうことですか……〉
「あの本と君の時計を作ったのは、あたしなんだ」
彼女の突然の告白に、菜々は息をのんだ。
〈どういうことですか……〉
「話、長くなるけどいい?」
にっと笑う時子。もちろんだ。菜々は頷いた。
「……あたしね、フランス人の彼と結婚したんだ。親には猛反対されだけど、あたし彼のこと好きだったから。それで多恵……つまりあんたのおばあちゃんを産んだの。でもね、彼はすぐ病気で死んじゃって……親とも縁切ってたから、あたしがひとりで育てていくしかなかったの。で、多恵が12歳のとき……あたしにも病気が見つかった。
3年生きれたら長い方だって言われて、あたしは毎日時計を握りしめて泣いてた。いつ心臓が止まるかわかんなくて、もしかしたら1秒後かもしれないって思うと、不安で眠れなかったりしてさ。まだちっちゃい多恵ひとり残して死ねないじゃん。……でも、泣いてばかりじゃいられないって思って、毎日お願いするようになったの。1秒でも長く生きられますように、この幸せがずっと続きますようにって。
そしたらある日、夢の中に死んだ彼が出てきて言ったんだ。君が毎日時計に向かってお願い事するものだから、その時計に不思議な力が宿っちゃったみたい……って。それからあたしが16歳の時からつけ続けてた日記……あれはあたしの人生そのもので、あの時計とその本があれば好きな時間に行き来できるからって。
それからあたしは探したの。何度も過去に戻って、多恵のためにも彼とあたしがずっと生きていられるための“正解”を……でもうまくいかなかった。何回も彼が死ぬのを見て、あたしも余命宣告を受けた。多分その運命は避けられないことだったのね。
そこであたしは、この本と時計を多恵に託すことを思いついた。日記はそれまで毎日つけてたんだけど、飛ばし飛ばしに書いていったの。あたしの死んだ先の、未来の日付を書いて……。本の日記が続く限りの時間をこの時計で行き来できるなら、未来の日付を書くことで時計で行き来できる時間の幅が広がるんじゃないかって思ったから……。
それでどんどん未来の日記を書いていった。とりあえず日付だけでもその本に残しておいた。で、書いていくうちに気づいたの。あたしがその本に書いた時間になら、あたしが飛ぶこともできるんじゃないかって。
結果、あたしは飛べた。あたしがもうとっくに死んでるはずの3年後に飛べたの。信じられなくて嬉しくてもう3年先に飛んだ。それでもうまくいった!……でもそれもたまたまかもしれない、もしかしたら6年後にもあたしはまだ生きてた、それだけの話かもしれない。だからそれ以上未来に行くことはしなかった。あたしが死んで居ないはずの未来にあたしが行くことでどんなことが起こるのか、わからないし怖かったから……。
あとね、最後に飛んだ先はなぜかフランスだったの。いちばんに思い浮かんだのは彼のことだった。でも、ふと前を見たらなぜか多恵がいて……あたし、慌てて隠れちゃった。
今思えば多恵はフランスに留学してたんだと思う。あたしがフランスの話をよくしてたから。お父さんがフランスの人って聞いて興味持ってくれたんだろうね。
あ、ごめん、話逸れたね。隠れた瞬間、あたしが手に持ってたはずの本がキラキラーって消えちゃったの。パニクってたら日本人の青年がふたり、後ろに立ってるのに気づいてさ。その子たちがあの本を持ってるのを見て––––あたし、びっくりして。思わず話しかけたよね。何年何月何日からきたか聞き出して、そしたらあたしが日記に書いてた日付を言ってたからああやっぱりって思った。それからその本を貸してもらうように言ってね。……まさに今、この時に飛んだの」
〈え、じゃあ時子さんは……たった今フランスから帰ってきたばかりってことですか?〉
「そうだね……そうなるね」
〈……そこで出会った青年二人の名前は〉
「黒木リョウとカイト、だ」
––––カイトさんとリョウさんだ!
〈知ってる人です!未来で仲良くさせてもらってる人〉
全てが繋がった、気がした。
「私はこれからフランスに戻る予定だ。あの青年ふたりに私の時計を多恵に渡してもらうようにお願いしなきゃだから。……菜々も何か伝えておいて欲しいことはあるかい?知り合いなんだろ?」
そう言われて、菜々は考えた。
〈わたしの名前と、……わたしは夜桜屋のケイだと伝えてください。彼らはわたしとはまだ出会っていないので、わたしが言っていたということは伏せて、時子さんがもともと知ってたことにして〉
「夜桜屋?なんだねそれは」
〈わたしの大好きな人との、大切なものです。なおかつ大切な秘密……。でも夜桜屋のせいで、カイトさんとリョウさんの大切な友達はばらばらになります。わたしも、大好きな人と仲違いします。だからなんとしてでも……〉
そこまで言いかけて、ハッとした。これだと歴史が繰り返すだけなのではないか。時子はこれからフランスに戻り、夜桜屋の正体とそれをなんとしてでもやめさせるように、でなければ大変なことになる、大切なものを失うことになる––––
そうカイトたちに伝える。そして、それはおそらく自分が経験してきたことと同じことを引き起こすことになる。
やっとわかった。カイトたちが手荒な手段を使ってまで夜桜を壊そうとしていた理由。それは正真正銘あのチャットメンバーみんな、それから菜々と玲香のためだったのだ。
〈ごめんなさい、少し考えさせてください〉
時子に断って、菜々は考えこんだ。
この未来を大きく変えられるとしたら今しかない。でも––––変えるためには何を伝えてもらえば良いのだろう。わからない……
そうだ、何も伝えなければ?自分の名前も夜桜のことも、何も伝えて貰わないという手がある。もしくはこの本を処分する様に伝えてもらえばきっと全ては元どおりだ。カイトたちが菜々の名前や夜桜のことをを知ることもない。
菜々は今まで通り玲香と活動を続けて、カイトたちも本に振り回されることなく真夏や優雅たちと楽しいキャンパスライフを送れて……でも、あれ?もし処分してもらったらこの本はどうなるのだろう。未来にこの本がなくなった世界……何が変わるのだろう。それに何より––––チャットメンバーたちに出会えないのは嫌だ。
自分たちは夜桜がきっかけで出会えたのだから。
時子が今まで何度も繰り返し迷った分岐点と選んで来た道、今の自分たちはその上に成り立っている。
そう考えた瞬間、閃いた。
繰り返せば良いんだ。みんなで笑い合える青春を、この奇跡のような出会いを––––幸せな時を何度でも繰り返す。
大好きな玲香のことも、夜桜も、カイトもリョウも優雅も真夏も……そこにたどり着くための道を失い、本当の意味で「全てを失ってしまう」のを避けるために。
〈お願いします、伝えてください。“あなたの時代、あなたと同じ桜町に、織野菜々という女の子がいます。その子はその親友の山口玲香とともに夜桜屋という闇サイトを運営していて、そのせいで未来が狂ってしまいます。あなたたちは大切な親友を失い、菜々自身も最愛のパートナーを失います。だから殺すと通報する以外のどんな手を使ってでも、夜桜屋をやめさせてください。その子が持ってる時計とこの本は関係があるから、その二つがあれば過去を変えることだってできるから”って––––もちろん私がこう言ってたってことはいわないで、時子さんが元々知っていたことにして〉
加えて時子の発言に信憑性を持たせるために菜々は自分の個人情報をできる限り話した。親の職業、住んでいる場所、持病、学校等々。
「わかった。……メモもさせてもらったけど、これで良いかな?」
時子がメモ帳を見せてくれる。先ほど伝えて欲しいとお願いした内容が、一言一句漏らさずにメモしてあった。
〈はい。……あ〉
肝心なものを忘れるところだった。菜々は夜桜屋のURLとパスワードをスマホに打ち込んで時子に見せた。
〈これもメモして。伝えてください〉
「何だね……?この意味不明なな文字列は」
〈URLとパスワードです。夜桜屋のサイトにたどり着くための〉
「よくわからないけどわかった。……確かに伝えておこう」
〈よろしくお願いします〉
夜桜もチャットメンバーも、どちらも大切でどちらも捨て切れないが故の選択だった。
決めた、わたしはあの夏を、永遠に繰り返し続ける。玲香がいて、夜桜屋があって、カイトやリョウ、真夏や優雅とも知り合える、奇跡のようなあの夏を––––
パラレルワールド、というものをわたしは信じている。
幾つもの分岐点で、選ばなかった「もう片方」の道を選んだ世界。
その世界はどんなものなのだろうか。今隣にいる大切な人は、その世界でも変わらず隣で笑ってくれているだろうか。今仲良くしてくれている友達とは、出会えているのだろうか。
例えばその日何時に起きるかとか、寄り道するかしないかとか、ちょっと気になってる人に声をかけるかかけないかとか。
ほんの少しの選択の連続が、今を作り出している。
つまり今わたしが生きているこの世界は「その道を選んだ」という無限分の1の奇跡の連続の上に成り立っている––––
歴史はまた、繰り返し。
世界はいくつも作りあげられていく。
––––終わらない物語が、始まる。
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