3-1.「それが、私の生きる意味」
真っ暗な部屋の中、モニターの明かりがふたりの顔を青白く照らす。
玲香と菜々はそれぞれお揃いのマイク付きヘッドフォンをつけていた。
「聞こえる?」
菜々の囁き声でも大きく聞こえるよう、玲香は音量を調節する。こうすることで作業中に菜々の手話を読み取らなくても菜々の声を拾える。
「聞こえる。いい感じ。そっちは?」
「聞こえる、こっちもいい感じ」
マイクの調子は良いようだ。全ての準備は整った。玲香は自分の気持ちを落ち着けるように、一度だけ深呼吸をした。
「最終確認。ドアの鍵は?」
「閉まってた」
「チェーンロックもした?」
「した」
「ネットは?」
「大丈夫、チェック済み」
「よし」
向かい合って右手を合わせ、ぎゅっと握り指を絡ませ目を閉じる。お互いの指輪がキラリと光り、張り詰めた空気がじんわりと暖かくなる。
「じゃあ……いくよ」
頷きあうと同時に、ふたりは手を離した。それぞれパソコンに向かい、キーボードを叩き始める玲香の横で菜々は黒いウィンドウを流れる文字をじっと目で追っている。
「……入れた」
少しして玲香の声。
「ケイ、まだ気付かれてない?」
「大丈夫、わたしが見てる。ルイはそっち集中してて」
夜桜としての活動中はこの名前で呼び合うことにしていた。『菜々』『玲香』と呼び合うのでは日常感が抜けないから。自分たちなりの、スイッチを切り替える工夫だった。
この名前で呼び合っている間は、ふたりは『夜桜屋』でいられる––––
「オーケー、あとは例のファイルをコピーするだけ」
「了解。でも油断は禁物、反応あった。なんとかするからルイはコピーよろしく」
「わかった、お願い」
菜々がコードを打ち込んでいく。
共同作業には慣れている。もう何度目だろうか。このスリル、緊張感……たまらない。まるでふたり背中合わせで銃を構えているような……癖になる。
「あー、電源切られた。こっちの正体は知られてない……と思うけど、間に合った?」
「ふふっ、ギリギリセーフ」
「わああ!!やったやったやった!!!」
途端に無邪気にハイタッチを求めてくる菜々の変貌ぶりに苦笑しつつUSBを抜き、その手でそれに応じる。
「お疲れ様」
「お疲れ様!」
––––『夜桜屋』としての活動は絶好調だった。ふたりが中学生になってから始めたため、まだ1年半くらいしか経っていないが、それでも既にビジネスは軌道に乗っていた。『夜桜屋』という名前も玲香の思惑通り有名になりすぎることなく、知る人ぞ知る、といった立ち位置に留まり続けている。
手に入れたばかりのファイルを顧客に送信した後は、今回の記録を自分用にも残しておかなければならない。玲香はもうひとつのPCの電源を入れた。顧客情報を保管・管理する専用の、ネットに一切繋げていないPC。
「菜々ちゃんごめん、パスワード入れるから後ろ向いててくれる?」
「……玲香ちゃん」
ヘッドフォンをしたままの菜々の声が囁き、玲香は振り向いた。菜々の不安げな顔が玲香を見つめていてどきっとする。
「わたし、信用されてないの?」
「……どうして?」
「だって……セキュリティ面とか全体を管理するのは全部玲香ちゃんだよね。活動するのも玲香ちゃんの家でだけだし……大事なとこは全部、基本玲香ちゃん担当になってる」
「それは……本当は菜々ちゃんにも任せたいんだけど、念のためっていうか……ひとりで管理する方が都合いいから」
「どういうこと?わたしはいらないってこと?」
「ううん、そうじゃなくて。全部知ってるのは私だけがいいの。逆を言えば、私さえ言わなければ絶対に誰にも知られないようにしたい。誰も菜々ちゃんからは核心となる情報は引き出せない……だから菜々ちゃんは狙われない。危険な目にに合わなくて済む」
「……?」
「信用してないとかじゃなくて菜々ちゃんと夜桜屋のためなの。知ってはいけないことを知ってるって結構危ないからさ。……オーバーに聞こえるかもしれないけど、菜々ちゃんには死なないでほしいの。もし私が殺されても、生きて、私の分まで活動を続けてほしい。ふたりの夜桜屋を守り切ってほしい」
「玲香ちゃんもしんじゃやだ!!」
「死なないよ、捕まりもしない。万が一の話!……夜桜屋は永遠不滅だし、何があっても永遠にふたりのものだよ」
「玲香ちゃん……」
「菜々ちゃんと夜桜屋のこと、絶対に守りきるから」
––––そしてそれが、私の生きる意味。
心の中でそっと呟く。いじめられている菜々を助けた時からそうだった。彼女を守れるのは自分しかいないと思った。同時に自分しかいて欲しくないとも思った。
真っ先に自分に頼って欲しい。そう言うと聞こえはいいが、玲香の中に渦巻く感情はそんなものではなかった。
いざというときに味方が自分しかいない。傷ついた彼女が頼れるのは自分だけ。自分がいないと生きていけない、いつも隣にいないと安心できない––––そんなふうになって欲しかった。つまりは菜々のことを独占したかったのだ。いじめられっ子で体が弱いのをいいことに……
夜桜のこともそうだった。ふたりで一緒に楽しみたいのもあるが、それを口実にパートナーである菜々を『守っている』感が欲しかったのもあると自分で思う。頼れるのが自分だけという環境も夜桜にぴったり当てはまる。
弱った彼女につけ込んで、ふたりきり、もう戻れないところまで。何も知らないままでいいと手を引いて、深く深く沼に沈んで……そしてそんな自分に玲香は気付いていた。
「玲香ちゃん、ありがとう」
「ううん、私の方こそ……」
ごめんね、といいかけたのを、すんでのところで飲み込んだ。お茶でも飲んで落ち着こうと思い立ち上がった玲香の服を菜々が引っ張る。
「ねぇ、今からカイトさんたちに会いに行かない?レンタル屋さんにいるんでしょ?」
「あっ、今日13日だからもうテスト終わってるのか。行ってみよっか」
いつでも来てねとシフトを教えてもらっていたのだった。玲香は手に持っていたUSBを机の小物入れにしまうと、先ほどとは一転、笑顔で立ち上がった。
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