第14話 雨の日の姉との会話

 おれは「田所隼人」という平凡な高校生である。

 で、何の因果か、気が付いたら実の姉の<田所みゆき>が、日本一有名な大女優に華麗にメタモルフォーゼを遂げていた。姉の芸名が宝塚時代この方の<星華絵ほし・はなえ>だということは何度も書いた。

 すい星のごとくに現れて、日本中の話題をさらい、たちまち大女優になり上がった姉が<ザ・スター>というきらびやかな異名をとっていることもしつこいほど書いた。

 普段忙しい姉と、子供時代のようにゆっくり話す機会はほとんどないのだが、姉がたまたまOFFで、おれが試験休みだった月曜の午後に、久しぶりにDKで二人きりでコーヒーを飲む機会ができた。篠突く雨催ひの日だった。おれにとっては姉にさりげなく興味を?持ってもらうための千載一遇の好機だった…


「ハヤト?なんだか顔のニキビ、具合がよくなってきたんじゃない?ほとんど”月面のクレーターでさらに核爆発が起きた”みたいな惨状、って自虐してたのに(笑い)」

「だろ?お医者さんの勧めでハトムギ茶を飲みだしてね、ちょっと改善したのさ」


…DKには香ばしく、芳醇な薫りが立ち籠めている。

以前に姉が「中枢神経が研ぎ澄まされる感じがする」と言って、コーヒーの薫りに形の良い鼻孔をヒクヒクさせていた情景が目に浮かんだ。


「試験はどう?前に夕飯の時にも言ったけど、自学自習の習慣とか、生きていく上での様々な考え方や常識を身に付けるためには絶対に猛勉強して、優等生にならなきゃだめよ。勉強ごときでいらない劣等感を植え付けられて、負け犬根性がついたりして、一生苦しんでいる人を私は見てきました。その年代で克服すべき重要な課題とか試練を乗り越えていかなければいつか人間は破滅する、そう言ったのはエリクソンという心理学者です。今のあなたなら学校の勉強が第一で、それから規則正しい勤勉な生活習慣でたくましい健康な肉体と強靭な体力や体質をはぐくむことだわね…頑張って!」

「う、うん。ありがとう…姉さんの『講話』はいつも士気を鼓舞されるなあ…でも姉さんは自分自身の人生とか女優やってることとかにはどう思ってんだい?そうやって忙しくしていて、友達と遊んだりデートしたりする暇は皆無だろ?後々に『青春を無駄にした~』とかって後悔したりしない?青春は二度と来ないんだぜ!」

 鉛色の梅雨空。

 雨の月曜日。

 が、おれは、雨も雨の音も嫌いではない。故郷に戻ってきたような気分になる。

 そうして、目の前で一幅の絵画になりそうな風情で珈琲を啜っているのは稀代の大女優・星華絵その人なのだ!

 これほどロマンチックな場面は、あんまりないといえばない?だろうか。

「水色の街に蜜色の雨が降るの~」なんていう古いロマンチックな歌を思い出す。

「Rainy days and Mondays always get me down 」というカーペンターズの歌の旋律は、メランコリックの極致だったなあ…ジョンカーペンターというのは?あれはホラー映画の監督か?

 そう言えば「雨音はショパンの調べ」というガゼボの曲の小林麻美ヴァージョンには「雨だれ」の旋律がアレンジにコラージュされていた…

 しょっちゅう友達とカラオケに行くのでこんなマニアックな古い歌でも知っているのだ。

 仕事に忙殺されている姉さんにはそういう自由闊達な時間はまずないだろう…

 

「そのことについてはね…」

 姉は百分の一秒ほど顎にこぶしを作って考えるそぶりをしたが、次の瞬間にはもうぺらぺらと立て板に水と流暢にまくしたて始めていた。

 おれは姉ほどに”雄弁”な女は見たためしがない。まあ、そこも好きなのだが…


「…売れっ子になって、マスコミに消費された挙句にボロボロになって、後から『あの頃は周囲に流されて無我夢中で何もわからなくて…』とか述懐している人はよくいるけど、私はそういうありきたりな「スター気取り」じゃないのよ。」

 姉はふふっと静かに微笑んだ。

「私は『ザ・スター』。綺羅星のような名前の居並ぶ芸能界の中でも二人といない巨星、いわば”ポーラースター”。それが星華絵…自分の才能や資質を知悉していて、どれだけの器であるかも完全に把握しています。自分が爾後どうふるまうべきかの今後のシナリオも戦略も、青写真やタクティクスは完全に出来上がっていて、たぶん寸分の狂いもない…伊達に『戦後最大のスター』とか謳われていないわ。」

 姉はもうドラマや映画でおなじみの、怜悧そうな綺麗なアーモンドアイを見開いて、じっとこちらを見つめている。おれはまたどぎまぎして、少しうつむいた。

 例によって姉の饒舌や長広舌にまたまた圧倒されていたが、なんとか姉の気を惹いて、興味を持ってもらう糸口にするために、おれは辛うじて話を転じた。

「ふうん。す、すごいね。それはそうと、このワープロ書きの原稿、おれが姉さんの映画を観て、その感想と、主人公のクリオディーネ?だっけ?に捧げた詩を書いたものなんだ。姉さんに是非読んでもらいたくてね。」

 「へえ。ホント?まあ、素敵!だったらそう、私のLINEに送ってくれる?もうすぐ出かけるから」

 姉は目を輝かせて嬌声を挙げた。

 おれは暫時スマホを操作して、姉のLINEに「㊙原稿」とフラグを付けて送付した。呼応して、すぐ姉のスマホも涼しく響いた…「Over the rainbow 」のメロディだった。

 …いつのまにか雨は止んでいて、嵌め殺しの窓外から覗く、遠くの青い山稜には、恰も映画の背景効果のように、瑞々しく美しい七色の虹彩が泛んでいた。

 ジュディガーランドでも空を飛んでいそうだった。


 「ハヤト、ありがとう!二人で話すことってめったにないけど、やっぱり姉弟同士は密接に連絡していなくてはね。今晩読んでみるわね」

…姉は美しい口元を綻ばせて、にっこり微笑んでくれた!

 おれは天に昇って羽化登仙でもしそうな心地だった。 


 ちょうど、母が帰ってくる気配がして、久しぶりの二人だけの差し向かいの会話は、おれにとっては上首尾で散会したのだった。


<続く>

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