第6話 おれのヰタ・セクスアリス


 前にも書いたが、おれ、田所隼人は日本の近代文学とかのマニアである。

 最近の軽薄なアニメやくだらない白痴的な文化よりも、シリアスで重厚でレトロな魅力にあふれている近代文学のほうが、よほど上品で文化の香り高い、いわばニッポニア・ニッポン。絶滅した?朱鷺トキのように貴重で麗しいものだと、おれには思えるのだ。

 

 芥川龍之介や、漱石、鴎外、谷崎潤一郎は言うに及ばず、マイナーな私小説や江戸川乱歩だってずいぶん面白くて、それに日本語が綺麗で、例えば伊藤左千夫の「野菊の墓」や中勘助の「銀の匙」なんかは宝石箱のような、珠玉をちりばめたような、唯一無二の日本の宝だと思う。

 

 森鴎外の「ヰタ・セクスアリス(我が性的生活)」というのも興味深く拝読したが、これはつまりセックスに関する自らの成長の道程のエピソードを辿ったものだ。室生犀星の「性に目覚めるころ」とかと似た趣向だろう。鴎外なんかはやっと面白味がわかってきたような感じで、もっと読みたいと思う。


 おれの「ヰタ・セクスアリス」にも近代文学はいろいろと影を?落としている。

 家にあった近代文学が中心の日本文学全集は大方読破したが、そういう本をもっと幼少のみぎりには、これは昔に限らずいろんな小説や漫画を読み始める思春期には誰もがハマる通弊だろうが、「エッチな部分」を探しつつ読んでいたりしたものだ。

 舟橋聖一という人の、すごく色っぽい人妻が出てくる「雪夫人絵図」という長い長い小説を、「エッチな部分」をひたすら期待しつつワクワクもので読み進めていったことがあったけれど、とうとう結局最後まで申し訳程度にしかセクシーな描写とかは出てこないまま終わった、ということがあったw

 「痴人」で有名で、文豪と呼ばれているのにエッチすぎるというので国会に参考人招致されたことがあった谷崎潤一郎の小説だとさすがにどれもひどく官能を刺激する内容で、夜な夜なひそかに何度も自慰に耽ったりした。

 三島由紀夫も「仮面の告白」の中でいろいろと性的な妄想をカミングアウトしていて、「聖セバスチャンの殉教」という絵画に纏わる部分のマゾヒスティックな描写とかでやはりハゲシク官能を刺激されて、夜な夜な自慰に耽ったりしたw

 その連想もあったのか、自分でもよくミケランジェロのダビデ像で自慰をしたりした。ノートの端にマゾヒスティックな短いポルノっぽい小説の断片を自分で書き綴って、やはりそれをズリネタにしてせんずりに耽ったりした。


 おれの特異な条件は、超絶美貌の姉のみゆきが同じ家で起居していたことで、これにまつわるエピソードも多い。


 予定の紙数が尽きたので、それについては次回に譲る。


<続く>


 

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