第27話  姉VS監督の映画論

「まぁ何事も経験だし、本当にただの醜貌恐怖の役を地で演じるだけだったら別に構いませんけど?」

「引き受けてくれる❔ありがとう、良かったわ」


おれは依頼を快諾した。

監督も姉も安堵の表情を泛べた。


「ハヤトならできる!大丈夫よ。アルバイトにもなるし、メジャーな映画撮影の現場の空気の独特さを体験するのは小説書くのにも参考になるかもね」


姉の底抜けに明るい笑顔が、大輪の花が弾けるような綻びかたをして、またおれは魅了された。


… …


「…その映画はつまり、テーマというか芸術的価値というか、どういう意図で作られているんですか?いろいろな要素は含まれているでしょうけど?」


おれは川瀬監督に尋ねた。三人とも夕方のオフタイムで、少し時間に余裕があった。一応話がまとまったので少し余談に移った格好だった。


「『サイキアトリックフリーキー』?これはカンヌに出品予定の私の畢生の大作で…」監督は長いまつげを伏せて、紅茶を啜った。物腰は穏やかだが、発する一語一語にいかにも無駄がない感じだった。


「私も長いこと生きてはきたけど、基本的に未だにこの世の中とか人間社会の成り立ち方がよくは、本当にはわかっているという自信がないのよね。日々の営みも、ルーチンとして機械的にこなしているけど一体になぜ、結局何のためにこうやって苦しい思いをしながら、劣等感とか悲しみや別れとか困難なことに対抗しながら生きながらえていかないといけないのだろうか?…表現者は誰でもそうだろうけど、映画を作るのも結局生きるため、じゃない?じゃあ生きるって何だろう?人間って、「私」って何だろう?言いたいテーマはあっても、つまるところあのゴーギャンの自分のアートの総決算だった大作、「我々はどこから来たのか。誰なのか。どこに向かうのか」最後のテーマはそこに集約されるんだと思うの。」


「ははあ、ずいぶん難しそうですね。哲学的?というのかな?高尚すぎて僕にはちょっと…」


「でもね。映画のストーリーはシンプルで、ちっとも難解じゃないのよ」


姉が口をはさんだ。ご存じの通り姉はMENSA会員の天才で、記述のごとく、出演映画や脚本の理解力、テーマ、意図の咀嚼力の深さや完璧さには定評があるクレヴァ―極まりない女優である。

 折々にメディアで報道される「映画」というものにかけての姉一流の一家言、独自の見識、思想の普遍的ですらある高邁さには、すでに斯界の定評を得ていた。

(近代文学おたくのおれの言い回しの古めかしさについてはご寛恕いただく)


 今回も監督の制作意図とかはすでに熟知しているのだろう。


「「精神的な畸形」にこれだけ拘って、描写や哲学的考察を加えた映画は今まで無かったかも…フロイトの心理学も結局、最初はどこかおかしい人を研究した。精神医学者としてのキャリアから始まったもの…ヒステリーや夢という一種の異常な?現象を俎上にのぼせて、それを陰画、補助線みたいにして人間の本質であるその「精神」の構造を炙り出そうとしたものよ。」


 姉のまなざしが熱っぽく輝いて、なにかシェークスピア悲劇のクライマックスを見ているみたいな迫力を帯びてきた。


「あらゆるこころの「病気」には理由があって、それはその人の体質、特徴、生活のゆがみや癖のあらわれ。そういう発想を敷衍していくという形で精神的な畸形や病気の様々な表現や形式をきわめて印象的に彫琢して、芸術的な昇華を…」



…姉の話が恐ろしく難しくなってきたので、おれは辟易して、ちょっと中座した。それでそのまま裏門からとんずらした。


姉には「急用で帰ります」とLINEしておいた。


あの、こういうきらびやかな「人外魔境」の住人で、さながら美と叡智の女神のような、アフロディーテとミネルヴァの化身のような姉がおれに興味を示すなんてことがありうるのだろうか…いつものようにおれはまた現実に挫折して、劣等感の塊になって、ゲームセンターに逃げ込んで脱衣マージャンを始めるのだった…草


<続く>


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