第25話 媒体と芸能、エンターテインメント…映画とは何か?
おれはまだ高校2年で、数えるほどしか映画も見ていない。
おれはだいたいがなんでも中途半端で、勉強もスポーツもパッとしない、まあ劣等人間である。が、自分ではそういうのは思春期性脂漏性皮膚炎、つまり醜さの極致の、顔にできる癌細胞のような例の”ニキビ”がひどくて、普通の現実への適応が阻害されていて、だからまだ日常生活が「かりそめの状態、段階」、「過渡期」、「奇禍の奇病の療養状態」だからなのだ…そう正当化している。つまり一種の疾病への逃避?をしている。
で、登校拒否ではないが、鬱状態になって、学校をさぼってうろうろ出歩いて映画を観たり、未成年の身で、飲んだくれたりすることもある。酔っぱらってアルバイトに行って、臭いがひどいというのですぐ首になったこともある。泥酔状態のときに及んだ乱行についてはもっとひどい話もあるが、部外秘なのだ。というより美的節度?を守るためにあまりにもレ・ミゼラブルなエピソードはモダして語らず、にしておく。
ニキビのためもあるが、精神的に根本の部分でゆがみがあるのではないか?
不適応状態というのが、精神にも健康にも、美容とかその他の基本的なコンディションにも悪影響を及ぼしそうなことは明々白々で、瞭然としすぎている現実だろう。
なんらかの社会との齟齬や軋轢の原因になる要因が災いして、不適応という不幸を惹起して、で、最悪の現状を招いている…大まかにいうとそうした機序だろうか?というのがだんだんに飲み込めてきたところなのだ。
「アルコール嗜癖」は、父譲りで、ただひたすらに酔うために飲む、そういう呷り方が「父親ソックリ」と嗤われたりする。
だから、酔っぱらいの父親の酒毒で、基本的にバカなんだろうか?落ち込んでいるときにはそう絶望的になったりもする。
精神のゆがみとか、知性や人格とか、自我の形成とか、そういうことについてばかり考えさせられざるを得ないような、まあ、多かれ少なかれ「青春の蹉跌」と言うが、思春期にはそういう心理学的なことでは誰しも悩み苦しむのだとは思うが、どっちにせよ、こういうヒドイご面相では到底いオンナとかには縁がない…今はそういう風な認識に捉われて、未来永劫に自分にはガールフレンドなどとんでもない話だ…そう思い込んでいるのが正直なところである。サルトルの小説に「出口なし」という死刑囚の死刑前夜の心理や生態を描写したのがあったが、まさに出口のない醜貌恐怖の地獄…これっぽっちも希望などは無い、希望など無縁な言葉、その燭光すらほの見えない…そういう日常の自分があろうことか一流のシネマプロデューサーと、同席して、会話をしなくてはならない羽目に陥っている!
同席して
滑稽だが、曲がりなりにも、畸形児なりにも、?おれには密かな「姉を
おれなりにこの機会をなんとかその”大望”に繋げはしないだろうか?そういう目論見で虎視眈々…まあ、昨日飲んだユンケル黄帝液で意気盛ん、元気横溢していることもあって?密かに豆腐並みのメンタル?は燃えているのだった…
<続く>
「
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