EPISODE3 調律師の女
契約が済んだなら、まずやるべきことは決まっている。
立ち上がったスカーレットの、傷ついたボディを上から下までざっと確認すると。蹄人は最初に投げ捨てたレインコートを拾い、スカーレットに対して放り投げた。
「そのまま街を歩くと、間違いなく職質されるからさ。とりあえずは、それを羽織っててくれないかな」
「了解しました、ご主人様」
かしこまったスカーレットの口調に、蹄人は少し眉を顰める。
「蹄人でいいから。口調も敬語じゃなくて本来のものでいい。道具の口調なんて、いちいち気にすることもないし」
「ああ分かった、蹄人」
スカーレットの素直な態度に、満足げに頷いて。蹄人は地面に落ちて若干水分がしみ込んだ鞄を拾い上げると、大通りの方を手振りで示す。
「だいぶダメージを受けているみたいだけど、ここから一駅分ぐらいならまだ動けるよな?」
「大丈夫だ、そのくらいなら余裕で動ける」
「なら良かった。その駅の近くに、僕の馴染みの調律師がいるんだ。まずはあいつに、お前のその体を修復してもらう」
即座に頷いたスカーレットと共に、蹄人は元来た道を引き返して、蒼井結翔の映っていた巨大モニターのある大通りに出る。
時刻は既に午後七時半を回っていて、歩道と車道の間に立ち並ぶ、洒落たデザインの街灯に光が灯り始めていた。
光はあるものの、夜の暗さと帰宅時間の人混みは、スカーレットの姿を隠すのにはそれなりに都合がいい。
「ほら」
蹄人が手を差し出すと、スカーレットは一瞬首を傾げてから、手を叩いて差し出された手を取る。
離れないように、スカーレットの硬い手を握りしめて。傘をさした人混みの中を、雨に濡れながらともに走り抜けてゆく。
本来なら雨が降る前に、たどり着くはずだった駅の構内に駆け込むと。濡れた鞄の中から定期を取り出し、スカーレットと共に改札を通り抜ける。
ところまでは良かったのだが。通り抜けた途端、今まで冷たい雨に打たれてきた反動が一気にやってきて。蹄人は全身を震わせながら、盛大なくしゃみをかますことになった。
「は、はっくしょんっ、さぶっ……い、いやマジで寒い……あったかいのが、逆に辛いというか……」
「大丈夫か、蹄人」
心配そうな顔をするスカーレットに対して、蹄人は勢いよく首を縦に振って見せる。顔を動かすたびに、歯ががちがちと鳴った。
「も、問題、ない。道具に心配される筋合いはない……つ、次は二番線の電車に乗るぞ……はっくしょん」
鼻腔から漏れ出す鼻水を拭って、蹄人はスカーレットと共にプラットフォームに降り、ちょうど滑り込んできた各駅停車の電車に乗り込む。
電車内は帰宅ラッシュで満員状態だったが、冷えた体には押しくらまんじゅう状態の人のぬくもりが有難い。ただ、傷ついたスカーレットがさらにダメージを受けてしまわないか心配だったが、そこは運よく座席に座らせることが出来た。
隣の駅には、十分もしないうちにたどり着いた。吐き出されるように電車から降りると、蹄人は再びスカーレットの手を取って、改札を抜けて駅の外に出る。
だが寒気が若干ましになってきたことと引き換えに、どうも熱っぽくなって頭がぼんやりしてきた。あと少しで目的地にたどり着くのだが、その少しが遥かに遠く感じる。
「本当に大丈夫か、蹄人。なんだか物凄く、だるそうだけど」
「だ、大丈夫だから……まだ、なんとか……」
折り畳み傘を携帯していないことをちょっとだけ呪いながら、蹄人は心なしか小降りになった雨の中を、ただひたすら足を動かして進んでゆく。
隣の駅の周辺は、電車に乗った最初の駅の発展した様子と違って、若干怪しい雰囲気の立ち込める、昔ながらの繁華街となっていた。
特に怪しい店やサロンが立ち並ぶ、暗い闇の蔓延る裏通りの一角。くすんで汚れた案内板の掲げられた雑居ビルの中に、蹄人はスカーレットの手を引いて入ってゆく。
目的地は上ではなく、地下。下り階段を危なっかしい足取りで下りて、通路を右に曲がったところにある、何の看板も掲げられてない鉄製の扉の前にたどり着くと。蹄人は足を止めて、扉横のインターホンを鳴らした。
「……はーい」
少し間があって、鍵が開く音がしてからドアが開く。オレンジ色の明かりが漏れる室内から顔を出したのは、パーカーにナイロン製のズボンを履き、黒い髪ぼさぼさの髪に眠たげな眼をした、蹄人と同じぐらいの一人の少女だった。
「いっらっしゃいませ……って、うわっ、どうしたんだティト、それにこの人形は―――」
驚いた表情に目を見張る彼女に、蹄人は全身の力が抜けていくのを感じながら、それでも何とか声を振り絞って告げた。
「マッキー、スカーレットを、た、のむ……」
それでもう、限界だった。発熱と疲労によって、彼女の平坦な胸の中に倒れ込んだ蹄人は、そのまま意識を失った。
どれぐらいの時間が過ぎただろうか。なんだかとても、喉が渇いた。
蹄人がゆっくりと目を開くと、ややぶれた視界の中で、見覚えのある濃紺の瞳が真上から見つめていた。
「……カットか」
「はい。どうやら目覚めたみたいですね」
カットは素早く身を引くと同時に、手に持っていた眼鏡を差し出した。礼を言って受け取り、愛用している赤いフレームのラウンド型の眼鏡をかけると、蹄人は部屋の中を見回してみる。
狭い部屋の中に、趣味に正直なガラクタがごまんと詰め込まれた、非常に馴染みのある部屋の中。謎のペイントが施されたビニール革のソファーの上で、外国の織物でできたブランケットを掛けられて寝かされていたようだ。
「今巻を呼んできます」
「ああ、待って、待ってくれカット」
部屋を出ていこうとするカットを、蹄人はかすれた声で慌てて呼び止める。
「どうせマッキーはまだ調律中だろ。邪魔しちゃ悪いから、呼んでくるのは後でいい」
「問題ないぜ、それならとっくに終わってる」
狙いすましたかのように、部屋の奥にあった扉が開いて、この部屋の主であるマッキーこと
「さすが早いな、マッキー」
「逆だ、ティトぶっ倒れてた時間が長いんだ。丸一日気絶してたんだぜ、お前」
「……マジかよ」
「マジのマジマジ」
意識を失っていた時間の長さに、衝撃を受ける蹄人の横で。巻は近くの棚に置いてあった乾パンを取りながら、自身のパートナーであるカットを手招きで呼び寄せる。
「カット、あいつになんか腹が膨れるものと、あとあったかい飲み物を用意してやって」
「分かりました、少々お待ちを」
カットは頷いて、部屋に三つある扉のうち、外につながる扉から出て行った。この部屋にはトイレはあるがキッチンはないため、隣の雑居ビルの一階にあるコンビニで何か買ってくるのだろう。
「よし。カットが戻ってくるまでは、とりあえずこれ食っとけ」
乾パンの蓋を開けて、巻は中に入っていた氷砂糖を二つ取り出すと、一つを自分の口に入れ、もう一つを蹄人に対して投げて寄越した。
何とかキャッチして、蹄人が氷砂糖を口に含むと。巻はカバーに骸骨の模様がプリントされた丸椅子に座って、ソファーとの間にあるテーブルに乗った、マトリョーシカを弄び始めた。
「さて。ミルキーウェイに見放されて擦れに擦れまくってたティトが、あの人形、スカーレットとどうして契約したのか、じっくりと聞かせてもらうぜ」
「……話すと長くなるけど、いいか」
「覚悟はできてる」
熱は引いたものの、だるさの残る体を動かして座りなおすと、蹄人はスカーレットと契約したいきさつを話し始めた。
巻は時折マトリョーシカを弄ったり、乾パンや氷砂糖を口に運んだりしながら、蹄人の話を黙って聞いていたが。蹄人が話し終わると、長々とため息を吐き出した。
「なるほどなあ……ま、ティトらしいっちゃらしいわな」
「どういう意味だよ」
「別にぃ。お前ってツンデレの自覚ないよなって」
茶化す巻にムッとして言い返そうとしたところで、買い物を終えたカットが部屋の中に入ってきた。
「遅くなってすみません。レジが思ったより混んでまして」
あんまんと温かいお茶のペットボトルを、カットは雑然としたテーブルの上に並べてゆく。
「いただきます」
ペットボトルのキャップを外して、お茶を一口飲んでから、あんまんを数口胃袋に送って。蹄人は乾パンをぼりぼりとかじる巻に、改めて顔を向けた。
「ところで、スカーレットの調子はどうなんだ」
「中も外も酷い状態だったけど、中枢部分が無傷だったのが幸いだった感じだな。とりあえず負荷になりそうなパーツは取り除いて、壊れたところを修正して、外側を綺麗にしておいたぜ」
それだけの作業を、丸一日でやってのけるのは、さすが巻といったところか。蹄人と同い年にもかかわらず、調律師の資格試験を満点合格で突破しただけのことはある。
「まったく。お前が来るといっつも赤字なんだから、勘弁してほしいものだぜ」
呆れたような顔をしてから、巻は奥の部屋、工房に続く扉へと視線を向ける。
「多分もうそろそろ起きると思うから、ちゃんと出迎えてやれよ」
「当然だ。僕の大切な道具だからな」
蹄人がそう言い放つと同時に、扉が開いて、工房からスカーレットが姿を現した。
深紅の艶やかな長い髪に、髪色と同じ色をした、鋭く細い瞳。ボディには巻が貸し与えた、仏像のプリントされたTシャツを着ているが、露出している腕や足を見ただけでも、新品同然になっているのが分かる。
巻の腕は自分が一番信用していると自負しているのだが、悪趣味な衣服を差し置いても、調律の済んだスカーレットを、蹄人は心から「美しい」と思った。
かつての相棒だった、ミルキーウェイも綺麗な人形だったが。スカーレットの美しさは、ミルキーウェイのものとは別種である気がする。ミルキーウェイは煌びやかで、スカーレットは華麗というべきだろうか。
「……磨いてみるものだな」
「磨いたのは私だけどな。お前はそこでぶっ倒れてただけだぜ」
すかさず訂正して、巻は得意げに平坦な胸を張って見せる。確かに、ボロボロだったスカーレットを一日でここまで仕上げた巻は、自分のことを誇っていいだろう。
「ありがとう、マッキー」
「例を言うなら金を寄越せ、金を」
茶化すように手を差し出す巻に溜息を吐きかけて、蹄人はスカーレットに視線を戻す。
「スカーレット、改めて紹介する。こっちの凄腕貧乳調律師が、僕の幼馴染のマッキーこと常夜巻。後ろに立ってる男性型人形の方が、マッキーのパートナーであるカットだ」
「貧乳は余計だぜ、貧乳は」
不満をこぼす巻の前で、スカーレットは静かに頭を下げる。
「この度はお世話になりました、巻さん、カットさん。ぼろぼろの私を調律していただき、ありがとうございます」
「……巻でいいよ、それかティトみたいに、マッキーってニックネームで呼ぶか」
口の中に残った氷砂糖をガリガリとかみ砕く巻に、顔を上げたスカーレットは頷く。
「分かった、ではこれから巻と呼ばせてもらおう」
「それでよし。どうもさん付けは苦手意識あるんだよな」
スカーレットに片目を瞑って、空になった乾パンの缶を置くと。巻は座っていた丸椅子から立ち上がって、部屋の片隅に置かれたステッカーだらけの棚のほうに歩いてゆく。
「じゃ、スカーレットの調律も終わったことだし、さっそく試してみようぜ」
巻の言葉に、あんまんを頬張っていた蹄人はすぐに頷き、お茶で口の中のものを飲み込む。
棚の中から取っ手の二つ付いた銀色の哺乳瓶、「セットアップボトル」を取り出した巻は、カットにアイコンタクトを送ってから、それをテーブルの上に置いた。
「あーちょっと狭いかな」
テーブルの上に置かれたガラクタを、適当極まりない方法で片づけると。巻は再び、スカーレットに視線を向けた。
「スカーレット、人形決闘のやり方はさすがに知ってるよな?」
「ああ。前にやったのはずいぶん昔だが、やり方はしっかり覚えている」
「そうかそうか。実をいうとお前の主人であるこのティトは、一年前のラストホープ・グランプリでベスト4に入る実力者で……」
「マッキー」
食べ終わったあんまんの包み紙をくしゃくしゃに丸めながら、蹄人が巻を睨みつけると。巻はおどけたように両手を上げてから、挑発的な視線を蹄人に向かって投げ掛けてくる。
「要するにだ。せっかく新しいパートナーと契約したんだから、久しぶりにやろうぜ、ティト。お前もスカーレットがどんな戦い方をする人形なのか、試してみたいだろ」
「……ああ。道具の使い方を把握するには、実際に使ってみるのが一番だ」
ペットボトルのキャップを閉めて、ボトルから少し離れたところに置くと。蹄人は座っていたソファーを立ち上がり、スカーレットに視線を向ける。
「スカーレット、僕の道具として、共に戦ってくれるか」
「もちろん。そのために私は、君と契約したのだから」
答えたスカーレットは、ソファーの後ろに回った蹄人の代わりに、ボトルの前に立って取っ手に手を伸ばす。
一方巻の方も少しだけ後方に下がって、彼女の前にはカットが立っている。
スカーレットとカット。二体の人形がセットアップボトルの取っ手に触れる。それが、人形決闘開始の合図だった。
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