EPISODE31 消えない罪
藍葉蹄人とスカーレットが去ったあと、VIPルームの内部は気まずい空気に包まれていた。
頭を抱えたまま、ひたすら蹄人への暴言を吐き続ける瑛に、ミルキーウェイはなんと声をかけていいか分からなかった。
初手で「虹色流星」を撃つことを提案したのは瑛だが。そもそも蹄人と組んでいた時はほぼ使わなかった、「虹色流星」を頻繁に使用するよう彼を説き伏せたのは、他ならぬミルキーウェイなのだ。
ミルキーウェイはこの「虹色流星」が大好きだった。蹄人と共に苦労して編み出した技だというのはもちろんだったが、何よりもその美しさがお気に入りだったのだ。
もっとも。そのコストの高さにより、蹄人はほぼこの技を使わず。同じような戦いを繰り返し命じてきたことから、軋轢が生まれていったわけだが。
他の人形師、天才と謳われる蒼井結翔なら「虹色流星」を使いこなせるのではないか。なんていう浅はかな考えもまた、ミルキーウェイが蹄人を裏切る要因の一つとなったのは事実だ。
現実は結翔も使えこそしたものの、使い「こなす」ことは出来ず。新たに契約した瑛も、見てのとおりである。
「……クソだ」
言葉が見つからないまま、ミルキーウェイが考え込んでいると。いつの間にか瑛が顔を上げて、こちらを睨みつけてきていた。
「クソなんだよ、あの『虹色流星』って技!なんであんなクソみたいないな技を勧めてきたんだよ、この馬鹿人形ッ!」
「それは―――」
「ドームのどこからでも全域攻撃が出来るっていうけどさあ、流星の拡散がまばらで、確実に敵を仕留められるわけじゃないし。そのくせ一回使ったらマジックポイントが空になるって、ほんと使えない必殺技だなって」
「で、でも綺麗だし……」
「綺麗なだけなんだよ。見た目だけ良くて、中身はカスなんだよ。そう、お前みたいにッ」
びしっと、瑛はミルキーウェイに対して人差し指を向ける。暴言でしかない彼の言葉は、ミルキーウェイの心に痛いほど突き刺さった。
瑛の言う通り、自分と「虹色流星」は良く似ているのかもしれない。見た目だけ良くて、中身は使う者にとって害でしかない、役立たずな存在。だからこそ自分は、身を滅ぼすぐらいにこの技に魅了されてしまったのだろうか。
絶望感に打ちひしがれるミルキーウェイに、罵詈雑言を吐き続けて、饒舌になった瑛が見下すような視線を投げかける。
「はっきり言ってやるよ。この技はクソだ、使いこなそうとする方が馬鹿なんだ。藍葉蹄人がなんで使わなかったのか、はっきりと分かったよ」
「それは……」
「それは?」
ミルキーウェイがつい漏らした一言を見逃さず、顔を覗き込んで食いついてきた瑛は、一度離れると腕を組んで、顎をやや上げる。
「言いなよ、それは、何だって」
「そ、それは……」
「だからさっさと言いなって。怒らないからさあ」
怒りはしないだろうが、明らかに見下し軽蔑しきった態度で、促す瑛に対し。ミルキーウェイは俯きながらも、人間には逆らえないという人形の性によって口を開く。
「初手で撃ったのが、良くなかったんじゃ……」
「……はぁ?」
さっと、瑛の表情が強張り。彼は手を伸ばしてミルキーウェイの髪を掴むと、力強く引っ張った。
人形であるがゆえに、人間のように痛みを感じることはないが。ミルキーウェイの心の中では、恐怖が物凄い勢いで広がっていくのが分かった。
「お前ほんと最悪な人形だな。人形決闘に敗北した責任を、あろうことかご主人様に擦り付けるなんて。お前なんかと、契約しなけりゃ良かったよ」
「そんな……」
「いや。こんな使えない人形なんてもういらないから、管理協会に連絡して廃棄してやる。さようなら、クソ人形」
暴言と共に、瑛がミルキーウェイを突き飛ばした瞬間のことだった。
「……え」
ミルキーウェイは体の中で、契約が解けるのを感じたのだ。それは瑛も同じであり、彼はさっきまでの意地の悪い顔から打って変わって、驚きのあまり口をぽかんと開けていた。
契約破棄の方法は大きく分けて二種類。そのうち一つは、人形管理強化の「断ち針」によって、強制的に契約を破棄させるもの。
そしてもう一つであり、もっともメジャーな方法であるのは、お互いの合意に基づいて契約を破棄すること。
人形も人間も同じように、パートナーと別れることを望むならば、その瞬間結ばれた契約は消え去ってしまう。
「……ははは」
驚愕が通り抜けた後、瑛は顔に手を当てると、狂ったような笑い声をあげた。
「お前も僕と同じだったわけだ。こんな相手、まっぴらごめんだって」
「違う―――」
「違う?じゃあ何で契約が破棄されたのか、答えてくださいよ、え?」
どれだけ否定しようとも、契約が破棄されてしまった以上、お互いがパートナーに愛想を尽かしてしまったという事実が、変わることは絶対にない。
何も言えず、俯くミルキーウェイに。瑛は冷たい視線を向けて、言った。
「ほら、僕との契約はもう消えたんですから、さっさと好きなところに行ってくださいよ」
「え……」
「もっとも、これだけ契約破棄を繰り返した人形と、また契約してやろうなんて優しいご主人様は、この世のどこにもいないでしょうけど」
どうやら瑛は怒りがある程度おさまった代わりに、生来の冷酷さが滲みだしてきたようだった。
ミルキーウェイを嘲笑すると、瑛は蠅でも追い払うかのように手を振って見せる。
「さ、いい加減出て行ったらどうですか。ここは僕の借りた部屋何ですから、関係のない人形にいつまでいられると困るんですよ」
「待って―――」
「出て行けって言ってるんだよ、このクソ人形がッ!」
再び怒号を上げて、テーブルを叩いた瑛に。ミルキーウェイは恐怖に体を揺らすと、彼に背を向けてVIPルームを飛び出した。
そのままレンタルスペースの店を飛び出し、筒道の街中を歩き出す。ミルキーウェイの心情を映したような曇り空から、ぽつり、ぽつりと雨粒が降り始めた。
雨は瞬く間に本降りになって。ミルキーウェイの美しい虹色の髪や衣服を、容赦なく濡らし汚してゆく。
全ての原因は自分にあると分かっていながらも、どうしようもすることが出来ず、ただ惨めで絶望的な気分を抱えたまま、ミルキーウェイは雨の降る街中を歩いてゆく。
通りで人形を連れた人間が、パートナーと同じ傘に入って仲良く歩いて行くのとすれ違うたび。ミルキーウェイの心は酷く痛んで、胸部がボロボロに崩れてしまいそうだった。
瑛が激情に任せて自分を追い出さず、冷静に人形管理協会へ連絡し、回収して処分してもらった方が、どんなに良かったことだろうか。
人形のセーフティの1つに、自分で自分を殺すことが禁じられているというものがある。今はそれが、狂いそうなほど恨めしかった。
瑛の言っていた通り、二回も主を裏切った自分に、もはや行き場はないのだろう。ああ早く、早く誰か、自分を壊して欲しい。
だが。雨のせいで皆傘をさしているせいなのか、ミルキーウェイが濡れたまま一人で歩いていることを、気に掛けるものは誰もいなかった。
誰にも気に掛けられず、かといって自ら始末をつけることもできず。ミルキーウェイはただひたすら、雨の降る街の中を歩き続けた。
歩き続けて、そして。
「ここは……」
気が付くと、街の様子はがらりと変わっていた。どうやら随分と遠くまで、歩いてきてしまったらしい。
そしてミルキーウェイの目の前には、一軒の雑居ビルが建っていた。ビルの入り口には薄汚れた案内板があり、その一番下に個性的なフォントで、見知った名前が書かれている。
『常夜巻人形調律工房』
「とこよ、まき……」
人形の記憶領域は人間の頭脳に比べてずっと少ないが、それでもミルキーウェイは蹄人と最も親しかった彼女の名前を、まだしっかりと憶えていた。
ここが本当に、巻の工房だというのならば。これはなんという偶然、いや運命なのだろうか。
髪の毛から雫を垂らしながら、ミルキーウェイはビルの中に入って、地下へと続く階段を下りてゆく。打ちのめされた心の中、ほとんど無意識に足を動かして。
地下に降りると、すぐそこに扉があった。扉には何の看板もついていなかったが、ここが目的の場所であると、己の予感がはっきり告げていた。躊躇いが湧き上がってくる前に、ミルキーウェイは扉に手をかけると、ゆっくりと開いてゆく。
が、ほんの少し開いたところで、中から聞こえてきた声に、ミルキーウェイの手は止まった。
「―――でもまさか、こんな形でミルキーウェイが僕の前に現れるとは、思ってなかったけど」
ついさっき、といってもあれからどのぐらいの時間が経ったか分からないが。それでも彼の、藍葉蹄人の声を、ミルキーウェイが聞き間違えるはずがない。
「じゃ、ティトはどんな感じで現れるのを、想像してたんだ?」
女性の声に男性的な喋り方。これは巻のものだ。カチャカチャと、食器の音がすることから、どうやら食事をしているらしい。
「……なんかこう、もっと劇的に」
「また随分と曖昧な表現じゃな。もっと想像力を磨いた方が良いぜ、ティト」
「うるさいな、マッキー」
蹄人と巻の会話を聞いているだけで、胸に熱いものが込み上げてくる。この扉の向こうに、二人がいるのだ。
「蹄人さん、おかわりいかがですか」
落ち着いた男性的な声。これはカットのものだ。ミルキーウェイと共に贈られた、巻の伴侶人形。
「じゃあ、ちょっともらおうかな」
「……前から思ってたんだが、蹄人って見た目の割に結構食べるよな」
スカーレット、これはスカーレットの声だ。ミルキーウェイの代わりに、蹄人と契約した人形。そう思うと、心がざわつくのが分かる。理由は負けただけではないだろう。
「そりゃあ、こう見えてティトも食べ盛りの男子高校生だからなぁ」
「こう見えてってなんだ、こう見えてって」
「そうだな。もっと子供っぽい服を着たら、中学生だと言ってもばれないんじゃないか」
スカーレットの冗談に、巻が盛大に笑った声が聞こえた。きっと蹄人は、ふてくされたような顔をしているに違いない。
「……でも、さ」
巻の爆笑がある程度落ち着いた後、蹄人はさっきとは打って変わって、何かを想うような口調で喋りだした。
「劇的な出会いなんて、もうそうそうないかもしれない」
「それはつまり……」
「スカーレットと出会ったあの日以上の、劇的な出会いなんて、ね。あれを超えるなら、それこそ人生を大きく変えるようなものじゃなくちゃ」
ここからでは、スカーレットがどんな顔をしているか分からない。だがきっと、嬉しそうに微笑んでいるに違いない。
悔しくて、羨ましくて仕方がなかった。だがこうなったのは元々全部、自業自得なのだ。
自分が、ラストホープ・グランプリの舞台で、藍葉蹄人を裏切ったせいなのだ。
だからこのまま扉を開き、部屋の中に入る資格は、自分にあるはずがない。溢れ出しそうになる気持ちをぐっとこらえて、ミルキーウェイは音を立てないように扉を閉める。
ここに来る前よりもずっと、惨めな気分が強くなっていた。もし人形に涙を流す機能があれば、叫びながら号泣しているところだ。
しかし胸の中の気持ちをどうすることもできず、ただ抱えたまま、ミルキーウェイは扉に背を向ける。これ以上辛い思いをする前に、さっさとここから立ち去ってしまおう。
そう、思って歩き出そうとしたのだが。背後で扉の開く音がして、ミルキーウェイは立ち止まった。
「……久しぶりですね」
「カット……」
振り向くとそこには、カットが立っていた。輝く青い瞳は、最後に会った時と何も変わっていなかった。
「その、私は……」
なんと言っていいか分からず、ミルキーウェイは俯く。一方カットは、責めることも怒ることもせず、ただ静かに告げた。
「とりあえず、中に入ったらどうですか。いろいろと酷いことになってますし」
「で、でも、蹄人が……」
「ミルキーウェイ、藍葉蹄人がボロボロの元相棒を、怒鳴りつけて追い出すような人間だと思っているんですか」
「ツッ……」
カットの言葉に、ミルキーウェイは弾かれたように顔を上げた。そうだ、蹄人は人形を道具だと言う癖に、誰よりも人形に対して優しい、そんな人間なのだ。
そのことを知っていながら、理解していなかったせいで、己の身を滅ぼすことになった。結局は自業自得だが、でもそれでも、蹄人がまた、自分のことを―――
「さ、どうぞ」
湧き上がる淡い期待に、ミルキーウェイがさっきとは違った意味で押しつぶされそうになる前で、カットが静かに扉を開く。
「……お邪魔します」
ぎこちない足取りで、ミルキーウェイは暗い廊下から、明るい部屋の中に入った。瞬間、中にいた者たちの視線が、一斉にこちらに向けられる。
「ミルキーウェイ……」
「なんで、お前がここに……」
スカーレットと同時にそう言って、蹄人は座っていたソファーから立ち上がると、びしょ濡れのミルキーウェイに近づいてくる。
「瑛はどうしたんだ、それに、その恰好……」
蹄人が心配してくれていることが、はっきりと伝わって来た。あれだけのことをして、人形決闘の際、裏切った自分と戦えて嬉しいとまで言っていたにもかかわらず。
藍葉蹄人はどうしようもないミルキーウェイという人形のことを、未だ心配してくれているのだ。
気が付いたら、ミルキーウェイは床の上に膝をついていた。膝をついて、静かに額を床に擦りつける。
「ミルキーウェイ―――」
「藍葉蹄人様、私がやったことが、消えることは絶対にありません。あなたに与えた苦しみを、あなたの心に残った傷を、無かったことにするつもりはありません」
流れるように、言葉が出てきた。だってそれは、ミルキーウェイの本心なのだから。
「今更謝ったところで、許されるとは思っていません。許されようとも、思っていません」
「……」
「でも、それでも。もしあなたが、良いというならば」
ミルキーウェイは、汚れた顔を上げて、かつての相棒を見上げる。
「もう一度、私と契約して。償いのチャンスをください」
あまりにも虫の良すぎる提案で、自分がどこまでも浅はかで愚かな人形であることは、ミルキーウェイ自身も良く分かっていた。
だが謝って言わずにはいられなかったのだ。否定されたって、拒否されたっていい。人形の墓場で想い続けてきた彼に、気持ちを伝えたかったのだ。
「……」
蹄人は黙って、ミルキーウェイを見つめていた。その胸の内で、どんな考えが巡っているのかは分からない。
「蹄人……」
スカーレットが、問いかけるような視線を投げかける。現在の蹄人のパートナーであるスカーレットからすれば、やはり拒否して欲しいのだろうか。
「ティト。私はミルキーウェイを大切にしてきたお前も、ミルキーウェイに傷つけられたお前も、どっちも見てきた。だからこれはお前が答えを出すといい。悔いのない、答えを」
巻はあくまでも静観する様子だった。蹄人の理解者であるからこそ、余計な口出しはしないということだろう。それは彼女のパートナーであるカットも同じだった。
しばしの沈黙が流れ。蹄人はゆっくりと目を閉じ、長いため息を吐きだした。
「ミルキーウェイ。僕にはもう、スカーレットという新たなパートナーがいる。僕はスカーレットのことが、昔のお前と同じかそれ以上に大切なんだ。だから僕たちの関係が、昔のように戻ることはない」
「……やっぱり、そうなんですね」
きっぱりと否定されたミルキーウェイは、床の上へと視線を落とす。仕方のないことだが、やはりどうしても落ち込んでしまう。
「……だけど」
そんなミルキーウェイに対して。蹄人は一呼吸置くと、再び口を開いた。
「僕は人形を道具だと思っているから。道具に罪を問うなんて、馬鹿らしいことだ」
再び顔を上げたミルキーウェイに、蹄人は赤いフレームのラウンド型眼鏡を軽く押し上げると、懐かしい笑みを浮かべて見せた。
「以前聞いたことがある。人形管理協会には、主を失った人形と、人形を失った人間を、引き合わせるシステムがあるって。ミルキーウェイ、お前はそこで新しい主人を見つけろ」
「それは―――」
「ただ、どこかの人形に裏切られたせいで、僕のアカウントじゃ最低限の機能しか使えなくてね。申請にはある程度手間と時間がかかるだろうから、それまでの間ならまあ、僕の元にいても構わない」
そう言って、蹄人はミルキーウェイでなく、スカーレットの方に顔を向ける。
「構わないか、スカーレット」
対象であるミルキーウェイではなく、スカーレットに承諾を求めるのは、蹄人なりの線引きなのだろう。
「……ああ。私は君の決定に従う。たとえミルキーウェイが戻って来ても、今の君なら私のことを大切にしてくれるだろうからな。それに」
「それに?」
「私は君の、パートナーなのだから」
にっこりと微笑むと、スカーレットはミルキーウェイの前にやってきて、片手を差し出す。
「改めて、藍葉蹄人の伴侶人形スカーレットだ。よろしく、ミルキーウェイ」
きっちりと、マウントを取られてしまったものの。裏切りの罰としては、あまりにも優しすぎるものだった。
諦めたように、だがどこか安堵したように笑って。ミルキーウェイはスカーレットの手を取る。
「ミルキーウェイです。よろしく」
スカーレットの背後で、蹄人がにやにやしているのが見えた。そのすぐ横では、巻がやれやれと両手を広げている。
ゆっくりと、己の中で蹄人との契約が結ばれてゆくのを感じながら。惨めな気持ちが消えて、満たされた思いの中で、ミルキーウェイは静かに目を閉じた。
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