EPISODE38 余計な間食
年末のエデンズ・カップに向けて、蹄人が出来ることは、ただひたすらスカーレットと共に練習を積み重ねるのみである。
といっても本分である学業を疎かにするわけにもいかないため、今日もきっちりとテスト勉強を済ませてから、蹄人は巻のところに向かおうと校門をくぐったのだが。
「……」
校門の前に、一人の女子が腕を組んで立っていた。軽く染めてウェーブかたった長髪に、自分の可愛さを引き立てるためのメイク。これでフェミニンな衣服でも着ていたら男受けは抜群だろうが、残念ながら彼女が身に着けているのは、ガラティア学園の女子制服だった。
彼女の顔には見覚えがあったが、誰だったか思い出せない。記憶力には自信がある方なのだが、覚えていないということは、それだけ印象に残らなかったということなのだろう。
だったらこのクソ忙しい時に、相手をする必要はない。さっさと帰って、スカーレットと人形決闘の練習をしよう。
そもそもどこかで見覚えがある気がするからと言って、自分に用があるとは限らないのだ。勘違いして声をかけて、恥をかくのはごめんである。
内心でそこまで考えて、蹄人は校門をくぐると、そのまま歩き去ろうとしたのだが。
「待ちなさい、藍葉蹄人」
背後から名指しで呼び止められて、蹄人は仕方なく立ち止まると振り向いた。
「……ええと、どちらさまでしょうか」
「あら、冗談はやめてくれないかしら。私のこと、知ってるでしょう」
「……」
やや強気な態度で腕組みをし、蹄人を見つめる彼女に対し。何者なのか思い出せない蹄人は、少し黙った後人差し指で通りを指さした。
「あの、僕急いでるんで。それじゃあ」
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
さっさと歩き去ろうとした蹄人を、彼女は打って変わって慌てた様子で引き留める。出来ればこのまま立ち去ってしまいたかったが、蹄人は仕方なく足を止めて振り向いた。
「まさか、本当に私のこと知らないの?」
「……すみません、どこかで会いましたっけ」
「美衣華!日向美衣華よ、蒼井結翔の仲間って言えばわかるかしら」
「ああ……」
名前を聞いてやっと思い出した。日向美衣華、蒼井結翔の恋人であると噂されている少女であり、人形決闘の腕は中の上、ラストホープ・グランプリでは出場こそしたものの、あっさりと予選落ちしている。
他にも全国大会ベスト16や、女性限定の人形決闘大会シンデレラ・カップベスト8など、それなりに実績はある。
が、言わずと知れたドールマスター蒼井結翔や、「仕掛け人」の異名を持ち罠タイプの人形を使わせたら右に出る者はいない萌木極、シニア部門の全国大会覇者でありこれからの伸び代も期待できる明星院瑛などに比べると、正直言って見劣りしてしまうのだ。
また一部のネットや雑誌なんかでは、結翔の寵愛をいいことに好き放題やっている、なんていうことが書かれていた。人気者である結翔の恋人という立場に対する嫉妬や羨望もあるだろうか、火のない所に煙は立たないともいう。
果たして、この日向美衣華という少女は、どんな人間なのか。探るような眼差しを向けつつ、蹄人は軽いジャブを飛ばすことにした。
「蒼井結翔の情婦が、僕に何か用なのか」
「じょ―――な、この私に向かって、なんてことをッ」
この程度でカッとなるのか。自身の中で美衣華に対する興味がすっと失せていくのを感じながら、蹄人は小さく息を吐いた。
悪人というわけではなさそうだが、思い込みが激しく頭が固いタイプ。ある程度の金と地位と顔面偏差値があれば、手軽に落とせそうな女だ。
「結翔の為に、僕とスカーレットのことを調べに来たのか」
「それは……」
この指摘に打って変わって言い淀むということは、図星なのだろう。つい、露骨にため息を吐きだしてしまいながら、蹄人は言葉をつづけた。
「だったら、こうやって校門の前で待ち伏せするより、過去の記録や映像を分析した方が良いと思うよ。直接観察するにしても、もうちょっと密かにやった方が良いと思うし」
「う、うるさいわねっ」
「それじゃあ、僕はもう行くから……蒼井結翔を倒すためにも、スカーレットと必殺技の練習を積み重ねなきゃいけないし」
今度こそ、立ち去ろうとする蹄人だったが。負けじと美衣華が、蹄人の前に回り込む。
その表情には微かな焦燥が残っていたものの。最初に見せていたのと同じ、強気な色が戻って来ていた。
「藍葉蹄人、結翔の為にも私と人形決闘で勝負しなさい」
「……なるほど」
萌木極や明星院瑛に比べれば、見劣りするものの。実戦が出来るというのなら、乗らない手はない。
学校から直行してきたせいなのか、美衣華の傍にパートナーの姿は見えないが。確か「ショウ」という男性型の伴侶人形と契約していたはずだ。
「いいよ、受けよう。ただしレンタルスペースの代金、持ってくれるならね」
「え、普通男の方が払うものでしょ?」
「……さようなら」
当然とばかりに首を傾げる美衣華に呆れた視線を投げかけて、蹄人が歩き去ろうとすると。美衣華は慌てたように両手を振った。
「じょ、冗談よ冗談。分かったわ、一時間後に駅前のレンタルスペースでやりましょう」
「オーケイ。僕に勝負を挑んだこと、絶対に後悔するなよ」
「当り前じゃない。人形は仲間だってこと、思い知らせてあげるから」
びしっと人差し指を立てた美衣華に、蹄人はやれやれと息を吐くと、やっと美衣華のブロッキングから抜け出して、筒道駅へと歩き出す。
大晦日の蒼井結翔との戦いに備えて、スカーレットと共に戦法や必殺技を研ぎ澄まし洗練している今の段階において、美衣華との一戦は余計かもしれない。下手をすれば、集中力が乱れて悪影響が生ずる可能性もあるだろう。
だが、挑まれた勝負を断れば、相手に舐められることになるだろうし。何よりこの一戦は、結翔サイドにこちらの実力を伝えるいい機会かもしれない。
暗躍している極はもちろんのこと、プライドの高い明星院瑛も、蹄人の実力をろくに伝えてくれはしないだろうが。結翔の恋人である彼女なら、ありのままの結果を結翔に叩きつけてくれるだろう。
だからこそ、この一戦。絶対に手を抜くわけにはいかない。こちらの切り札を見せるわけにはいかないが、それでも油断せずきっちりと勝利を掴んでいかなければ。
駅に着いた蹄人は、改札を通り抜けてプラットフォームに降りると、スマートフォンを出して巻に電話を掛ける。
「もしもし、ちょっとつまみぐいしようと思うんだけど、スカーレットを駅までよこしてくれないかな」
スカーレットを連れて、蹄人がレンタルスペースの中に入ると。そこには一人の男性型人形が座っていた。
「日向美衣華の伴侶人形、ショウ、だな」
スカーレットが声をかけると、ショウはゆっくりと顔を上げる。白い髪に青い瞳をした美しい見た目をしていたが、その表情にはどこか空虚な雰囲気がある。
「今回の対戦相手のスカーレットだ、よろしく」
「よろしく……ご主人は今、お手洗いに行ってます。そこに座って、待っていてください」
ショウが片手で向かい側のソファーを示すと同時に、背後で扉が開く音がして、美衣華がレンタルスペースの内部に入って来た。
「あら、逃げずに来たのね」
「もちろん。素敵なレディからのせっかくのお誘い、断るなんてとんでもないさ」
見え透いた挑発に、美衣華は露骨に顔をしかめてから。テーブルの上に銀色に輝くセットアップボトルを置いた。
「御託は良いから、さっさとやりましょう」
これ以上挑発を食らうと、戦闘前に心が乱れてしまうと思ったのか。それともただ単に、言われるのが嫌なだけなのか。
「……了解」
どちらでもいい。たとえ投げかけた挑発が効こうと効くまいと、目の前にいる相手を打ち倒す、そのことにいつだって変わりはないのだから。
蹄人がスカーレットに目配せをすると、スカーレットは頷いて、セットアップボトルの前に立った。
「ショウ」
美衣華に名前を呼ばれたショウも、同じくボトルの前に立って、取っ手を握りしめる。
艶やかな深紅のスカーレットの長髪と、やや癖毛気味なショウの白髪が揺れた時、人形決闘は始まった。
スカーレットと、ショウ。二体の人形がドームの外に帰還すると、美衣華は目を見張りながら後ずさった。
「う、嘘よ……わ、私が、負けたなんて」
「……対戦ありがとうございました」
礼を言ったものの、正直拍子抜けだった。ショウは槍タイプの人形のようだったが、真っ直ぐ突っ込んでくるだけで、攻撃をかわしつつ銃弾を撃っているだけで簡単に終わってしまった。
明らかに、戦闘に対する経験値が足りていない。同じ女性の人形師でも、あの田舞鎮世の方がずっと強かった。
「人形を道具扱いしている奴なんかに、ま、負けるなんて……」
「ご主人……」
へたり込むようにソファーに座って、目を白黒させながらうわごとのように呟く美衣華に背を向けて、蹄人は赤いラウンド型フレームの眼鏡を直すと、小さく息を吐いた。
「帰るぞ、スカーレット」
「そうだな、お腹が空いただろう、蹄人」
「ああ。早く帰ってカットが作った夕食を食べたい」
レンタルスペースの扉に手をかけて開く間に、蹄人の頭の中からは、既に美衣華との一戦は締め出されていた。
だが。あとは出て行くだけだという時、蹄人の肩越しに何かが飛んできて、廊下の壁にぶつかって音を立てた。見るとそれは、部屋の中に備え付けられていた灰皿のようだった。
「うう、うう……うわあああぁぁぁぁん」
同時に背後からそんな泣き声が聞こえ、振り向くと子供のように号泣する美衣華に、ショウが困ったように寄り添っていた。その姿はまるで、赤子をあやす保母のようだった。
「なんで、何で私がッ、こんなやつにいいぃぃ……」
泣きながら喚く美衣華の頭を、ショウは優しく撫でてから、唖然と立ち尽くす蹄人とスカーレットに顔を向ける。
「お恥ずかしいところを見せてしまって、すみませんでした。対戦ありがとうございました」
立ち上がって、ショウは蹄人とスカーレットに対し、深々と頭を下げた。
「あなたたちがご主人の挑戦を受けてくれたおかげで、俺は久しぶりに人形決闘が出来ました。とても、とても楽しかったです。ありがとうございました」
きっと。人形に涙を流す機能があったのならきっと、ショウはこの瞬間泣いていたのだと思う。
蒼井結翔と「仲間」の人形たちのことは、ミルキーウェイから聞いたが。美衣華もまた、「仲間」であるショウに似たようなことをしているのだろう。
「蹄人……」
スカーレットに名前を呼ばれて、蹄人はぎりぎりと歯を食いしばる。
他の人形と人形師の関係に、口出ししたところで何にもならない。たとえどれだけ、やりきれない思いを抱いたとしても、何かを言ったところで、関係が変わるわけではないだろう。
「……なら、よかった」
頭を下げるショウにそう言って、蹄人は背を向けた。
「帰るぞ、スカーレット」
「……ああ」
静かに目を閉じて、頷いたスカーレットと共に。蹄人はレンタルスペースの部屋を後にした。
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