EPISODE37 計画は順調

 エデンズ・カップのエキシビジョンマッチの、対戦カードが発表された翌日。

 萌木極は99と共に、ガラティア学園の付近にある、ある施設を訪れていた。

「……ねえ99、ここの会費一か月いくらぐらいだと思う?」

「さあ。ノートパソコン一台分ぐらいじゃないんですか」

「惜しい。正解はその倍だ」

 いかにもこだわっていますと主張しているような、洒落た施設の入り口に掲げられた看板には、「人形決闘特訓所アイディアル」と書かれていた。

 人形決闘特訓所、通称「ジム」はその名の通り人形決闘の特訓をする場所である。設備はジムごとにピンからキリまであるが、この「アイディアル」はその中でも一流のものを取り揃えている。

 ただ、それだけに入会費及び年間会費も一流なのだが。ドールマスターとして、様々な企業からバックアップを受ける蒼井結翔にとっては、高額の会費など些細極まりないことである。

 自動ドアの入り口から中に入って、模造繊維の制服を身に着けた受付の人形に、極はにこやかな態度で声をかける。

「やあ、蒼井結翔くんと会いたいんだけど、連絡はしてあるはずだよね」

「少々お待ちください……萌木極様と、伴侶人形の99様ですね」

 資料を一切確認することなく答える辺り、この受付の人形には名簿オプションが搭載されているのだろう。人間と違って、容量が許す限り確実に記憶できるところが、人形のいいところである。

「蒼井結翔様は、現在第二シミュレーションルームで特訓なさっております」

「ん、ありがと」

 営業スマイルを貼り付けたままの人形に、極は片手を振ると。観葉植物とウォーターサーバーの設置された待合室を横切り、第二シミュレーションルームへと向かう。

 防音のため聞こえないだろうが、一応扉をノックして。極が扉を開くと、部屋の中ではシミュレーション装置の前に座っていた結翔が、顔面に装着していたVR機器を外して、立ち上がったところだった。

「やっほう。精が出るねえ」

 極が片手を上げながら近づくと、結翔はゆっくりと振り向いた。同時に、シミュレーション装置に設置された疑似ボトル内部のドームから、操っていた人形が帰還してくる。ハルカではなく、緑の髪と瞳をした大人しそうな人形だった。

「ジム嫌いなお前が、見学したいなんて珍しいな」

「……それは建前さ。こうでもしないと、忙しい結翔くんとじっくり話す機会がないからねえ」

 シミュレーション装置を一瞥してから、極は結翔に向き直ると、ジャケットのポケットに手を突っ込んで言った。

「そういえば、エデンズ・カップのエキシビジョンマッチ、対戦カードが発表されたみたいだけど」

「そうだな。まさかあの藍葉蹄人と、再び舞台の上で相まみえることになるとは」

「不満かい、結翔くん」

 探る様に、極が投げかけると。結翔は一切動揺することなく、白い歯をにっと見せた。

「まさか。むしろこれは良い機会だぜ。今度こそ、藍葉蹄人の『人形は道具だ』っていう思想が、間違っていることを気づかせてやる」

 結翔の青い両目に、闘志が漲っているのが、極にははっきりと分かった。

 今回は結翔がこの対戦カードに、不満や不信感を抱いて辞退しないかを確認しに来たのだが、どうやら問題なさそうだった。たとえ思想が歪もうと、結翔が人形と人形決闘を愛する、生粋の人形師であることは変わらないのだ。

「杞憂でしたね、マスター」

「……うん。そうだ、結翔くんは元々こういう人間だったってことを、思い出したよ」

 99と小声で囁きかわしながら、極は内心でそっとため息を吐きだした。最近裏工作に熱中しすぎて、少し疑い深くなっていたのかもしれない。

 暗躍する後ろめたさから、友人のことをいつの間にか信じられなくなっていたのだろう。結翔のことを思ってのことであるのに、これでは本末転倒だ。

 内心で苦笑する極に対し、結翔はいつもと何も変わらない調子で、シミュレーション装置に向き直る。

「そのためにも、俺はもっと強くならなくちゃならない。悪いな、極。あんまり話せなくて」

「ううん、知りたいことはもう分かったから大丈夫」

 静かに頭を振ってから、極はふと、結翔の隣に立つ緑髪の人形に視線を向ける。

「ところで結翔くん。エキシビジョンマッチでは、ハルカと組むんだよね」

「もちろん。せっかくの晴れ舞台なんだ、ハルカと一緒に戦うに決まってる」

「……エデンズ・カップまで、もうあんまり時間がないけど」

 緑髪の人形を悪く言うつもりはないが、ハルカと共に藍葉蹄人と戦うなら、何故今他の人形と人形決闘の練習しているのか。藍葉蹄人と戦うために練習を重ねるのなら、何故ハルカを使わないのか。

 極は暗にそう問いかけたつもりだったが、結翔は事もなげに言った。

「仕方ないさ。今週末に公式戦があるんだ。相手はランキング上位の針タイプで、状態異常系の必殺技が得意な強敵だ。藍葉蹄人との戦いが控えているとはいえ、目の前の戦いに対しても、手を抜くわけにはいかない」

「ふーん……」

 すっと、極のなかに冷静さが戻って来た。結翔の言い分はもっともだが、ラストホープ・グランプリ以降、結翔がハルカと共に戦っているのを見たことが無い。

 長年連れ添った伴侶人形なら、ぶっつけ本番でも問題ないということだろうか。実際に結翔には、それが可能なだけの実力があることだし。

 だがその「慢心」は、必ず結翔の足元を掬わせることになるだろう。極自身の仕組んだ、舞台の上で。

「じゃ、またね結翔くん。今度暇なときにでも、ご飯食べに行こうよ」

「ああ、またな極」

 再びVR機器を手に取った結翔に背を向けて、極は99と共に第二シミュレーションルーム出て行こうと、したのだが。

 開こうとした扉が、目の前で開いて。腕組みとしかめっ面を装着した、日向美衣華が入ってきたせいで、極と99は完全に出て行くタイミングを逃してしまった。

「信じられない!なんで藍葉蹄人が、ゆいくんと戦わなきゃいけないのよ。それもよりによって、エデンズ・カップのエキシビジョンマッチなんていう大舞台でッ」

「……これはまた、随分とお元気な様子じゃなあないか、美衣華ちゃん」

「……萌木極。なんであなたがこんなところにいるのよ」

 極の存在に気が付いた美衣華が、露骨に睨みつけてくるが。極は構わずに、美衣華に対してにこやかな笑みを向ける。

「いやあ、いくら結翔くんの彼女でも、一度公式的に決まった対戦カードを、覆すことは出来ないと思うよ」

「なッ……でも、藍葉蹄人なんかゆいくんと戦う価値もない存在でしょ。それなのになんで」

 彼女と言われて一瞬顔を赤らめたものの、美衣華はすぐに元のヒステリックな態度に戻り、極の背後で既にシミュレーションを再開していた結翔へ視線を向ける。

 そんな美衣華の視線を遮る様に移動し、極は顔に手を当てて、煽るような眼差しを彼女に投げかけた。自分勝手に喚いている女ほど、御しやすいものはない。

「そんなにこの対戦カードが不安ってことは、あれえ、もしかして美衣華ちゃん、結翔くんのことを信じられてないの」

「そ、そんなこと、あるわけないでしょ。私はゆいくんが絶対勝つって、信じて―――」

「じゃあ、さ。別に相手が藍葉蹄人だろうと誰だろうと、関係ないんじゃないかな。さっきも言った通り、どのみち君一人の意見じゃ対戦カードは変えられないし、素直に応援してあげるのが一番じゃない?」

「くっ……そ、そうね、あなたにしては、珍しくいいこと言うじゃないの」

 悔しさと納得の入り混じった、複雑な表情を浮かべて。美衣華は極に背を向けると、第二シミュレーションルームを出て行った。

「でも、私にだって……」

 一言。最後に呟いて立ち去った美衣華の姿を見送って、極はあくびをしながら今度こそ部屋の外に出ると、扉が完全にしまったのを確かめて、立ち止まって付き従う99を振り向いた。

「ねえ、99。今後の美衣華ちゃんが、どんな行動に出るか楽しみだとは思わないかい」

「ある意味そうかもしれませんね、でも」

 いつも通り、ため息を吐きだしてから。99はどうでもいいというように、首を傾げて見せた。

「たとえ美衣華さんがどんな行動を起こそうと、計画に支障はない。そうでしょう、マスター」

「その通り。さすが僕のパートナーだ」

 パチンと指を鳴らして、極は鼻歌を歌いながら待合室の前を通り過ぎる。受付の人形が訪れた時と同じ笑顔で、お辞儀をしてくれた。

 建物の外に出ると、ポケットの中でスマートフォンが着信を告げた。立ち止まって確認すると、藍葉蹄人からメッセージが届いていた。

 立ち止まって、チャット欄を開くと。絵文字も何もない簡素な文章で、こう書かれていた。

『蒼井結翔の人形決闘について、お前の知っていることを全て教えろ』

 藍葉蹄人と蒼井結翔は、その思想こそ決定的に違うものの、お互いとてもよく似ているところがある。目の前の勝負に対して全力を尽くし、人形と人形決闘を何よりも愛している人形師である。

 だからこそ、だ。だからこそ、どちらがより深く人形と一つになれるか。どちらがより強く、相手を倒すことを願っているのか。どちらがより、人形に対する想いが強いか。その差こそが、今回の勝負の勝敗につながると、極は密かに思っている。

「僕は君に賭けてるんだから、頑張ってちょうだいよ、蹄人くん」

 濃い絵柄の漫画キャラクターの、「OK」スタンプで返信を終えてから。極はスマートフォンをポケットの中に仕舞う。

「マスター、悪い顔してますよ」

 横で静観していた99に、ため息交じりに指摘されて。極はそっと口元に手を当てて、唇を揉んだ。

「そりゃあね。計画が順調に進んでて、蹄人くんとスカーレットこの様子じゃ、しっかりと仕上がってきそうだから。悪い笑みだって、浮かべたくなるものだよ」

「まったく……でも、その気持ち分からないでもないですね」

「だろ?」

 勝負に絶対はない。藍葉蹄人が蒼井結翔に惨敗して、計画が全て無駄になる可能性も十分にある。

 だが。今の結翔に、藍葉蹄人とスカーレットが負ける気がしない。人形に対する想いが歪み、そのことに未だ気づけずにいる蒼井結翔には。

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