EPISODE9 傷と重圧

 一週間後。

 蹄人が筒道高校の校門をくぐると、周囲の視線が一瞬だけ向けられたものの、いつものように飽き飽きした陰口を囁く者はいなかった。

 あの藍葉蹄人が新しい人形と契約をして、人形決闘部を壊滅させたという話は、瞬く間に全校へと広がっていった。

 パートナーに見捨てられたと、さんざん陰口を叩いてきたものの。蹄人の出した「結果」の前に、皆気まずい思いをしているということだろうか。

 正直、悪い気分ではないのだが。そのことを堂々と誇張するのは、愚か者のやることであるため、周囲に対する優越感は胸の中だけで堪能することにしている。

 もっとも中には、「契約した人形がかわいそう」という奴らもいるようだが。スカーレットとの関係を、他人にあれこれ言われる筋合いはないし、言われたとしても気にする必要はない。

 ざわつく周囲の反応を無視して、蹄人は来週行われる中間テストについて考えながら、校舎に向かって歩いていたのだが。

「藍葉蹄人」

 背後から強い感情の籠った声で、何者かに名前を呼ばれて、蹄人はぴたりと足を止めた。

 だが振り返ることはせず、目の前に迫った校舎を見上げながら、背後に立つ人物に返事を返す。

「……思ったよりも、お早いお帰国で」

「そっちこそ。部長である僕のいない間に、随分と好き勝手してくれたみたいじゃないか」

 やっぱり、予想していた通りだ。胸の中に湧き上がる、期待と喜びを何とか押さえつけて、蹄人は顔に挑発的な笑みを浮かべると、ゆっくりとした動作で振り返った。

 立っていたのは、一人の少年だった。身長は蹄人より高いが、男にしてはずいぶんと細い体つきと、濃い茶色をした長い髪に色白の肌、きりっとした瞳の整った顔立ちは、ほんのりと女性的な印象を与えてくる。

 とはいえ着ている制服が男子のものであること、さらに言えばネクタイの色から年上の三年生であることが、一目見てすぐに分かったのだが。

 繊細な文学少年といった見た目の彼は、蹄人に対し睨みつけるような鋭い視線を向けると、低い声で自らの名を名乗った。

「一応名乗っておこう、僕は人形決闘部部長、詩霜双矢だ」

 知っている。この一週間の間にインターネットや図書館で、彼の過去の戦績やインタビュー記事などを徹底的に調べておいたのだ。敵の事前調査は、人形師の嗜みである。

 もっともそれは、向こうも同じことだろうが。だからこそ、蹄人は片手を胸に当てると、双矢に向かって頭を下げた。

「では僕も一応。藍葉蹄人といいます、無所属の、しがない人形師です」

 後輩らしく敬語で挨拶をして、蹄人は顔を上げる。事前調査と同じく、挑発もまた人形師の嗜みであると、蹄人はひそかに思っている。

 この程度の挑発に動じるようでは、底はたかが知れているが、果たして。

 顔を上げると、双矢はいたって冷静そうな表情を浮かべていた。内心ではどう感じているか分からないが、少なくとも副部長の田舞鎮世よりは、歯ごたえがありそうだ。

「そのしがない人形師とやらに、人形決闘部は壊滅させられたんだけどね……だからこそ、部長である僕は君と戦い、面子と誇りを取り戻さなくちゃならない」

「なるほど。敵討ちの挑戦状ってところか」

「でも。それは建前に過ぎない」

 細く長い人差し指を立て、薄い唇の前に掲げて。双矢は蹄人に負けない、挑発的な笑みを浮かべて見せる。

「僕は僕個人として、君と戦いたい。一年のブランクがあるとはいえ、ラストホープ・グランプリでベスト4に残った君相手に、僕がどこまでやれるのか。それを確かめたいんだ」

「奇遇だな……僕も一年のブランクで訛り切ったこの腕で、どこまでやれるのか確かめたかったところだ」

 数十秒、お互いの真意を探るように見つめあってから。

 ここは後輩らしく、引き下がってやろうと、蹄人はわざとらしくため息を吐き出す。どれだけ探られても、こちらには裏なんかないのだ、痛くも痒くもない。

「そろそろホームルームが始まるので、失礼しますね」

 赤いフレームのラウンド型眼鏡を押し上げて、蹄人が双矢に背を向けると。

「放課後、体育館に『卓』を立てておく。くれぐれも、逃げないでくれよ、しがない人形師くん」

 背後から双矢が、強気に言い放つ声が聞こえた。

 人形決闘専用テーブル、通称「卓」。ドームの中の様子を、接続したスクリーンに映し出すことが出来る設備であり、公式非公式問わず様々な大会で使用されている。

 基本的に一つの学校に一台は常備されており、当然筒道高校にもあるのだが。わざわざそれを使って、人形決闘をやるというのか。

「……なるほど、さすが人形決闘部部長だ」

 校舎の中に入って、合成革の靴を脱ぎ。若干震える手で、蹄人は下駄箱の扉を開く。

 人形決闘部を壊滅させた人形師と、人形決闘部の部長が戦うのだ、学校中の生徒が注目するのは間違いないだろう。

 だが注目は、蹄人にとってマイナスとなる。なんたって、前に衆人環視の元で人形決闘を行ったのが、あのラストホープ・グランプリの準決勝なのだから。

 蒼井結翔とハルカに負けて、ミルキーウェイに見放されたあの一戦が、トラウマにならないわけがない。双矢はそんな蹄人のトラウマを、がっつりと利用してやろうという魂胆なのだ。

 スカーレットと契約して、大分立ち直ってきたと思っていたのだが。心の奥に刻まれた傷は、容易く消えてはくれないようだ。

 深呼吸をして、何とか自分を落ち着かせると。取り出した上履きを履いて、蹄人は毅然とした態度を装って、教室へと向かって歩き出す。

 何を弱気になっているんだ。先手を取られたとはいえ、こっちだっていろいろと準備をしてきたのだ。自分のトラウマなんかのせいで、スカーレットと積み重ねた特訓の成果を、無駄にするなんてあってはならないことだ。

 人形を「道具」として扱うなら、すべての責任は人形師にある。だからこそ、過去になんか負けるわけにはいかない。

 教室の扉を開いて中に入ると、蹄人は真っ直ぐ自分の席へと向かう。途中他の机にぶつかって、座っていた生徒から舌打ちされたが、気にしている余裕はない。

「……いや、これはあいつにとっても、完全なプラスじゃあない」

 双矢にとって、この人形決闘を衆人環視の元で行うというのは、諸刃の剣になるだろう。

 こちらに失うものが何もない一方で、双矢は人形決闘部を潰され、部長としての面子は崖っぷちなのだ。そんな状況で大勢の生徒に見守られて人形決闘を行うというのは、さぞかしプレッシャーがかかるだろう。

 もっとも。双矢が大層な自信家か、あるいはナルシストだというのなら、プレッシャーなんてないのだろうが。会話を交わした限り、彼がそういう人間には思えなかった。

 自分が過去の傷によって苦しめられるのなら、双矢は現在の地位によって苦しむことになるだろう。そう思うと、ある意味フェアな戦いかもしれない。

「そっちこそ、逃げるなよ」

 蹄人が呟くと同時に、始業のチャイムが教室に鳴り響いた。

 授業なんかお構いなしに、作戦を練りたくて堪らないところだが。迫ってきたテストによって、真面目に授業を受けざるを得ないのが、学生のもどかしいところである。


 さっきから授業の内容が、まるで頭に入ってこない。

 シャープペンシルを握って、黒板を見つめながら。双矢は頭の中で、放課後に行われる藍葉蹄人との人形決闘のことを考え続けていた。

 人形決闘専用テーブルを使用した、衆人環視の元行われる人形決闘。蹄人のトラウマを抉るために用意したのだが、それが今は双矢の心を蝕んでいた。

 テスト前のこの状況で、人形決闘部の顧問を説き伏せて。体育館の貸し切りと「卓」の使用を許可させるのは、随分と骨が折れた。

 準備段階では、それだけする価値はあると思っていたのだが。いざ戦うとなると、通常の人形決闘にすればよかったという思いが、どんどん大きくなってきたのだ。

「仕方ないな……その代わり、負けるんじゃないぞ」

 顧問教師が冗談めかして言った一言が、双矢の胸の中にずっと残り続けている。

 そう、自分は何が何でも負けられない。ここで負けたら人形決闘部の面子は完全に潰れ、周囲から軽蔑と非難の雨を浴びせられることになる。

 自分一人ならそれでも構わないのだが、鎮世を含めた部員たちまで群衆の玩具にされるのは避けなければならない。人形決闘部部長として、負けるわけにはいかないのだ。

 だがそれは原因の、ほんの半分。もう半分は双矢の、蹄人に対する個人的感情にある。

 別に昔、蹄人と戦って負けたとか。そういうことは一切ないのだが。

 藍葉蹄人が筒道高校に入学したと聞いた時、双矢は己の耳を疑った。

 筒道高校の人形決闘部はそれなりに実力があるものの、所詮は中の上か上の下程度でしかない。

 ラストホープ・グランプリであんなことがあったとはいえ、蹄人ほどの人形師なら、もっと人形決闘のレベルの高い学校から、スカウトが来てもおかしくないというのに。

 何でよりによって、筒道高校に。なんで自分のいる、筒道高校に。

 周囲が蹄人を嘲笑う中、双矢は一人怯えていたのだ。蹄人に人形決闘部を乗っ取られ、部長の座を奪われることを。蹄人と彼の新たなパートナーに、自分とアリスが敗北することを。

 そう。去年の全国大会決勝戦、あの二種類の斧を使う白髪の人形に、手も足も出なかった時のように。無残に残酷に、敗北することを恐れたのだ。

 もっともすぐに、蹄人が新たな人形と契約する気配がないことを知って、その恐怖は消え去ったのだが。

 あの時最も恐れていたことが、気が付いたら現実になってしまっていたのだ。プレッシャーに、心を蝕まれないわけがない。

 もしも、もしも負けたとしたら、そこが己の才能の限界―――。

 どんどん膨らんでくる、ネガティブな考えを振り払おうと必死に勤めながら。双矢は心の中に、自宅で待つアリスのことを思い浮かべようとする。

 こんな時、隣にアリスがいてくれれば。自分のことを優しい笑顔で、励ましてくれるというのに。

 たとえ何度負けても、アリスはいつも微笑んでいてくれる。申し訳ないと思いつつも、双矢はアリスのそんな笑顔に、何度も救われてきたのだ。

 放課後まで学校に人形を持ち込めないことが、こんなにも辛く感じたことは今までなかった。ああ、早くアリスに会いたい、会って彼女の笑顔を見たい。

 藍葉蹄人との人形決闘が、どんなに重圧を与えてきても。アリスと一緒なら乗り越えられる、アリスがいればきっと勝てる。

 自分自身にそう言い聞かせ、双矢は止まっていたペンをやっと動かし始めた。

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