EPISODE10 森の中
中間テストに備えて、しっかりと授業を受けた放課後。
蹄人が校門に向かうと、そこにはスカーレットが待っていた。休み時間に巻に連絡を入れて、授業が終わるのに合わせて待機させておいてもらったのだ。
「スカーレット」
蹄人は名前を呼びながら駆け寄って、スカーレットの全身をざっと眺める。わざわざこの日の為に用意した衣装を、スカーレットはしっかりと身に着けてくれていた。
「調子はどうか」
「問題ない。ここに来る前に巻がざっとメンテナンスをしてくれた。だからむしろ、最高の状態と言えるだろう」
「なら良かった」
さすが巻だ、気が利いている。本格的なメンテナンスは時間がかかるため、簡易的なものだろうが。それでも巻の腕によるものなのだ、調整は完璧だと思っていいだろう。
「奴は体育館で待っている。行くぞ、スカーレット」
背を向けて歩き出した蹄人に、付き従うスカーレットの、心配そうな言葉が聞こえた。
「蹄人、その、大丈夫なのか」
動き出したばかりの足を止めて、蹄人は怪訝な顔をしてスカーレットを振り向く。
「大丈夫って、何のことなんだ」
「巻から聞いた。観客に見つめられながら人形決闘をやるのは、一年前のラストホープ・グランプリ以来だと」
「……」
自分を道具として扱う以上、指示を出す人形師が己のトラウマによってしくじるのが、心配なのだというのだろうか。
スカーレットの心配が、蹄人のことを心から気遣ったものであることは、ちゃんとわかっているのだが。改めて自分に言い聞かせるためにも、蹄人は敢えてそう思うことにした。
不安じゃないと、怖くないと言えば嘘になる。逃げないと決めていても、心の中には背を向けて目をつぶりたいと、願っている自分がいる。
あの日の出来事は数えるのが馬鹿らしくなるほど夢に見て、周囲からずっと白い視線を向けられてきた。そう簡単に、容易く克服できるものでも、忘れられるものでもない。
だが。蹄人は心配そうな表情をするスカーレットに、強気に笑って見せる。
「僕がトラウマごときで、操作に支障をきたすような人間だと思うか」
メンタルの不調に戦いが左右されるような人間が、そもそも世界大会の舞台に立てるはずがない。
トラウマは消えないが、戦いの間だけ、一時的に目を背けることならできる。自分の中で適当な言い訳をでっちあげて、その場しのぎの納得で誤魔化すことは出来るのだ。
下手に向き合って自らの首を絞めるぐらいなら、目をつぶってそっぽを向いた方がずっといい。しっぺ返しは戦いの後で、たっぷりと食らってやればいいのだ。
「メンタルコントロールは既に済んでるから。お前は道具らしく、素直に僕に使われていればいい」
力強い声で言って、蹄人は再びスカーレットに背を向けると、目的地の体育館に向かって歩き出す。
道具であるスカーレットに心配され、気を使われる方がかえってやりづらい。気を使って変な風に動かれたら困るし、何より自分の心配をするぐらいなら、目の前の戦いに集中してほしい。
スカーレットが付いてくる足音が聞こえてきたが、もう何も言うことはなかった。それでいい、ごちゃごちゃ言って却って不安になるよりも、全ての意識を相手に対する闘志にしたほうが、ずっと有意義だ。
校舎の中に入って、一階の廊下を進み。最奥にある大きな両開きの扉が、体育館への入場口。周囲に他人の気配はないが、放課後にもかかわらずこんなにも静まり返っているのは、逆に不気味に感じられる。
中から観客たちの声でも聞こえてきた方が、緊張が若干ほぐれて有難いのだが。軽く頬を叩いて深呼吸をすると、蹄人は重い扉に両手をかける。
「行くぞ、スカーレット」
ゆっくりと扉を開いた瞬間、眩しい照明の光が一気に溢れ出してくる。同時に生徒たちの、耳障りなざわめきの声も。
思わず蹄人は手で顔を覆ってから。手を下げて、体育館の茶色い床の上へと一歩踏み出す。
体育館の中央には、学校の備品である人形決闘専用テーブルが設置されていて。奥の舞台の前には、ドームの内部を映し出すためのスクリーンが広げられている。
そしてその純白のスクリーンの前には、メイド服姿のパートナー人形・アリスと共に立つ、詩霜双矢の姿がある。彼は入ってきた蹄人の姿を認めると、口元に笑みを浮かべて見せた。
「さすがに、逃げずに来たか」
「先輩からのせっかくのお誘い、すっぽかすなんてとんでもないことですからね」
「あはは、光栄だよ。でも神聖なる勝負の前では、学年なんて関係のないことだよ……さあ、早く卓の前に」
片手で卓を示す双矢に、周囲の観客が歓声を送る。卓の周囲には双矢が集めたのであろう大勢の生徒たちが詰めかけており、中にはスマートフォンで撮影を行っている者もいるようだ。
衆人環視の元で行われる、人形決闘。周囲の観客たちの姿が、設置された卓が、あの日の光景と重なってしまうのではないかと、蹄人は恐れていた。
恐れて、いたのだが。改めて直面してみると、あの日と目の前では、あまりにも違いすぎて。
ラストホープ・グランプリでは、立っているステージそのものに出力装置が内蔵されていて。大会のロゴが入った巨大な特別製ドームを挟んで、結翔と熱い火花を散らしていた。五百万を超える観客に見守られ、戦闘は四つの方向に設置された巨大モニターに映し出されていた。さらには同様の映像が、インターネットや世界中のテレビで、アナウンサーの実況つきで放送されていた。
だが目の前にあるこの光景はどうだ。使い古した備品の卓に、せいぜい十数人程度の観客。体育館も狭いし、スクリーンも一つしかない。
この程度でトラウマを抉られることを心配していた、自分が馬鹿らしくなってくる。あの日のことを思い出させるというのなら、もっと広い会場で、最低一万人ぐらいは観客を用意してもらいたいものだ。
だから蹄人は、顔に心からの余裕を含んだ笑みを浮かべて、スカーレットと共に卓の前に向かう。
「わざわざ素敵なステージを用意していただき、ありがとうございます。それでは対戦よろしくお願いします、先輩」
礼儀正しく挨拶してやると、双矢が微かに動揺したのが分かった。こちらが一切ダメージを受けていないことに、己の策が無意味だったことに気が付いてしまったのだろう。
しかし彼はあくまで平静を装って、アリスに前に出るよう動かす。
「こちらこそ、対戦よろしくお願いするよ」
蹄人もスカーレットにアイコンタクトを送って、卓の前に立つよう促す。卓の上では既に配置されたセットアップボトルが、鈍い銀色の光を放っていた。
相対する二体の女性型人形と、その主である二人の少年。
アリスとスカーレットが同時に手を伸ばし、ボトルの取っ手を握りしめた瞬間。周囲の声も音もすべて消えて、蹄人の意識は戦いの中へと引き込まれていった。
ドームの内部に広がっていたのは、木々の生い茂る深い森。
非常に多様な種類のあるランダムフィールドの中でも、基本とされるフィールドの一つで、管理協会のボトル宣伝動画でもよく使用されている。
スカーレットも練習において、何度か森フィールドで戦ったことはあるのだが。だからこそ分かることもあるのだ。
『森フィールドは、銃タイプのような遠距離攻撃型の人形には向いていない』
銃の撃鉄を起こし、手早く準備を整えたスカーレットの頭の中で、蹄人の声が響き渡った。
周囲を囲む太く頑丈な木々に、茂った枝葉によって生み出された暗闇。だが隙間から差し込む光によって、暗視スコープを使うほどでもなく、せいぜい見通しが悪い程度。
もっとも。その見通しの悪さが、銃タイプにとっては致命的なのだが。敵の位置が分かりづらいということは、それだけ狙いが定めにくいということである。
だが。今回ばかりはこちらが、完全に不利というわけではない。
『双矢の人形、アリスは弓タイプの人形だ。射線が通らずに苦労するのは、向こうも同じこと』
事前に調べた情報を、蹄人が確認するように呟くと同時に、「位置確認」の指示が送られてくる。
指示に従い、スカーレットは己に内蔵された「位置確認」のオプションを起動する。このオプションは、ドーム内のどこに自分がいるかを確かめるもので、便利ではあるが敵の位置は分からないため、あまり過信しすぎるのは禁物である。
スカーレットの視界にグリッド線の引かれた円が現れ、右下の端に光る点が表示される。これで自分の現在地は把握できた。
『できれば敵より先に、中央を陣取りたいところだ……ということでスカーレット、周囲に警戒しつつ、フィールドの中央を目指して移動してくれ』
「了解」
頷いて、スカーレットは森の中を移動し始める。
フィールドの移動にデメリットのあるオプションは搭載していないものの、小枝や落ち葉の散らばる土の上というのは、なかなか走りづらいものだ。
本来なら、もっと早く走れるものの。それらの障害物のせいで走るスピードがいつもより、若干落ちていることをスカーレットは感じていた。
『……弓タイプは銃タイプよりも連射性や汎用性に劣る分、必殺技のバリエーションに富むと言われている』
移動の間も、頭の中で蹄人が呟く声が聞こえてくる。
『対戦相手のアリスも、豊富な必殺技により数々の勝利をもぎ取ってきた人形だ。その中には、フィールド全体を攻撃する大技もある……もっとも強力な分消耗の激しい大技を、この序盤でいきなりぶっ放してくるとはさすがに思えないけど―――』
呟く蹄人の声が、どことなく不安げであることに、スカーレットは気が付いた。いつもは自信家な彼が、不安を感じているということに、スカーレットはとても嫌な予感を覚えた。
そして十秒後、スカーレットの抱いた嫌な予感は、見事に的中することになる。
ランダムフィールドに森が選ばれたこと、スタート地点が森の中央だったことは、アリスにとって非常に幸運なことだった。
素早い身のこなしで森の中を移動し、ドームの中央に立つと。アリスは手に持った弓に矢を番って、生い茂った木々の隙間、上部から差し込む一筋の光へと、矢尻を向けて引き絞る。メイド服を基調とした戦闘形態に、赤と黒を基調とした弓矢が良く似合っている。
『人形師の戦い方には、大きく分けて二つある。序盤に大技ぶちかますタイプと、大技を後半まで温存しておくタイプ。個人の趣味や得手不得手や、人形のタイプなんかにもよるけど、藍葉蹄人はどちらかといえば後者だ』
頭の中で聞こえる、双矢の声と共に。送られてくる指示に従って、アリスは矢にマジックポイントをチャージしていく。
『もともと彼は大技でごり押すより、小技の連続で勝負をつけるのを得意とする人形師だ。だから最大の必殺技は、必ず決められる場面でしか使わない―――だからこそ』
双矢が指示したのは、セットされた必殺技の中でも、最もマジックポイントを消費するもの。それをこれから、ぶっ放そうというのだ。
『僕は敢えてその逆を行く。たとえ弓タイプの定石から外れようと、意表を突くということは、戦いにおいて非常に価値のあることだから』
必殺技のバリエーションが多いことが弓タイプの強みであるが、だからこそ基本的にはマジックポイントを温存し、長距離からの射撃でヒットポイントを削りつつ、最後に大技の連発で押し切るというのが定石だ。
これは相手の人形、スカーレットの銃タイプにも同じようなことが言える。というか弓タイプは、基本的に銃タイプの劣化版であると人形師の間で囁かれている。
弓タイプの方が必殺技のバリエーションに富むと言われているものの、銃タイプにも強い必殺技がないわけではなく、それ以外では銃タイプに劣りがちな弓タイプは、何かと軽く見られがちなのだ。
現にランキングの上位に銃タイプの人形は何人かいるものの、弓タイプはたったの一体もいないのだ。アリスの主人である双矢が、一体どれほど悔しい思いをしてきたことか。
負けられない。双矢のためにも、弓タイプの人形としての矜持を示すためにも、絶対に負けたくはない。
昂る感情を抑えるように、短く息を吸って吐き出すと。アリスはマジックポイントをたっぷりと込めた矢を放つとともに、双矢と共に考えた技の名前を口にした。
「裁きの
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