EPISODE17 遠くで呼ぶ声

「スカーレット、あなたは己のマスターである、藍葉蹄人のことをどれだけ信じていますか。蹄人さんは人形を道具として扱うといいますが、そんなマスターのことをどこまで信じられますか」

 ベンチの向こうから、99の声が聞こえてくる。隠れていないで出て来いと言いたいところだが、隠れながら戦うのが罠タイプの基本戦術である以上、言っても無駄なことだろう。

 その場から動かず、ただ両手に持った拳銃の狙いをベンチへと定めたまま、スカーレットは道具として蹄人の指示を待つ。

「お互いに想い合っていたとしても、そこに信頼がなければ、無意味なことと同じですよね。スカーレット、あなたと蹄人さんの間に、信頼はありますか」

『耳を貸すな、スカーレット。道具が挑発に乗るんじゃない。まともに受けても、良いことなんて一つもない……さっきの僕みたいに』

 頭の中で聞こえてきた蹄人の忠告の、最後がちょっと自嘲的だったものの。直後に伝えられた作戦に、スカーレットは即座に頷く。

 送られてきた「三発発射」の命令に従い、99の隠れたベンチに、右手の銃口を向けて。素早く三度、引き金を引く。

 最初の一発が、ベンチに刺さった直後のことだった。

『なんだと―――』

 蹄人が息をのんだのを感じると同時に、弾丸が突き刺さったところから、一筋の光が伸びてスカーレットを貫く。まるで弾丸を、跳ね返したかのように。

 人形の放った弾丸や矢は、対処物に着弾すると数秒後に消えるため、基本的には跳ね返すことは不可能なはずだが。

『攻撃に反応して、自動的にやり返す反撃の罠……こんなのもあるのか』

 若干感心しつつも、蹄人の声色に焦りは感じられない。ヒットポイントに余裕があるということもあるが、何よりも。

『……だが。囮の一発で済んだなら、安いものだ』

 直後、ベンチの向こうから呻き声が聞こえる。どうやら放った二発が、99に命中したらしい。

 最初の一発は意識を逸らすための囮。残り二発にはマジックポイントをこめて、ベンチの向こう側にいる99を狙ったものだ。

『ベンチに何か仕掛けてるんじゃないかとは思った。だから撃ってその罠を起動させ、油断したところに本命の二発を叩きこむ』

 それが、蹄人がスカーレットに指示した作戦だった。位置が分かっているなら、追尾弾にするまでもなく、弾丸を容易く叩きこめる。

 欲を言えば、三発撃ち込んでゲームセットに持ち込みたかったものの。三発の曲がる弾丸をコントロールするのは、さすがに不可能に近い。

「なかなか、やりますね……連携はしっかり、取れているようです」

 ベンチの向こうから、99の悔しそうな声が聞こえてくる。両方命中したのなら、ヒットポイントは残り2になっているはずだ。

 対してこちらのヒットポイントは現在3。反撃の罠で一発削られたものの、珍しくヒットポイントの優位を取れている。

 このまま押し切れればいいのだが。銃口を下げたスカーレットの頭の中で、蹄人が囁いた。

『スカーレット、跳べ』

 同時に送られてきた「跳躍」の命令。スカーレットは数歩後退してから、軽く助走をつけて跳躍した。

「なッ……」

 ベンチや足元のタイルに、罠が仕掛けられているというのなら。すべて跳び越えてしまえばいいだけ。自分には跳び越えられるだけの、性能があるのだから。

 人間だったら体操選手でなければ不可能な、鮮やかな跳躍の末に。スカーレットはベンチの向こう側、99が隠れているはずの場所へ降り立つ。

 着地の際、踏みしめたタイルに罠が仕掛けられていることはなかった。正確に着地地点を予測して、ピンポイントに罠を仕掛けるのはさすがに無理だったようだ。

 だが。ベンチの裏側にスカーレットが降り立ち、銃口を向けた時。そこに99の姿はなかった。

「な……どこにいったんだ」

 動揺により呟いて、スカーレットはベンチの左右を確認する。だが前後左右どこにも、99の姿はない。

『落ち着け、スカーレット』

 やや厳しい口調で、蹄人に言われて。スカーレットは周囲の確認をやめ、構えていた銃口を下げる。

「済まない、蹄人……」

『どうしたんだ、今日は。いつものお前じゃないみたいだ』

「それは―――」

『人形決闘が終わったら、理由を訊く。だから今は、目の前の敵に集中してくれ』

 ミルキーウェイのことで、未だにトラウマに苛まれ続ける、蹄人が心配だから。なんて言ったら、彼はどう思うだろうか。

 ただ蹄人の言う通り、今は99に集中するべきだ。心の中で決意を新たにしたスカーレットは、再び銃口を構えなおしたの、だが。

「スカアアァァレットオオォォ……」

 ねっとりとした声で、名前を呼ばれて。スカーレットはおぞましい気配を感じながら、思わず振り向く。

「心配なんでしょう、蹄人さんのことが。だから一刻も早く、この戦いを終わらせたいと焦っている。そうでしょう」

 背後に99の姿はなかったが、ベンチから少し離れているところのタイルが、カタカタと小さく揺れている。

 揺れると同時にまた、99の声が聞こえてきた。

「でも本当は違う。蹄人を心配しているようで、本当は逆のことを考えている」

「何を―――」

「スカーレット、あなたはミルキーウェイに嫉妬しているんじゃないですか。決別してもなお、蹄人の心の中にあり続ける、ミルキーウェイが憎いんじゃないですか」

 カタカタと揺れるタイルは、まるで嘲笑っているかのように思えた。

 違う、と口で否定することが、スカーレットにはできなかった。挑発だと分かっていても、99の放った言葉が図星だったから。

 人形が、道具が余計な感情を抱くまいと、今まで己の思いに見て見ぬ振りをしてきて。抑えられなくなっても、心配という形にすり替えてきた。

 主人のことを捨ててもなお、蹄人の心の中にあり続けて、トラウマとして蹄人を傷つけ続けるミルキーウェイが。未だ蹄人に想われ続けるミルキーウェイが、憎くて羨ましかった。

 道具として扱われるのは良い。だが蹄人の心の中に、ミルキーウェイがいることを思うと、どうしても不安になってしまう。

 自分はまた、誰かの代用品であるしかないのか。自ら望んで、蹄人の人形となったにも関わらず。そう思ってしまうことが、自分自身嫌で仕方なかった。

『耳を貸すな、スカーレットッ。おい、スカーレット、スカーレットォッ』

 蹄人の声が遠くから聞こえてくるようだった。いや、今名前を呼んでいるこの声は、本当に蹄人の声なのだろうか。

「ミルキーウェイはとても強い人形でした。強く美しい人形でした。あなたと同じぐらい、いや、ミルキーウェイの方が……ま、美しさも強さも、色々ありますけど」

 逆に、タイルの振動音と、99の声はいやにはっきりと聞こえてきた。

「スカーレット、あなたはミルキーウェイの代わりになれますか。それともミルキーウェイの『代わり』になることが、嫌なのでしょうか。あなたは蹄人をどう想い、何を望むのでしょうか」

 ぐちゃぐちゃとした感情を振り払うように、スカーレットはタイルに向かって銃口を向ける。誰かが叫び、名前を呼んでいるような気がしたが、分からない。

 一刻も早く99を黙らせて、二発叩き込んで人形決闘を終わらせる。そうだ、蹄人も目の前の敵に集中しろと言っていた、だから。

 早く人形決闘を終わらせて、蹄人とゆっくり話したい。そうすれば、きっと―――

『撃つな、スカーレット!タイルは罠だ、99はベンチの下に隠れているはずだッ』

 スカーレットが蹄人の声と、「攻撃中止」の命令を認識した時には、もう遅かった。スカーレットの指は既に二度、引き金を引いていて。

 放たれた弾丸は真っ直ぐ、カタカタと音を立てて揺れるタイルへと突き刺さり。反撃の閃光が二発、スカーレットの体を貫く。

「がっつりと挑発した甲斐がありましたね」

 後ろから声がして、スカーレットが反転した時には。ベンチの下を通り抜けて、向こう側に立った99が、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 次の瞬間、99は目の前のベンチに、思い切り体当たりをかます。

 すぐに引き金を引いて、一発叩き込むものの。二発目を放つ前に、99の倒したベンチがスカーレットの体にぶつかった。

 迸る閃光と、爆発。99の捨て身の一撃を食らって、そのままスカーレットの視界は、敗北を示すようにブラックアウトしてゆく。

 言いたいこと、言わなきゃいけないことは山ほどあるだろう。でももうすべて、口から出る言葉は言い訳になってしまう。

 蹄人に謝ったとして、彼は許してくれるだろうか。道具であることを、望んだくせに。道具になり切れず、自滅を招いた自分のことを。

 ミルキーウェイに嫉妬するあまり、ミルキーウェイと同じ罪を犯した、自分のことを。

「蹄人……」

 名前を呼んでも、返事はなかった。蹄人は何も言ってくれなかった。


 スカーレットがドームに帰還すると。何も言わずに俯いて、蹄人の背後に控えた。蹄人もスカーレットに、慰めや労いの言葉をかけてやるつもりはなかった。

 目の前に、同じくドームから帰還した99と、極の姿があった。極はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしたものの、すぐに手を叩いて笑みを浮かべる。

「僕の勝ちだね、蹄人くん。それじゃあ―――」

「藍葉蹄人と戦えばいいんだろ」

 出来るだけ平静を装って言ったつもりだったが、どうしても声に絶望と怒りが滲みだしてしまう。

「いいだろう。いくらでも戦ってやる。何十回でも何百回でも、お前の望むままに」

「蹄人くん―――」

「だから今日はもう帰ってくれないか、頼む」

「ええと―――」

「帰れ!」

 怒鳴ってテーブルを叩くと、上に載っていたフェーヴが床に落ちて割れた。

蹄人の剣幕に、さすがの極も目を見張ったものの。すぐに神妙な顔で頷いて、ソファーから立ち上がる。

「仕方ない。賭けにも勝ったことだし、今日はもうお暇しようか」

「こうなったのは私とマスターのせいですけどね」

 99はため息をついて、極と共に出口へと向かう。部屋の外に出ようと、扉に手をかけた極は、事態を静観していた巻の方に振り向く。

「そうだ。代金の話だけど、請求書送ってくれれば支払うから」

「分かってる。ちゃんと送ってやるから、安心して帰ってくれ」

 巻の返事に極は一瞬だけぎこちない笑みを浮かべてから、99と共に部屋を出て行った。

 静まり返った部屋の中で。巻はてきぱきと割れたフェーヴを片付けて、蹄人の持参したビニール袋を覗き込む。

「焼きそば、ありがとな」

 冷めた焼きそばを取り出し、割り箸を割って何口か食べ。一緒に突っ込んでおいたお茶を一口飲んでから。

「……ドームの中で何があったか、聞かない方がいいか」

 切り出した巻に、俯いていた蹄人は勢いよく顔を上げる。

「ツッ……」

 説明するのは簡単だが、言葉にしたらスカーレットに対する怒りを抑えられなくなる。何を言っても愚痴になってしまうし、愚痴はそのまま罵倒に変わってしまう。

 人形に当たるのは良くないという矜持と、自分を裏切った人形を気に掛ける必要なんかないという言い分がせめぎ合った末、蹄人は再び俯いて、ただ一言絞り出した。

「スカーレットに、失望させられた」

「そうか」

 巻は同情するでも慰めるでもなく、ただ頷いて焼きそばをまた口に運ぶ。下手に同情されたり慰めたりされるのではなく、何も言わないでくれることが有難かった。

 だがもう限界だ。これ以上スカーレットと一緒にいたら、自分を抑えられなくなる。スカーレットに当たってしまう、スカーレットを傷つけてしまう。

 今は一人になりたい。一人で湧き上がってくる怒りと絶望に向き合い、気持ちに整理を付けたい。

「置物、壊してごめん。僕ももう帰る」

「安物だから気にするなって。お疲れ様、ティト」

 出口に向かう蹄人に、スカーレットはついていくかどうか迷っていたようだが。結局はついてくることなく、蹄人は一人で外に出る。

 ついてこなくて正解だ。もしついてきていたら、蹄人はスカーレットのことを殴り飛ばしていた。

「なんで……」

 背後の扉が閉まった瞬間。抑えつけていたものが溢れ出し、薄暗い雑居ビルの地下通路で、蹄人は感情の赴くままに叫ぶ。

「なんで僕を裏切ったんだ、スカーレットッ、道具なのに、道具の癖に、道具として扱って欲しいなんて、僕に、僕に言った癖にッ」

 目から思わず、涙が零れそうになったが。再び気持ちを抑え込み、泣くまいと堪えて蹄人は階段を駆け上がってゆく。

 裏切った人形なんかの為に、流す涙なんてない。使えない道具なんかのために、泣いてやることなんて、絶対にしたくなかった。

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