EPISODE16 何を賭けるか
蹄人が極に返答する前に、部屋の奥の扉が開いて、ノートパソコンを抱えた巻と、プラスチックのボックスを持ったカットが姿を現した。
「お待たせしました……って、何だこの状況」
「ありがとう、巻ちゃん。でもオプションに関する話の続きをする前に、蹄人くんの返事を聞かせてくれないかな」
腕を組んだ極は、相も変わらず楽しそうな視線を、蹄人に投げかける。
「で、どうなの、蹄人くん。僕と人形決闘してくれる?」
あれだけ極と戦いたいと思っていたにも関わらず、今は彼の誘いを受けることに、蹄人は躊躇を感じていた。
絶対何か、裏がある。でなければわざわざ、結翔に負けてランキングと大会への参加権を剥奪された自分に、こうして構う必要はない。
誰かがネットに上げた、双矢との人形決闘の動画を見てきたとしても。わざわざ巻に依頼してまで接触し、人形決闘を持ちかけるまでするだろうか。
考え込む蹄人の思考を見透かしたように、極が声を上げて笑う。
「言っておくけど、僕は君のことを、一切過小評価しているつもりはないからね。君本人とは、違ってさ。だから安心して、この勝負受けるといいよ」
「……」
「飢えてるんだろう、人形決闘に。楽しいんだろう、人形決闘が」
「ツッ……」
明らかな挑発だと分かっていても、あまりにも的を射たその一言に。蹄人がほんの一瞬だけ見せた動揺を、極が見逃すはずがなかった。
「ラストホープ・グランプリで、ベスト4に入るぐらいの人形決闘馬鹿が、パートナーを失ったとはいえ、一年間も遠ざかってたんだからねえ。それが新しい人形と契約して、人形決闘を再び始めたんだ。楽しくて仕方がなくて、もっと戦いたいって、飢えてるに決まってるさ」
「確かに、そうだけど―――」
「だから、ね。何も遠慮することなく、僕と一緒に人形決闘やろうよ。藍葉蹄人くん」
片手を伸ばして、わざとらしく片目を瞑って見せる極の後ろで、パートナーの99がため息を吐いた。人形は呼吸をしないため、ため息と言っても仕草と声だけのことなのだが、99が極に対して呆れかえっていることははっきりと分かった。
もっとも。人形が自身の主に呆れたため息をつけるということは、それだけお互いの間に信頼関係があるということでもある。
「……お前に」
「ん、何々、やる気になってくれたの」
「僕と人形決闘をすることで、お前に何のメリットがあるっていうんだ」
蹄人の問いかけに、極は心底嬉しそうな顔をして、手を叩きながら立ち上がる。
「待ってました、その質問。僕がここに来た目的は、君と人形決闘をすることなんだけどね。それが僕の得になるかといえば、話は別だ―――ま、巻ちゃんにメンテナンスしてもらえた時点で、十分得っちゃ得なんだけど」
「それはどうも。仕事した分金はきっちりもらうけどな」
静観していた巻が、ノートパソコンを持っていない方の手の指で、わっかを作って見せた。そんな巻に、極はむかつく笑顔で一瞬手を振ってから、改めて蹄人に向き直る。
「ねえ、蹄人くん。これからやる人形決闘に、せっかくだから何か賭けないかな。ただ戦うんじゃ、つまらないし」
「なるほど、その賭けがお前のメリットなのか」
「イエス。君が勝ったら、僕は君の言うことをなんでも一つ聞いてあげる―――もちろん公序良俗に反しない範囲でだけど」
「で、お前が勝ったら僕はどうするんだ」
すっと、極の表情からおどけが消えた。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、悪い笑みを浮かべて。極は自分が勝った場合の「条件」を宣言した。
「藍葉蹄人くん。もし僕が君に勝ったら、君には蒼井結翔と戦ってもらう」
極の口から出てきた名前を聞いただけで、心臓の鼓動が早まったのが分かった。
今、こいつは間違いなく、「蒼井結翔」と言った。さらには「戦ってもらう」とも。
去年のラストホープ・グランプリであった一連の出来事は、観戦していた以上絶対に知っているはずなのに。結翔に惨敗を喫し、ミルキーウェイに見限られたのを、会場で目撃していたはずなのに。
それなのにこいつは、自分に蒼井結翔とまた、戦えというのか。またあの時と同じことを、繰り返せというのか。
「大丈夫か、蹄人……」
背後でスカーレットが、心配そうに名前を呼ぶ声が聞こえたが。はっきりと聞こえるほど早まった呼吸が、返事を許してはくれなかった。
「……一見大丈夫そうでも、やっぱりあの一戦はトラウマになってたみたいだねえ。そんな君に、また蒼井結翔と戦えっていうのは、本当に心苦しいことなんだけど。でもこれは、君にしか頼めないことなんだ」
「な、なんで、僕なんだ。蒼井結翔と戦うなら、僕なんかよりずっと―――」
「おっと。僕の目的を知りたいなら、人形決闘で勝利することだねえ。もし君が勝利したら、いくらでも理由をゲロってあげるからさ」
別にやろうと思えば、「こんな勝負受けられるか」と、突っぱねてしまうことは出来る。
だがここまで煽られて、勝負から逃げるなんて。一端人形師としてのプライドが、許してはくれないのだ。
プライドなんてクソくらえ、関係ない、逃げるが勝ちだと。そう思えるような、能天気な性格だったら、どんなに良かっただろうか。
深く息を吸い込み、吐き出して。乱れた心を出来る限り落ち着けようという、努力を試みてから。
蹄人は最初に極に向けたのと同じ目つきで、彼のことを睨みつける。
ここまで相手のペースに飲まれてしまったが、ここからはそうはいかせない。
要するに、こいつに勝てばいいのだ。蒼井結翔と戦えと言われ、つい動揺してしまったものの。目の前のこいつをぶち倒せば、蒼井結翔と戦わなくて済むどころか、賭けに勝った報酬として、強い人形師とのパイプ役をさせることだってできるのだ。
だから今は。目の前の人形決闘に集中するのみ。いつも通りに、やるだけでいいのだ。
赤いラウンド型フレームの眼鏡をちょっと押し上げて、蹄人は極とのやり取りを静かに見守っていた巻に顔を向ける。
「マッキー、セットアップボトルを頼む」
「……さすがだねえ、メンタルリセットが早い」
巻は無言で頷いて、ノートパソコンをカットに預け片付けるように指示すると、部屋の片隅に置かれた棚から、銀色に輝くセットアップボトルを取り出して、テーブルの上に置いた。
「お前の方から人形決闘を挑んできたんだ、ボトルの代金はそっち持ちだからな」
「もちろん。人形師のマナーはきっちりと守らせてもらいますよっと」
極の背後に立っていた99が、素早くボトルの前に移動する。
「スカーレット」
蹄人が名前を呼ぶと、スカーレットもボトルの前に移動する。すれ違う一瞬、心配そうな横顔が見えた。だから蹄人は、前に立つスカーレットに囁く。
「僕は大丈夫だ。前にも言ったけど、道具に心配される筋合いはない」
スカーレットの顔は見えなかったが、小さく頷いたのが分かった。
99がセットアップボトルに手を伸ばす後ろで、極がおどけた仕草で、両手を広げて見せた。
「いやーそれにしても、こうして戦うのは去年のラストホープ・グランプリの予選以来だねえ。あの時は君とミルキーウェイにぼろ負けしたけど、今回は果たしてリベンジできるかな」
「良く言うよ。今は僕よりもずっと、お前の方が人形師として上をいっているくせに」
挑発にしっかりと切り返したところで、スカーレットがセットアップボトルに触れる。
瞬間、蹄人の意識はスカーレットと共に、ドームの中へと吸い込まれていった。
中央に噴水がある、タイル敷きの広場。噴水の他には、設備時計やベンチ、花壇などが間隔を置いて配置されている。
俗に「公園」と呼ばれるそのフィールドは、身を隠すための障害物が少ないため、銃タイプの射線が通りやすい分、防御的にはやや心もとないものがある。
そのため、盾タイプのようなパワーと防御力を兼ね備えた人形が相手である場合、なす術もなく敗北してしまうのだが。
『99は盾タイプじゃない。むしろ防御力もパワーも、ほぼ無いと言っていい』
スカーレットの頭の中に、蹄人の声が聞こえてきた。声色は落ち着いた様子で、動揺はほとんど感じられなかった。
パートナーが冷静であることに、心の中で安堵しつつ。スカーレットは素早く撃鉄を下ろす。これで準備は整った、あとは対象に弾丸をぶち込むだけだ。
大丈夫と言いつつも、蹄人が心の中では、過去のトラウマに苦しめられていることは明らかだ。だから出来るだけ早く片づけたいと、スカーレットはぼんやり考える。
学園祭を案内してもらったお礼にも、必ず勝利して、彼の心を救ってやりたい。
『だけど、人形決闘はパワーだけじゃない。むしろパワーの無い人形の方が―――』
蹄人の言葉は途中で途切れた。彼が絶句しているのが、はっきりと分かった。
目の前にある噴水、その陰から、サイバースーツのような衣装を身に纏った99が、バイザーを付けた顔を出して周囲を伺っている。
こちらに気づいてないのだろうか。それとも気が付いていて、あえて挑発するために顔を出しているのだろうか。
どちらにしろ。二丁の銃を持つこちらの前で、無防備な姿を晒すのは、自殺行為というもの。
蹄人から送られてきた「攻撃」の命令と同時に、スカーレットは左右の引き金をリズミカルに引く。二発目に放った左の弾丸には、微かなマジックポイントを込めて。
「しまった――」
攻撃に気が付いた99がはっと目を見張って、顔を引っ込めたのだが。一発こそ噴水近くの地面に当たったものの、二発目は噴水の影へ飛び込んだ99を追ってゆき、数秒後に短い悲鳴が聞こえた。
「当たった、みたいだ」
軽く耳を澄ませると、99の足音が聞こえる。噴水の影を移動しているのだろう。
追った方がいいのか、他の障害物に移動する瞬間を狙って、狙撃した方がいいのか。
いつもなら蹄人の指示を、待ってから行動するのだが。出来るだけ早く敵を倒したいという思いが、スカーレットの足を一歩動かした。
『待て、スカーレット動くな―――』
頭の中で、蹄人が叫んだ時にはもう遅かった。一歩踏み出し、踏みしめたタイルから閃光ほとばしり、爆発音と衝撃が襲い掛かってきた後、スカーレットのヒットポイントを削り取ってゆく。
「な、何が起きたんだ……」
『罠タイプだっ、99は罠タイプの人形なんだっ』
「私には、パワーもスピードもない。だけど代わりに、ドーム内のあらゆるオブジェクトに、触れると起動する『罠』を仕掛けることが出来る。それが罠タイプ、それが私、99なんですよ」
閃光によって奪われた視界の中、99の冷静かつ自信のある声が聞こえた。同時にアナライズ機能が、「罠タイプ」との結果をたたき出す。
罠タイプの人形本体には、攻撃能力はないと言っていい。攻撃能力がないということは、敵の攻撃をしのぐ手段もなく、スピードもオプションを使わなければ平均以下で、最弱の人形と言っても差し支えないだろう。
しかしそれは、人形単体のスペックで見た場合のことで、罠タイプの真価は仕掛けられる「罠」にある。
罠タイプはドーム内にあるオブジェクトに、「罠」を仕掛けることが出来る。通常の「罠」はヒットポイントを削るだけだが、必殺技の機能で効果を追加することによって、様々な異常を引き起こす罠を作り出すことが出来る。
自分から攻撃できないことと、必殺技の登録枠が常時カツカツになることが、罠タイプの欠点だと言われているが。
『使いこなしさえすれば、無限の可能性と強さを誇る。銃タイプよりも上級者向けで癖があるけど、その分応用性が幅広い……罠タイプの人形を使う人形師のことを『
スカーレットに、「警戒」の指示を送りながら、蹄人がそう言った。
「萌木極も、『
回復してきた視界の中で、素早く周囲に警戒を張り巡らせるスカーレットに。蹄人が「まさか」というように笑った。
『そんなものじゃない。彼は去年のラストホープ・グランプリ参加者中で、唯一の罠タイプ使いだったんだから。一部の人形師からは『
「
「ほんと、マスターにはあまりにももったいない称号ですよね。『かっこいいから』って理由で罠タイプを、私を選んだ人間なのに」
聞こえてきた99の声に、スカーレットははっと振り向く。
噴水の横に置かれた、テラコッタに塗装されたベンチ。その向こうから、99の手がちらっと見えて、すぐに引っ込んだ。
「でも。マスターの実力を、私は信じてますから。予選の時も、ミルキーウェイに当たりさえしなければ。私たちはもっと上に、行けたはずだって今でも思っているぐらいです―――スカーレット、あなたはどうなんでしょうか」
相変わらず、冷静極まりない口調だが。言葉の内容は極仕込みと思われる、鋭い挑発そのものだった。
どうやら99は思っていたよりも、饒舌な人形なのかもしれない。
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