EPISODE28 遅い警告
最近寒くなってきたものだが、12月に入ってより一層冷え込みが厳しくなった気がする。というか実際に、11月よりも気温が下がっていると、ネットで見た天気予報に書かれていた。
とはいえ筒道高校の冬服は結構厚手なうえ、学校指定のコートもしっかり寒さを防いでくれるため、あとは手袋とニット帽でも被っておけば、冬場の通学もそこまで苦痛ではない。
間近に迫った期末テストに向けて、しっかりと勉強しておかなければ。そう考えながら電車から降りて白い息を吐き出し、蹄人が筒道駅の改札を通り抜けた時だった。
「藍葉蹄人さん、ですね」
横から声を掛けられて、蹄人は立ち止まる。声のした方に顔を向けると、そこには私服姿の、一人の少年が立っていた。
一目見ただけではっきりとわかる高級そうな服装に、やや幼さの残る顔立ち。見たところ、中学生ぐらいだろうか。
「君、学校は?」
とりあえず至極真っ当な問いを投げかけてみたが、少年は気にする様子もなく、蹄人の方へと一歩進み出る。
「学校なんて、これから行うことに比べればどうでもいいことですよ」
「……いや、どうでもよくはないと思うんだけど」
呆れた顔をする蹄人を無視して、少年は胸に手を当てて名乗った。
「初めまして、藍葉蹄人さん。僕は明星院瑛といいます」
「明星院瑛……って誰だっけ」
蹄人が首を傾げると、瑛は露骨にムッとした表情をして見せた。
「蒼井結翔の後輩にして、雪城学園中等部の人形決闘部部長で、今年の全国大会中学生部門優勝者ですよ。以後お見知りおきを」
「あー……ごめん、中学の方まではノータッチだった」
頭を掻いて素直に謝罪すると、瑛は満足げに頷いた。単純に自分の知名度が無かったわけではないことに、内心で安堵しているのだろう。
「で、僕に何の用?特に用が無いなら、学校行かせてくれないかな」
「用ならありますよ、とっても大切な用がね」
歩き出そうとする蹄人を引き留めて、瑛は腰に手を当てて言った。
「僕と人形決闘してくださいよ、藍葉蹄人」
「……なるほど」
中学生とはいえ、全国大会の覇者というなら、戦う価値は十分にあるだろう。そう思い、蹄人は瑛に向かって頷いた。
「いいよ、やろう」
「でしたらさっそく―――」
「ただし、放課後ね。今はとりあえず、学校に行かせてくれないか」
一応早めに出てきているとはいえ、いつまでも駅でグダグダと話していたら、遅刻してしまうことになる。
これでも今まで、無遅刻無欠席を貫いてきたのだ。こだわる方ではないものの、出来れば遅刻はしたくない。
「学校なんか、どうでもいいでしょ」
「いや、学費もタダじゃないし、良くないから。それじゃあもう行くから、放課後またこの駅で待っててくれればいいから。君もちゃんと学校行くんだぞ」
歩き出した蹄人を、瑛は追いかけようと迷っている様子だったが、やがてため息をつくと、背後から負け惜しみのように叫んだ。
「この勝負引き受けたこと、あなたはきっと後悔しますよ……絶対に」
一瞬だけ、蹄人は立ち止まると瑛を振り向く。
「それは、楽しみにしてるよ」
余裕綽々な笑顔を浮かべて見せてから、再び瑛に背を向けて、蹄人は駅を出た。
あとは真っ直ぐ筒道高校へと向かうだけなのだが、タイル敷きの歩道を歩き出した直後、鞄の中でスマートフォンが鳴った。
「……まったく、今朝はどうしてこうなんだ」
悪態をついて、蹄人が立ち止まってスマートフォンを取り出すと。
チャットアプリに、萌木極からのフレンド申請の通知が届いていた。画面に向かってため息を吐きだすと、申請を承諾して、開いたチャット欄に素早く打ち込む。
『なんで僕のアカウントを知ってるんだ』
『もちろん、巻ちゃんに聞いたからだよ。99の調律を依頼するついでに、教えてくれないかって頼んでみたんだ』
数十秒もしないうちに、極から返信が返って来た。極とは連絡を取りたいと思っていたからいいものの、巻が自分の知らないところで彼とやり取りしていたということに、ちょっとだけ腹が立った。
『フレンド承諾ありがとう―――ところで蹄人くん、君に一つ警告しておきたいことがあるんだけど』
巻のことを考えていた蹄人の前で、チャット欄に極から、追加のメッセージが送られてきた。
『そっちに、明星院瑛っていうイキってる中学生野郎が行くと思うけど、人形決闘挑まれても別に受けなくていいからね』
画面に表示されたメッセージを一通り読んでから、蹄人はスタンプ一覧を開くと、猫のキャラクターが「遅いわ!」と叫ぶスタンプをチャット欄に送信して、スマートフォンを仕舞った。
「さ、早く学校に行かなきゃな」
鞄の中でまた着信音が鳴っている気がしたが、今度は無視して歩き出す。これ以上道草を食っていたら本当に、遅刻しかねないというものである。
一日真面目に授業を受けて、筒道高校を下校した蹄人が駅に向かうと。駅前では明星院瑛が、仁王立ちして待っていた。
極から送られてきたメッセージのことを思い出しながらも、挑戦を受けてしまった以上、無視するわけにはいかない。
周囲の目を気にしながらも、蹄人が瑛の前で立ち止まると。瑛はちょっとだけ震えながらも、自信たっぷりに言った。
「お待ちしてましたよ、藍葉蹄人さん」
「……もしかして、このクソ寒い中ずっとここで待ってたのか」
蹄人の問いに答える代わりに、瑛は盛大なくしゃみをしてから、ハンカチを取り出して鼻をかむ。
「ずびび……そんなことはどうでもいいですよ。それよりも早く人形決闘しましょうよ」
「引き受けた以上、逃げるつもりはないから、そう焦るなって。学校から帰って来たばかりだし、まずはスカーレットと合流してくるから」
憐れむような視線と共にそう言って、蹄人は瑛の周囲に伴侶人形の姿がないことに気が付いた。学校には放課後まで人形を連れ込めないため、登下校の際は人形を同伴させていない者も多いが。瑛が学校をさぼっているというなら、普通に人形を連れていてもおかしくない。
「瑛、お前人形決闘を挑んでおきながら、自分の人形はどうしたんだ」
蹄人が鋭く問いかけると、瑛は腕を組みなおして、得意げな様子で鼻を鳴らす。
「やっと気が付いたんですか、僕が人形を連れていないことに。まったく、ラストホープ・グランプリベスト4も、随分と衰えたものですね」
「御託は良いから、さっさと理由を述べろ」
なんとなく、嫌な予感がした。向こうから人形決闘を挑んできたにも関わらず、己の伴侶人形を隠しているのだ。何か裏が、企みがあるに違いない。
渾身の挑発を断ち切られたことによって、瑛はムッとした様子だったが、気を取り直したように笑みを浮かべた。
「それは戦う時のお楽しみですよ、蹄人さん」
「……そうかよ」
今聞き出そうとしても、こいつは絶対に答えないだろう。だったら聞くだけ無駄だ、それよりもさっさと電車に乗って、スカーレットと合流しなければ。
「それでは駅の裏手にある、人形決闘用レンタルスペースでお待ちしてますので。逃げずに来てくださいよ、絶対に」
「言っとくけど、お前から挑んできたんだからな。レンタルスペースの費用はお前持ちで、あと僕が勝ったら交通費も出してくれ」
「……中学生に随分と容赦がないですね」
明らかにお高い衣服を全身に身に纏っておいて、何を言うのだ。こちとら校則でバイトが禁止されている中、関係のぎくしゃくした親からの仕送りで何とかやりくりしている立場なのだ。レンタルスペースの微妙に高い費用なんて、払っている余裕はない。
それに。蹄人は瑛の前で、彼を真似てわざとらしく腕を組んで見せる。
「だって僕とスカーレットが勝つんだから、そのくらいは出してもらわなきゃね」
「なかなか、言ってくれるじゃないですか」
「どうも。それじゃあまた後で」
蹄人からの挑発に、こめかみをヒクつかせる瑛に手を振って、蹄人は駅の中に入ると、定期で改札を通り抜けた。どうやら明星院瑛は自分から放つのは得意でも、受けるのには弱いようだ。これは良いことを知った、後で戦う前に、メンタルを存分に揺さぶってやろう。
今日はスカーレットが自宅にいるため、アパートの最寄り駅に停車する電車に乗り込んで。蹄人は吊革に掴まると、スマートフォンを取り出した。
チャットアプリには極からのメッセージが着信したことを知らせる、通知が大量に表示されていて。蹄人は画面に向かってため息を吐きかけると、チャット欄を開いた。
『あ、もしかしてもう引き受けちゃった?』
『遅かったかぁ……今からでも断る、のはさすがに無理だよね、うん』
『でも正直、やめた方が良いと思うよ』
『明星院瑛と彼の操る人形と戦えば、君はきっと大きなダメージを受けることになる』
『ラストホープ・グランプリのこと、まだ引きずってるんじゃないのか』
文章の合間に絵文字の乱舞する極からのメッセージを、最後の一文まできっちりと読んでから。蹄人は静かに笑って、片手のフリック入力で返信の文章を打ち込み始める。
『生憎、どこかの誰かのおかげで、吹っ切れたんでね。問題ないさ、例え何が来ようとも』
萌木極と99に対する敗北を乗り越える前なら、もっと気に病んでいたことだろう。しかし梅太郎の一件も含めて、全て乗り越えた今となっては、何が来たとしても余裕で受け止められる気がする。
だからある意味、極には感謝しているのだ。感謝しているからこそ、近々しっかりお礼をしに行かなければと思う。
最後ににっこりと笑う猫のスタンプを押して。蹄人はスマートフォンを仕舞うと、窓の外の景色へと視線を向ける。
たとえ相手が誰だろうと、スカーレットと一緒なら、最高の戦いをすることが出来るだろう。
なんたってスカーレットは、自分の最高の道具であり、同時に最高のパートナーでもあるのだから。
内心でそう思いつつ、一体いつから自分はこんなことを考えるようになってしまったのだと思い。蹄人は吊革をぎゅっと握りしめて、少しだけ笑った。
そんなの、最初からに決まっている。ただ今まで、自覚してこなかっただけで。
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