EPISODE29 かつての相棒

 インターネット技術の発展によって、最近では人形決闘を配信する一般人も多いこの世の中。

 基本的に閉ざされた空間であるセットアップボトルの中身を、中継・録画するにはある程度の知識と技術、そして設備が必要となる。

 その設備こそ人形決闘専用テーブル、通称「卓」であるのだが。大会などで使用される卓は、一番安いものでも正社員の給料一か月分を余裕で超えるお値段がする。

 当然一般の人形師、特に最も人形決闘が熱い学生の人形師には、あまりにも負担が大きすぎるものであり。配信の為に卓を購入する人形師は、ほぼ存在しないと言っていい。

 では一体どうやって、ボトルの中身を配信するのか。その答えが今蹄人とスカーレットの目の前にあるこの、人形決闘用レンタルスペースである。

「蹄人、ここに今回の対戦相手、明星院瑛と彼のパートナーがいるんだな」

 汎用的なフォントの看板を見上げて呟くスカーレットに対し、蹄人は頷いて見せる。

「ああ……そういえば初めてだな。レンタルスペースで人形決闘をやるのは」

 金銭的余裕や対戦相手の都合もあり、今まで大体巻の部屋か、学校で人形決闘をやってきたのだが。元ランキング上位者として、蹄人にとってレンタルスペースでの人形決闘は割と馴染みの深いものである。

「一応軽く説明しておこうか」

 隣に立つスカーレットにそう言って、蹄人は出来るだけ手短に、レンタルスペースの説明を始めた。

 学校・自宅に並んで人形決闘をする場としてメジャーなのが、このレンタルスペースである。レストランで一回食事をするお値段で、一戦分の人形決闘を行える個室を借りることが出来るのだ。

 ボトルは持ち込みか別途購入する必要があるが、個室の中には卓が設置されているものもある。配信者の多くはその卓と自前の機材を使って、人形決闘の配信を行うのである。

 あの萌木極も、度々レンタルスペースを利用した人形決闘を配信しており。アーカイブでは自分たちと戦った時とは違った、健全極まりない人形決闘の様子を鑑賞することが出来た。

 かくいう蹄人もランキングに参加していた頃は、各地のレンタルスペースで年上の人形師を次々と破っていったものだ。

 あの頃はまだ技術が浸透していなかったこともあって、人形決闘の配信が今ほどメジャーではなかったものの、一度だけ配信を行う人形師と戦ったことがある。

 過去の動画を見て立ててきた対策によって、蹄人とミルキーウェイが完勝した後。カメラが回っているにもかかわらず酷く取り乱していたあの人形師が、その後どうなったかは知らないが。

「配信者でもそうでなくても、基本的に人形師以外は用のない場所だから―――要するに、僕がレンタルスペースを利用するのは一年ぶりってことだ」

「なるほど。知識と経験はあるものの、久しぶりの舞台だということだな」

「一応ね。ま、双矢とアリスの時と違って、第三者に見られているわけでもないし。料金も向こうが出してくれることになってるから、久しぶりとはいえ随分と気楽なものだけど」

 蹄人がにやりと笑って見せると、スカーレットも同じような笑みを向けて返す。

「つまり、いつも通りの戦いを貫けばいいんだな」

「そういうことだ。随分分かってきたじゃないか、スカーレット」

 自動ドアの開閉ボタンを押して、蹄人は中に入ると、真っ直ぐカウンターへと近づいてゆく。カウンターには蹄人より少し上、大学生ぐらいの店員が、気の抜けた表情を浮かべて座っていた。

「あの、すみません。明星院瑛って人形師と、待ち合わせしてるんですが」

「……はい。了解しました、今確認しますね」

 我に返った様子の店員は、慌ててカウンターの内側に置かれた、セロハンテープが貼られたクリップボードに目を通す。

「明星院瑛様なら、VIPルームでお待ちになっております」

「え、VIPルーム……」

「はい。突き当りの階段を下りた地下一階の一番奥になりますので、どうぞごゆっくりお楽しみください」

 マニュアル通りに頭を下げた店員に背を向けると、蹄人はとりあえず、スカーレットを伴って廊下を歩き出した。

「蹄人、さっきの店員が『VIPルーム』と言ってたが」

 歩きながら問いかけてきたスカーレットに対し、蹄人は参ったというように肩をすくめてみせる。

「金持ちそうだなとは思っていたけど……さすがに僕も、一回の使用で一万五千円する部屋は使ったことないな」

 半ば皮肉を込めてそう言ってから、蹄人はちょうど辿り着いたVIPルームの扉に手をかける。扉には他の部屋と違って、心なしか豪華に見える装飾が施されていた。

「……うわ」

 扉を開いた瞬間、流れ出して来たクラッシックのBGMに、蹄人は思わず顔をしかめた。別にクラッシックが嫌いなわけではないが、あまりにも露骨すぎてつい寒気を感じてしまったのだ。

 部屋の中は敷かれた赤い絨毯に、シャンデリア風の豪華な照明、卓が内蔵された重厚に見えるテーブルの周囲には、洋館にありそうなソファーが配置されている。

 そして長方形の部屋の奥、設置された大型テレビの前に置かれた一人掛けのソファーに、瑛は堂々とした態度で腰かけていた。まるでこの部屋の主であるかのように、足と腕を組み、非常にふてぶてしい顔をして。

「ようこそ、藍葉蹄人さん」

 わざとらしく拍手をする瑛に対して、別に委縮しているわけではないのだが、蹄人は頭に手をやって軽く掻く。

「何もわざわざ、VIPルームを押さえなくても良かったのに」

「あれ、もしかしてビビッちゃいましたか」

 内心が隠しきれていない瑛の言葉に、蹄人は手を下ろすとにやりと笑って見せる。

「まさか。お前みたいな人形師には、お似合いの部屋だと思っただけだよ」

「……チッ」

「ところで、肝心の人形が見当たらないみたいだけど」

 舌打ちをした瑛を無視して、蹄人が部屋の中を見回すと。瑛は一転したように、強気な表情を浮かべて言った。

「ああそうでした。改めて、今回の人形決闘で使う、僕のパートナーを紹介しますよ―――」

 瑛が片手の指を鳴らすと、背後に置かれたテレビの陰から、一体の人形が姿を現した。

「な―――」

 例え最後に見た時と、違う服を着ていても。虹色の髪と瞳をした、その美しい女性型人形のことを、蹄人が忘れるはずがない。

 見捨てられたあの日から、一年間ずっと引きずり続けてきて。つい最近完全に割り切るまで、心の中にあり続けてきた存在なのだから。

 確か噂では、結翔と契約したと聞いていたのだが。あのラストホープ・グランプリ以来消息不明だったかつてのパートナーが、どうして今、明星院瑛の人形として現れるというのか。

 聞きたいことも言いたいことも山ほどあったが、驚きに目を見張る蹄人の口からは、乾き切った息以外の何も出てこなかった。

「知っているとは思いますが、一応紹介しますよ。僕のパートナーである、ミルキーウェイです」

「……ミルキーウェイです、よろしくお願いします」

 蹄人の前で、ミルキーウェイはぎこちなくお辞儀をした。平静を装っているようだが、向こうも動揺していることが分かる。

 驚きに硬直する蹄人を見て、いい気になったのであろう瑛は、腕を組んで顎を上げると、得意げな調子で言った。

「どうしましたか、蹄人さん。顔が真っ青ですよ」

「お前……な、なんで……」

 やっと出てきた言葉も、すぐに擦れて途切れてしまう。

 目の前にいるのは、本当にミルキーウェイなのだろうか。良く似せた、別の人形じゃないのだろうか。

 自己暗示めいた疑いも、完全に本物だと訴えかけてくる己の直感の前には、無意味も同然のことだった。五年間共に戦いぬいた相棒だったのだ、間違えるはずがない。

 何か返さなければ、このまま良いようにあしらわれるのは分かっているのだが。どれだけ割り切ったとしても、いざ本物が目の前に現れると、やはり心が乱されてしまうものだ。

 自分を見捨ててから今までの間に、ミルキーウェイに何があったのかは分からない。だがこうして対戦相手として現れた以上、戦わなければいけないのは確実だ。

 だがこのガタガタに揺さぶられたメンタルで、果たしてまともな戦いが出来るのだろうか。自分はミルキーウェイを、倒すことが出来るのだろうか。

 心の中で自問自答を繰り返し、既に勝ち誇った様子の瑛に何か言おうと、口を動かしては荒い呼吸を繰り返すのみの蹄人に。

「蹄人」

 背後から、スカーレットが名前を呼ぶと。深紅の髪を揺らしながら一歩前に進み出て、ミルキーウェイへと片手を差し出した。

「初めまして、ミルキーウェイ。私が蹄人のパートナーの、スカーレットだ」

 一瞬目を見張りつつも、ミルキーウェイは差し出された手を、ぎこちない動きで握りしめる。スカーレットは軽く握り返してから、手を離すと蹄人の隣に戻る。

「大丈夫か、蹄人」

 蹄人だけに聞こえるように囁かれた、スカーレットの心配に。蹄人ははっと顔を上げる。

 そうだ。今の自分には、スカーレットがいる。スカーレットという、かけがえのないパートナーが。

 たとえ目の前にいるのが、自分の心に深いトラウマを刻み込んだ、かつての相棒だとしても関係ない。

 スカーレットと共に戦う。道具として、信じて戦う。共にそう、誓い合ったじゃないか。

「……大丈夫だ、スカーレット」

 一度きっかけさえあれば、メンタルリセットは容易いものだ。軽く深呼吸をすると、蹄人は一瞬だけ手で顔を隠してから、瑛に対して余裕を持った表情を向ける。

「いやあ、まさか対戦相手が、ミルキーウェイだったとはね。ここまでもったいぶってきたのも、納得といったところだよ」

 落ち着いたのなら、返しの長髪も口からすらすらと出てくる。蹄人が立ち直ったことに気が付いた瑛は、露骨に不機嫌そうな顔になった。

 そうだ。瑛はカウンターに弱い、だから戦う前にこちらの方がメンタルをがたがたに揺さぶってやるつもりだったのだ。

 思わぬ不意打ちを食らったものの、もうこれ以上心理的ダメージを受けるつもりはない。

「君には礼を言わなくちゃな、明星院瑛」

「……は」

「僕を見捨てたミルキーウェイに、リベンジする機会を与えてくれて」

 本当はミルキーウェイに復讐したいなんて、ただの一度も思ったことはないのだが。そんなハッタリが口から出てくるぐらいには、余裕を取り戻したということである。

 顔を強張らせる瑛の横で、当のミルキーウェイは明らかにショックを受けている様子だったが。蹄人は構わずに言葉を続ける。

「さあ、とっとと始めよう。僕とスカーレットの絆を、お前たちにたっぷりと見せつけてやるからな」

「……勝つのは、僕ですよ。絶対に」

 半ば睨みつけるように言って、瑛はテーブルの上に銀色に輝くセットアップボトルを置いた。

「行こう、スカーレット」

 蹄人が一歩下がると同時に、スカーレットは頷いて進み出ると、ボトルの取っ手を握る。目の前では瑛とミルキーウェイが、まったく同じ動きをしていた。

「対戦よろしくお願いする、ミルキーウェイ」

 ボトルに手を伸ばすミルキーウェイに、スカーレットが強気な笑みを浮かべて言った。

 ミルキーウェイは何も言い返さなかったが、指先が微かに震えているのが分かった。

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