EPISODE23 目を覚ます一発
スカーレットとの契約を、終了させた方が良いのかもしれない。
梅太郎からの助言で、そうは思ったものの。なかなかスカーレットに会いに行く勇気が出ず、気が付いたら週末になっていた。
今週末には確か、ラストホープ・グランプリが開催されるのだったか。去年ステージに立っていたとしても、公式大会及びランキングから締め出された現在の身としては、関係のないことだ。
いつもならそれでも観戦ぐらいはしていただろうが、今回に限っては見る気がしない。というか、何もやる気が起きなかった。
朝、アパートの部屋で一人目を覚まして、トイレに行って顔を洗って、買い置きしてあるバナナを食べる。それでやらなきゃいけないことは終わって、蹄人は部屋の片隅に座り込むと、ただぼんやりと宙に舞う埃を見つめていた。
気だるい思考の中で、勉強でもしようと思うのだが、動くだけの気力がない。梅太郎と再会してからここしばらく、学校から帰ってくると毎日がこんな感じなのだ。
何とかしなきゃいけないと思えば思うほど、逆に行ってしまうというか。動かなければと思うほど、何もしたくないという思いが強まってしまうのだ。
たださすがに朝食がバナナ一本では、お腹が空いてきて。もう一本食べようかとも思うのだが、ただ皮をむいて口に運ぶ一連の動作が面倒くさい。
いっそこのまま、餓死してしまえばいいのにと思うのだが。どうしても空腹に耐えられなくなったら、つい食べ物を口に運んでしまう。
結局何もできずに、蹄人は静かに息を吐き出すと、目を閉じた。もう見ることすら、かったるく感じてしまう。
どれぐらいそうしていただろうか。ふと、遠くでガチャガチャという音が聞こえてきて、蹄人は目を開けた。
同時に、アパートの扉が開き。鍵を持った巻が、部屋の中に入ってくる。
「よっ……って、こりゃひでえな」
荒れた部屋の中を見回して、巻は呆れたように腕を組んだ。
「マッキー、どうして」
さすがに蹄人が立ち上がると、巻は手に持っていた銀色の鍵を振って見せる。
「大家さんに頼んだら、あっさり鍵貸してくれたぜ。苦情は今のところ来てないものの、部屋を傷つけられるのは困るってぼやいてた」
「そう、なんだ」
つい傷がないか周囲を確認する蹄人に、巻はやれやれとため息を吐きだす。
「ま、部屋は後で片づけるとして。ティト、お前朝飯食ったか」
「……バナナを」
「育ち盛りの男子高校生がそれだけじゃ足りないだろ、ほら行くからさっさと着替えろ」
「行くって、どこに」
戸惑いながら巻を見つめる蹄人に対し、巻は腰に手を当てて、当然とばかりに言った。
「デートしようぜ、ティト」
即行で着替えを済ませた蹄人が部屋の外に出ると、待機していた巻が眺めていたスマートフォンから顔を上げた。デート、ということでなのか、近くにカットの姿はなく、巻一人でここに来たようだった。
「準備はしっかりできたみたいだな……うむ、結構いい感じじゃないか」
準備、と言っても長袖のTシャツにタータンチェックのYシャツを着こんで、その上にモッズコートを羽織っただけなのだが。ジーンズにダウンジャケットを羽織って、缶バッジの付いたキャップ帽を被った巻と、並んで歩いていても恥ずかしくはないと思う。
「それじゃ、行こうかティト」
「う、うん」
緊張で返事が上ずってしまったが、巻は一切気にする様子もなく歩き出す。
管理人室で合鍵を返してアパートを出ると、蹄人と巻は駅に向かって歩き出した。
「まずは飯だな。ハンバーガーでいいよな」
巻に言われて、蹄人は即座に頷く。ちょうど辿り着いた駅の構内で、ファーストフードのハンバーガーチェーン・「マキシム」の看板が存在感を放っていた。
中に入ると、店内はそれなりに混雑していたものの。レジ前はちょうど前の客が去って行ったばかりで、すぐに注文出来そうだった。
「いらっしゃいませ、ご注文は何になさいましょうか」
マニュアル通りの文句と笑顔を投げかけてくる店員に対し、巻は指を二本立てて見せた。
「テイクアウトで、チーズバーガー二つ願いします」
「テイクアウトで、チーズバーガー二つですね」
注文を復唱し、店員が大きな声で厨房へと伝えている間、巻は隣に立つ蹄人へと顔を向ける。
「チーズバーガーで良かったよな」
「頼んでから聞くなよ……ま、いいけど」
呆れたように笑っていると、すぐに注文の品がトレーに乗って運ばれてきた。
「これもツケだからな」
さりげなくそう言いつつ支払いを済ませると、巻はハンバーガーとポテトの入った紙袋を持って、蹄人と共に店の外に出る。
「思ってたんだけど、テイクアウト、なんだな」
蹄人が巻の持った袋に視線を向けると、巻は当然とばかりに頷いた。
「これから行く場所が、飯を食うにはちょうどいいところだからな」
いつもとは逆の電車に乗って、二駅先の街へいく。
まだ再開発がされてない、年季の入った駅舎を出ると。そこには見たことのない街が広がっていた。
都会ではあるものの、がっつりと開発された筒道の街と違って、まだ昔ながらの雰囲気が残る駅前。紙袋を持った巻は、片手でスマートフォンを取り出す。
「ええと、こっちだ」
地図アプリに頼っているところを見ると、巻もここに来るのは初めてのことらしい。デートの為に、わざわざ調べたのだろうか。
なんとなくドキマギしながらも、蹄人は案内されるまま、巻の後についてゆく。
様々な種類の店が建ち並ぶ駅前を抜けて、しばらく歩いてゆくと。大きな池の前にある、公園広場へとたどり着いた。
晴れているだけあって、池には二艘ほどのボートが出ており。広場の片隅ではクレープを売るキッチンカーが店を構えていた。
「確かに、昼飯を食べるには良い場所だな」
輝く水面を見つめる蹄人に、巻がこっちだと池の前に設置されたベンチを示す。
ベンチに並んで座ると、巻は袋からハンバーガーを一つ取り出し、蹄人に対して差し出した。
「ほら、食えよ」
「そんな餌をやるみたいに言うなよ……」
文句を言いつつ、蹄人はハンバーガーを受け取って、包みを剥いてかじりつく。ファーストフードらしいチープな味であるものの、高校生の味覚には十分美味しい。
空腹だったのもあり、しばらく無言でハンバーガーを食べ続け。中身のなくなった包みを丸めると、蹄人はやっと息を吐き出した。
「美味しかった……」
「食べ終わるの早えよ。だったら飲み物、買ってきてくれ」
まだ半分ほどしか食べていない巻にそう言われて、蹄人は頷くと立ち上がった。
広場に設置された自動販売機で、温かい缶コーヒーを二本買うと、ベンチへ戻る。無糖か微糖か迷ったせいで、巻は既にハンバーガーを食べ終わっていた。
「はいこれ」
「ありがと、ティト」
蹄人の差し出した、微糖の缶コーヒーを受け取ると。巻は熱を持った缶を両手で包み込む。
再び巻の隣に座った蹄人は、プルタブを引いて一口飲んでから。ずっと気になっていたことを、巻に問いかけることにした。
「で、本当の目的は何なんだ」
ちびちびと、微糖のコーヒーを飲んでいた巻は、缶から顔を上げる。
「と、いうと」
「とぼけるな。お前が何の目的もなしに、僕をデートに誘うような人間じゃないことは、分かってるんだ」
残念なことに、と付け加えようかと思ったが、やめた。
「そうだな……お前との付き合いも、もう随分と長いことだしな」
青い空を見上げてから。巻はベンチに缶を置いて、蹄人の顔に視線を向ける。
「まどろっこしい前置きは、無しにしよう。ティト、スカーレットともう一度会って、ちゃんと話をしろ」
「……」
やはり、と言った感じだった。最初からそんなことじゃないかという気は、薄々していたのだ。
これもまた、残念なことだが。答えは端から一つしかなく、蹄人は静かに首を横に振った。
「嫌だ。スカーレットは自分から道具として扱って欲しい、なんて言いながら。結局は僕を裏切ったんだ。話したところで、許せるとは思えない」
「それは、ミルキーウェイと同じことをしたからか」
「……」
沈黙を返した蹄人を、巻は睨みつける。
「いつまで意固地になってるつもりなんだよ。スカーレットはずっとお前のことを待っているんだ。許せなんて言わねえから、しっかりと話し合ってわだかまりを残さないようにしておけ」
「……嫌だ」
「ティト、自分から絶対に素直になることを拒む、お前のそういうところが私は嫌いだ」
はっきりと言われた「嫌いだ」という言葉が、蹄人の心に突き刺さった。
買ったばかりの缶コーヒーを、叩きつけるようにベンチに置くと。蹄人は巻を睨み返して、ありのままの感情を乗せた声で宣言する。
「もし、もし僕が今後、スカーレットと話し合うことがあるとしたら……それは契約を破棄するときだけだ」
次の瞬間、巻の拳が蹄人の右頬に突き刺さっていた。平手打ちではなく、容赦のない右フック。衝撃と痛みによろめき、頬を押さえて目を見張る蹄人を、巻は鬼のような形相で睨みつけながら、胸倉を掴んで立ち上がった。
「このッ、この程度のことで契約解消なんて、しみったれたこと言ってるんじゃねえよ、このクソ野郎!」
「それは―――」
「お前はまたミルキーウェイの時と、同じことを繰り返すつもりなのかよ。いい加減、スカーレットにミルキーウェイを、重ね合わせるのをやめろよッ」
もう一発、巻は蹄人に拳を叩きこむ。またしても容赦の一切感じられない、重みの籠った一発。
掴まれているとはいえ、力に物を言わせれば振りほどくことは容易いものの。蹄人はそのまま黙って、巻の拳を受け止めた。
赤いフレームのラウンド型眼鏡が飛んで、地面に落ちたところで。巻は荒い息を吐き出しながら、蹄人のことを離した。
「……座れよ」
巻に言われて、蹄人は眼鏡を拾うとベンチに腰かけた。幸いなことに眼鏡は壊れていないようだったが、今すぐに掛ける気分ではなかった。
「……ふふ、ああ、ははは」
頬の痛みを感じながらも、蹄人は自嘲気味に笑う。巻に殴られるまで、こんな簡単なことに気が付かないなんて、自分は大馬鹿者だ。
過去に囚われるのは無意味なことだと思いながらも、結局はミルキーウェイという過去の存在に囚われ続けていたのだ。
隣にいるのはスカーレットなのに、気が付くと何かにつけては、ミルキーウェイのことを考えていた。スカーレットはミルキーウェイではないのに、ミルキーウェイの代わりではないのに。
契約を破棄しようというのも、ミルキーウェイの時と、同じことを繰り返したくないから。パートナーである人形に愛想をつかされる前に、自分から離れてしまいたいから。
そうすることこそが、同じ悲劇の繰り返しだというのに。どうしてここまで、何も見えていなかったのだろう。
同じ悲劇を繰り返したくないというのなら。ミルキーウェイの心の闇に気づけずに、取り返しのつかないことになった、あの時のようになりたくないのなら。
まずはスカーレットと、腹を割って話し合うべきだろう。裏切ったのだと、一方的に拒絶する前に。ちゃんとお互いのことを、お互いの気持ちを、理解しようとしなければ。
「……道具を扱うのなら、道具のことを良く知る必要がある、か」
何度も繰り返し思ってきたはずの言葉を、改めて口に出し。蹄人はやっと、手に持っていた眼鏡を顔に掛ける。
「ありがとう、マッキー。目が覚めたよ」
心からの感謝に対し、巻はやや申し訳なさそうに頬を掻いた。
「……スカーレットが工房で待ってるから、さ。帰ろうぜ、ティト」
「ああ、そうだな」
残った缶コーヒーを一気に飲み干す蹄人の横で、缶を持った巻が、蹄人に片手を差し出す。
蹄人は少し微笑んで、巻の手を取った。
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