EPISODE41 雨の降る街

 雨が降っていた。

 灰色の空から、灰色の街並みへと、無色透明な雨粒が降り注いでいる。街中は静まり返っていて、環境音として流れる雨音だけが聞こえていた。

 様々な関係から、フィールドにモデルは一切ないと、公式から公言されており。実際に広がる街は見たことのないものだったが。

 雨の降る街、灰色の空。開始地点が、路地裏だったということもあるのだろう。

「蹄人」

 空を見上げて、スカーレットは静かに目を閉じ、スカーレットは繋がった相棒に囁く。

「あの日を思い出すな」

 蹄人は無言だったが、彼も同じことを思い浮かべていることが、はっきりと伝わって来た。

 あの日。独りだった藍葉蹄人とスカーレットになる捨てられた一体の人形が、運命的な出会いを果たしたあの日。

 全てを掛けたこの一戦に、あの日を想起させるこのフィールドが選ばれたことが、スカーレットは少しだけ嬉しかった。

『……回想は後にしろ、いつ敵が襲ってくるか、分からない』

「もちろんだとも」

 思い出に浸るのは、勝った後でいい。聞こえてくる蹄人の声に籠った感情をはっきりと感じながら、スカーレットは手早く、両手の拳銃の撃鉄を起こす。

 大会用のドームは基本的に固定の一種類か、予め決められた数種類からランダムに設定されて内容が決まる。

 どちらが採用されるかは、来会のレギュレーションなどによって変わってくるが、今回のエデンズ・カップでは後者が採用されている。

 高低差や遮蔽物の多い街フィールドは、銃タイプに対して有利であり。雨で視界が悪くなるマイナスを差し引いても、戦いやすいことには変わりない。

 もっともこんな大舞台に立つぐらいから、お互い不利な戦場でも戦えるだけの実力は身に着けているだろうが。

 近くの非常階段から、ビルの屋上へと上がり。スカーレットは望遠オプションを起動して周囲を見回す。

 雨に濡れたグレーの街並みは、無機質であるが、だからこそとても美しかった。

 確認したところでは、ハルカの姿は見当たらなかったものの。警戒は怠らず、スカーレットは辺りを見回しながら、「道具」として蹄人の指示に耳を傾けることにした。

『ハルカは剣タイプの人形だ。銃と剣、一見銃、つまり僕たちの方が有利に見えるかもしれないけれど。ハルカだけはその限りじゃないんだ』

 剣タイプは人形の戦闘形態の中でも、最もオーソドックスなタイプであると言われている。

 剣の種類や戦闘方法などによって、細かい違いはあるものの。基本的に癖がなく扱いすい、初心者向けの形態であるというのが、一般的な認識である。

 だが癖が無いということは、扱う人形師の実力がもろに出るということであり。熟練者の扱う剣タイプの人形がどれほど強力なものであるかは、対戦相手のハルカがまさに証明していると言っていいだろう。

 剣タイプの弱点として、よく「飛び道具に弱い」ということが挙げられるが、上手い人形師はその弱点を技量や必殺技でカバーしているものであり。

 受けなら飛んできた飛び道具を叩き落としたり、衝撃波を防壁として使用したり。攻めなら斬撃を遠くまで飛ばす必殺技や、絶え間ない連撃で一気に距離を詰めるようなこともある。

 剣タイプの必殺技は種類こそそこまでないものの、基本的にどれもシンプルで強力なものが揃っており、参考資料も多いため編み出す難易度も低めである。

 とはいえあまり教科書通りの技ばかり使っていると、あっという間に対策されるのが人形決闘の世界なのだが。オーソドックスな必殺技に、少しひねりを加えただけでも、十分戦えるのが剣タイプである。

 実際、ランキング上位を叩き出した人形の中にも剣タイプは多く。剣タイプの人形限定の公式大会が開かれたこともあるぐらいだ。

 そして。そんな剣タイプの人形の頂点に君臨するのが、ドールマスター・蒼井結翔の最初にして最強の伴侶人形、ハルカなのである。

『ハルカは剣タイプの人形なかでも特に強力といわれる、二刀流型の人形で。圧倒的な経験の積み重ねからくる強力無比な必殺技の数々と、スポンサーの財力に物を言わせたオプションが搭載された、名実ともに最強の人形だ。そこに蒼井結翔の指揮が加わるんだから、無敵と言われるのも無理はない』

「……だったらどうして、彼は無数の人形と契約したのだろうか」

『あいつにとって、人形が『仲間』だからだ』

 吐き捨てるように言ってから、蹄人は少し間をおいて考え込む。

『おかしいな、さっきから絶え間なく偵察しているはずなのに、一向にハルカの姿が見えてこない……透明化オプションを使っている可能性もあるかもしれない』

「だとしたら、どうやって見つけるんだ」

『残念ながら、対策オプションを使うしかない。あるいは……』

 蹄人から最高速で送られてきた、「反転迎撃」の指示に従って。スカーレットは振り向くと同時に、引き金を引く。

 雨に濡れたビルの屋上。さっきまで誰もいなかったその場所に、ハルカが瞬く間に姿を現す。足音はしなかったはずだが、いつの間に昇って来たのだろうか。

『隠密行動の機能が付いていたのか、あるいは跳躍オプションか。だが気づいてしまえばこっちの―――』

 蹄人の言葉は、銃口から放たれて雨を突っ切り、ハルカへと真っ直ぐ飛んで行った弾丸が。

 ハルカの素早い剣技によって、瞬く間に弾かれ、乾いた音と共に地面に落ちたことにより、途切れてしまった。

 落ちた弾丸が、二つに割れたことに気づく間もなく、オプションを搭載していなければ不可能な移動速度で、ハルカはスカーレットとの距離を詰める。次弾を叩きこむために、再度引き金を引く暇なんてない。

英雄演舞ヒロイック・ダンス

 力強く口に出しながら、鮮やかに舞うように回転し、ハルカは両手に持った剣を振り下ろす。

 蹄人から送られてきた「回避」の命令に従って、スカーレットはバックステップで後退し、ハルカの剣劇を避けようとするが。

 スピードが違う。相手の方が断然に早い。剣戟の射程外から出る間もなく、一撃、二撃とハルカの持った剣の刃がスカーレットの体を切り裂く。

「くっ」

 今までスピードには自信があり、実際に速さで負けることは滅多になかったが。ハルカの動きは明らかに違う。いくらオプションを使っているとはいえ、ここまで早く動ける者なのだろうか。

『飛び降りろ、スカーレットッ』

 刹那の思考を上書きするように送られてきた蹄人の指示に従い。連撃によりヒットポイントが2つ削られるのを感じつつ、スカーレットはビルから飛び降りる。

『地面に降りたらすぐに移動しろ、あれは恐らく「瞬間バフオプション」だッ』

 出来る限り受け身を取って着地した後、スカーレットは即座に走り出す。

 瞬間バフオプションは、使用すると一定時間能力を強化する効果が発揮されるオプションである。時間制限と一度使ったらその人形決闘中は使えなくなることが難点だが、どんな戦場でも確実に強化を得られるのが、このオプションの強みである。

 オプションの例にもれず、安物は時間が短く、効果終了後に逆に移動速度が落ちるなどのデメリットが付く場合があるが。多くのスポンサーから支援を受ける蒼井結翔の人形が、そんな粗悪な安物を使っているわけがない。

 間違いなくデメリットなしで、効果時間も最大のものを使用しているのだろう。

 だとしたら、出来る限り時間を稼がなくては。そう思い、スカーレットは出来る限り入り組んだ路地を選びながら、灰色の街中を移動する。

『いくら高速で動けても、これだけ複雑な道を迷わず追ってこられるはずが―――』

 頭の中に響いた蹄人の声は、またしても途中で途切れた。その代わりに、「反転攻撃」の命令が送られてくる。

 スカーレットが停止して即座に振り向き、再び引き金を引いたのと。瞬間バフオプションにものを言わせたハルカが、最短経路で突っ込んでくるのがほぼ同時だった。

『さっきの攻撃でマーキングされたのか、クソッ』

 蹄人が悔しそうに口走るのと、放たれた弾丸が再びハルカに切り刻まれたのは、ほぼ同時だった。

「華麗なる連撃プリティ・バラージ

 回転を主軸とした、舞うような先程の連撃とは違い。今度は真っ直ぐとした突きからの鮮やかな切り上げ。回避する暇なんて与えないというような、超高速の剣技が、スカーレットのヒットポイントを削り、そのままノックバックさせる。

「このッ」

 蹄人の指示に従って弾丸を放つものの、ノックバックもあって銃弾は灰色の空へと飛んで行き、スカーレットはそのまま地面に倒れ込んだ。

 そんなスカーレットを、頭上から距離を詰めたハルカが見下ろす。

 ハルカの戦闘衣装は、桃色の髪と瞳が良く映える、白を基調とした魔法少女のような可愛らしいものだった。

 だが、その衣装にミスマッチともいえる、漆黒と深紅の両手剣が、灰色に支配されたこの雨降る街中で、圧倒的な存在感を放っていた。

「チェックメイトです、スカーレット」

「……」

 剣を振り上げつつ、ハルカは残念そうに、スカーレットに対して語りかけてくる。

「貴方の敗因は、何だと思いますか」

「……」

「貴方が、藍葉蹄人の『道具』だからです。主人の命令に従う道具が、私たちに、私たちの絆にッ、勝てるはずがないッ」

 力強く、意思の籠った言葉の数々。

 だがそれがどこか、自分自身に言い聞かせているように思えるのは、気のせいなのだろうか。

 いや、きっと気のせいではないのだろう。そう思いながら、スカーレットは静かに目を閉じて息を吐く。

 たった。たった一瞬だけ。

『……スカーレット』

 頭の中で、蹄人の呼ぶ声が聞こえた。今度はちゃんと、聞こえた。

『勝つぞ、スカーレット!』

道具モノには、道具モノ矜持プライドがある」

 目を開き、深紅の瞳でハルカを睨みつけて、スカーレットは仰向けのまま、両手の銃口をハルカに向ける。

「勝つのは私だ。己の矜持にかけて、藍葉蹄人と共にお前を倒す!」

 ハルカは何も言わなかった。ただ一瞬だけ、哀しそうな顔をしてから。表情を憎しみで塗りつぶし、手に持った剣を振り下ろした。

 もっとも。振り下ろされた刃が、スカーレットを切り裂くことはなかったのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る