EPISODE40 悪役に徹する

 階段の上部からは、大勢の観客たちの歓声と、大音量のBGM。そして司会者である、パペット本田とリンリンの声。

 運命、というほどのことでもないのだが。エデンズ・カップの舞台は、去年のラストホープ・グランプリと同じ、この「マリオネット・ドーム」で行われている。

 伴侶人形の原型を生み出したとされる、歴史上の偉人から取って名付けられたこの会場は、我が国最大の大型ドームであり、人形決闘の大きな大会が開催される際、ほぼ必ず使用されると言っていい。

 とはいえこの薄暗い待機場所にいると、否応なしにあの時のことを思い出してしまう。この一年で何もかもが変わってしまったが、試合前のこの緊張感だけは変わらない。

「―――続いては、人形管理協会会長サマからの有難い挨拶でございまーす」

 リンリンの済んだ声を聞きながら、蹄人は隣に立つスカーレットへと視線を向ける。

 スカーレットはこの日の為に用意した、特別な衣装を身に着けていた。深紅の髪が最も映えるのは黒、ということで、黒一色のライダースーツ。相変わらずの金欠であるため、模造繊維の安物だが、黒い布地に揺らめく、艶やかな赤髪は見立て通りに、息をのむほどの美しさを湛えていた。

 階段の上からは、人形管理協会会長の長々とした挨拶が聞こえてくる。蹄人は周囲の雑音を締め出すように目を閉じ、息を吐き出した。

 完全なる暗闇と、意識的な静寂に包まれると。緊張もだいぶ落ち着いてくる。もう一度深呼吸をして、蹄人が目を開くと、スカーレットがこちらの顔を覗き込んできた。

「蹄人」

「また、『大丈夫か』なんて、答えが分かり切ったことを聞くつもりか、スカーレット」

 挑発的な蹄人の言葉に、スカーレットは微笑んで静かに頭を振る。

「いや、お互いとっくに覚悟は決まっているからな。ただ随分と意識を集中させているようだから、このまま眠ってしまうんじゃないかと思ったんだ」

「なるほど、それは困るな」

 スカーレットの冗談に軽く笑って、蹄人は階段へと視線を戻す。ちょうど、人形管理協会会長の挨拶が終わったところだった。

「会長殿、ありがとうございました。さて、諸々も終わったことですし。皆さんお待ちかねの開幕戦、ドールマスター対再起の人形師のエキシビジョンマッチといきましょう!」

 パペット本田の声が聞こえて、蹄人は軽く頬を叩き、しっかりとレンズを磨き上げた、赤いラウンド型フレームの眼鏡を押し上げる。

「行こう、スカーレット」

 小さく言って、蹄人はスカーレットと共に、舞台へ続く階段を上がる。足取りは思ったよりもずっと、軽やかだった。


 藍葉蹄人の待機場所の、反対側では。

 蒼井結翔が自身の青い髪を、きっちりと整えていた。専属のスタイリストに仕上げてもらったとはいえ、気になるものは気になってしまう。

「ハルカ」

 隣に立つ伴侶人形に声をかけると、ぼんやりと宙を見つめていたハルカは、我に返ったように結翔に顔を向ける。

「俺、髪型決まってるか?」

「うん、ばっちり決まってます。だからあんまり、弄らない方が良いかも」

 ハルカの言葉に、結翔は髪の毛から手を離すと、ちょっと困った顔をしてハルカを見返す。

「なんか素っ気ない言い方だな。久しぶりにお前と組むからって、拗ねてるのか」

「……別に」

 否定も肯定もせずに、少し俯くハルカに。結翔はにかっと笑うと、フリルをふんだんにあしらった、桜色の衣装に包まれた背中を力強く叩く。

「安心しろよ、ハルカ。お前は俺のかけがえのない相棒なんだ。たとえ一緒に戦うのが久しぶりだとしても、俺とお前なら負けることはない。そうだろう」

「……確かに」

 力強い言葉とは裏腹に、ハルカは何とも言えない表情で頷く。そんな伴侶人形に対し、結翔は小さく鼻を鳴らした。

「いくら相手が、瑛を倒した奴だとしても。俺とお前が一緒なら、負けるはずがないだろ。な、ハルカ」

 相手のことを心から信頼しきっていて、どこまでも明るく、どこまでも力強く。断言する結翔に対して、ハルカは一瞬だけ目を見張ってから、曖昧に頷いた。

「……うん。そうだね、結翔」

「だろ。それじゃ、そろそろ松田さんから、お呼びがかかる頃だろうから。行こうぜ、相棒」

 起動し、最初の契約を結んだあの日から。二人で多種多様な敵と人形決闘を行い、無数の勝利を積み重ねてきたあの日から。ラストホープ・グランプリを制覇し、人形師の頂点であるドールマスターに上り詰めたあの日から。

 何も変わらない、笑顔を見せて。結翔は階段の上部へと視線を向けた。


 実況席に座るパペット本田が、蝶ネクタイを直して咳払いをする。隣に座る伴侶人形のリンリンも、パペット本田の癖に気が付いて、手早くマイクの調節を行う。

「ごほん」

 パペット本田がマイクに向かって咳払いをすると、ざわめきに支配されていた会場が一斉に静まり返る。大勢の観客が見守る中、パペット本田はスタンドごとマイクを掴み上げ、大きく口を開く。

「皆様お待たせいたしました。エデンズ・カップ、エキシビジョンマッチ。ドールマスター対反逆の人形師。頂点の実力を誇示するか、雪辱を晴らし奇跡によって汚名を返上するか。今、二組のバディがこの場で激突しますッ」

 煽り文句を吐き、パペット本田がマイクを持った拳を突き上げると、会場が瞬く間に歓声に包まれる。同時に舞台に設置された大規模スクリーンに二組のシルエットが映し出され、スピーカーからは大音量で場を盛り上げるためのBGMが流れ始める。

「それでは選手入場と行きましょう。まずは高校生にしてラストホープ・グランプリ連覇の結果を叩き出した、稀代の天才人形師。そして彼の最初の伴侶人形であり、その刃はすべてを切り裂く絶対的なエース。ドールマスター・蒼井結翔&ハルカアアアァァァッ!!!」

 鮮やかな宣伝文句と共に、舞台の右手から結翔とハルカが舞台に上がっていく。観客からは多大なる声援と歓声が投げかけられ、中には横断幕を掲げてい警備員に押さえられるものもいるぐらいだ。

 結翔はそんな観客たちに、笑顔で手を振りながら。ハルカも結翔ほどではないにせよ、周囲に微笑を向けながら。共に並んで、舞台の上に上がってゆく。

 設置された特殊ボトルの前、定位置に立ったのを見届けてから、パペット本田は舞台の左手に視線を向けつつ、握りしめたマイクを揺らす。

「対するは、かの大会での出来事で、表舞台に立つことを禁じられた少年が、新たなパートナーと共に帰ってきた。少年が手にするのは、再起の栄光か、はたまた挫折の再来か。すべては彼と、彼のパートナー次第。藍葉蹄人&スカーレットオオオォォォ!!!」

 最初は低く重々しく、後半は蒼井結翔の時と同じテンションで。放たれた実況と共に、階段を上がった蹄人は、スポットライトの照らす世界に踏み込んだ。

 観客から送られるのは、声援半分ブーイング半分。バランスが取れてちょうどいいと思いつつ、蹄人は口元に悪い笑みを浮かべながら、片手を上げて見せる。

 自分とスカーレットの姿がでかでかと映し出された巨大なモニターも、「卓」の機能が内蔵された舞台も、中央に置かれた特殊なセットアップボトルも。

 全て既視感があるはずなのに、スカーレットと一緒なのは初めてなせいか、あらゆるものが新鮮に見えた。

「スカーレット、緊張するか」

 隣を歩くスカーレットに、小声でそう声をかけると。スカーレットは蹄人にだけ分かるように、小さく首を横に振った。

 嘘でも本当でも、スカーレットの返してくれた反応に安堵しつつ、蹄人は相棒にして最高の「道具」を伴い、所定の位置に立った。

 目の前には、蒼井結翔が。青い髪に青い瞳、やや童顔な顔立ちの癖に、体つきは男らしくしっかりしている。

 あの時。去年のラストホープ・グランプリで対峙した時と、何も変わっていない。衣装すら、彼もハルカもあの時のままだ。

 自分は彼の目に、どう見えているのだろうと思いながら。蹄人は久しぶりに再会した旧友にでも話しかけるように、目の前のドールマスターに対して口を開いた。

「……久しぶりだな」

「こっちこそ。相変わらず、人形を『道具』だなんて思っているのかよ」

 カウンター気味に睨みつけてきた結翔に対し、蹄人はスカーレットと顔を見合わせてから、パートナーの肩に手を回し、力強く頷いた。

「もちろん。僕は僕の思想を変えるつもりはないよ。これからも、この先も」

「人形が可哀そうだとは思わないのか?」

 どっちが。ミルキーウェイから聞いた話が頭をよぎり、ついそう言い返したくなったものの。圧倒的な支持を得ている彼の醜聞を、この場でぶちまけるのは得策じゃない。

 だから蹄人は不敵な笑みを崩さないまま、ありのままの気持ちで答えてやることにした。

「微塵も。人形を『道具』だと思うことに、罪悪感を抱いたことなんか一度もないね」

 だって何よりも道具を、人形を愛しているから。本来なら付け加えるはずの一文は、そっと胸の中に仕舞って。蹄人は結翔に向かって手招きをした。

「来いよ、蒼井結翔。人形は『仲間』だっていう、お前に勝利して。僕の思想も正しいってことを、証明してやる」

 初めからこうするつもりだった。蒼井結翔に何を言っても、彼の威光の前には無意味に過ぎない。だったら最初から徹底的に、悪役に徹してやろう。

「スカーレット」

 蹄人が囁くと、スカーレットが前に進み出て、ボトルの前に立つ。

「……最低です」

「俺が。今度こそお前のその腐った根性を、叩きなおしてやる」

 蹄人たちの動きに応えるように、ハルカも結翔の隣から、ボトルの前に移動する。

 きっと周囲では罵声と歓声が絶え間なく放たれているのだろうが、戦いの前の集中し澄み切った意識の中では、もはや関係のないことだ。

 この日を望んでいたかもしれないし、もう一度舞台に立つことを願っていたかもしれない。だが今となっては、全て過去のこと。

 相手がドールマスターだろうと、最強の人形だろうと、関係ない。今はただ、スカーレットと共に、目の前のこいつらを打ち倒すだけ。

 誰からも嫌われる悪役が、世界の頂点で輝く存在を打ち倒したら。それはとてもドラマチックじゃないだろうか。

「人形決闘、スタート!!!」

 パペット本田とリンリンが同時に放った、力強い宣言と共に。スカーレットとハルカはボトルに手をかけ、ドームの中へと消えて行った。

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