EPISODE43 戦いの後に

 人形決闘開始時とは、打って変わって、静まり返った会場の中。

 お互いのパートナーがドームの中から帰還すると、蹄人は真っ直ぐ結翔を見据える。ドールマスターの敗北がもたらした静寂により、ここにいるのが自分たちだけのように感じられた。

「俺が、負けたのか……」

 結翔は心底驚いているという様子だった。もっと目に見えて悔しがってくれれば、気分が良かったかもしれないが。これだけでもまあ、悪くはない。

 赤いラウンド型フレームの眼鏡を押し上げて、蹄人は隣に立つスカーレットの肩に手を置きながら言った。

「僕たちの勝利だ、蒼井結翔、ハルカ」

 勝利宣言を受けて、結翔は少しだけ笑うと、静かに目を閉じた。一方で隣に立つハルカは、目を見開いて全てを否定するかのように腕を振る。

「結翔が、こんな奴ならに……人形を道具として扱うような、最低の奴らに負けるなんてッ」

「ハルカ……」

 つい同情的な眼差しを向けるスカーレットに、蹄人は静かにかぶりを振った。

 心底悔しそうなその言葉は、きっと自分たちだけに向けられている者ではないのだろう。だから、蹄人は黙ってハルカの言葉を受け止めることにした。

「実力も性能も、全部私たちの方が上だったッ。なのに、こんなにあっさり負けるなんてッ。結翔が、私が……負けるなんてッ」

「もういい、ハルカ。やめろ」

 隣に立つ、結翔に制止されて。ハルカは弾かれたように硬直する。

 結翔は改めて目を開くと、顔に微かな笑みを浮かべた。

「戦って分かった。藍葉蹄人、お前は確かに人形を道具として扱っているのかもしれないが、二人の間には確かに信頼がある……あの時と違って、そうだろう?」

「……ああ」

「お前がそうだったように、俺は自分の『人形は仲間だ』という思想を変えるつもりはない。これからも、この先も、ずっと」

 それでいい。人形と人間の関係は、千差万別であり、影響を受けることこそあれど他人に否定され、上書きされるべきではないのだ。

 だから蹄人は、あの時の彼と違って、蒼井結翔の「人形は仲間だ」という思想を否定するつもりは微塵もなかった。同じことを繰り返したって、何の意味もないのだから。

 ただ一言、どうしても言いたかった一言を投げかけて。あとはのんびり、スカーレットと大切な仲間たちと共に、この勝利の余韻に浸ろうと思う。

「人形を仲間だと思うんだったら、ちゃんと大切にしてやれよ、蒼井結翔」

 言いたかったことを言った後、返事を待たずに蹄人は背を向ける。これは助言じゃなく、ミルキーウェイにしたことに対する単なる文句だから。蒼井結翔からの返答はいらない、あとは全て、彼次第である。

「行こう、スカーレット」

 隣に立つスカーレットにそう言うと、スカーレットはいたずらっぽくはにかむ。

「そこは『行こう』じゃなくて、もっと相応しい言葉があるんじゃないか、蹄人」

 少し考えてから、蹄人はスカーレットが浮かべている表情と、同じ顔で言い返した。

「帰ろう、スカーレット」

 ずっと抱え続けてきたトラウマにさよならを告げて。新たな相棒と勝利をつかみ取って。蹄人が舞台を降りてゆくと同時に、やっと衝撃から立ち直ったらしい、パペット本田の実況が響き渡った。

「まさかの大番狂わせ、勝利したのはなんと、ドールマスターではなく挑戦者の藍葉蹄人とスカーレットの方だッ!去年のラストホープ・グランプリでの雪辱を果たし、人形決闘界の頂点から見事勝利をもぎ取ったリベンジャーたちに、皆さま盛大な拍手を!」

「ほらほら、ぼさっとしてないで手を叩いた叩いた!」

 リンリンの発破もあり、やっと会場が拍手と歓声、そして若干のブーイングに埋め尽くされた。だが勝利を手にした今となっては、この程度のブーイングなんてまるで気にならない。

 舞台を降りるとき、蹄人はスカーレットに片手を差し出す。スカーレットがその手を取って握りしめると、蹄人は頷いて、自身の最高の道具にして相棒と、共に壇上を後にする。

 さあ、巻たちが待つ、あの場所に帰らなければ。


 祝勝会の内容は、相変わらずのジャンクフードとソフトドリンク祭りだったが、心なしか巻のテンションがいつもより高かった気がする。

 途中で極や梅太郎が乱入したり、なんやかんやあって延長戦の人形決闘が始まったりが、疲れを忘れてしまうぐらい、柄にもなくはしゃぎまくったのは確かだ。

 たださすがに日付が変わって新年になり、二時間ほど経過した辺りで解散となった。お互い新年の挨拶を交わし、連絡先を好感して、極と梅太郎は帰っていった。

 人形たちもメンテナンスのため、スリープ状態になり。部屋の中には実質的に、巻と蹄人の二人きりになり。

「まったく。カットがあらかた片付けてくれたとはいえ、ここが調律師・常夜巻の事務所だって、みんな忘れてないか?」

 ぐちぐちとそう言いながら、部屋の中のオブジェの配置を弄る巻に。残ったジュースを一気に飲み干してから、蹄人は声をかけた。

「マッキー」

「ん、どうしたんだ、ティト」

「ちょっと話したいことがある」

「……今日遅いから泊めてくれってことなら、別に構わないぞ。もはや今更のことだしな」

 腰に手を当てて呆れたように息を吐く巻に、蹄人は静かに首を横に振る。

「違う。その、なんというか。もうちょっと大切なこと」

「……分かった。じゃあ工房の方で話そう」

 促されて工房へと一緒に入ると、巻は作業台の上に腰かけて、腕を組んだ。

「で、大切なことって何なんだ、ティト」

 工房内の冷たい空気が、ただでさえ感じている緊張をより一層煽っている気がしたが。たとえどれだけ緊張していたとしても、ずっと前からこれだけは言うと決めていたことなのだ。覚悟が出来ているなら、後は実行に移すのみである。

「あー……ええと、マッキー」

「何なんだよ、はっきり言え、はっきりと」

「冬休みの間に、一緒に水族館に行かないか」

「……は?」

 これでも滅茶苦茶勇気を出して言ったのだが。巻はきょとんとして首を傾げてから、物凄く呆れた顔をして見せる。

「大切なことって言うから何かと思ったら……そんなことか」

「そ、そうだ。僕はマッキーと一緒に遊びに行きたい」

 巻は少し考え込んでから、やがて何かに気が付いたように顔を上げる。

「もしかして、デートのお誘いか、これ」

「わ、悪いか!」

 顔が赤くなるのを感じながらも、蹄人は巻に対して首肯する。フラグになるから勝利するまで言わないつもりだったが、勝利してしまった今となっては何も躊躇うことはない。

「ふむ……そうだな」

 また少し考え込んでから、巻はちょっと意地の悪い表情を浮かべる。

「いいぜ、その誘い乗ってやるよ。蒼井結翔に勝ったご褒美だ」

「ほ、ほんとか?!」

「ただ、このぐらいで今までの借金がチャラになるとは思うなよ、ティト」

「わ、分かってるって、そんなことッ」

 冗談めかしているとはいえ、巻へのツケがもはや到底返済できない額になっていることは分かっている。それこそ、自分の人生を彼女に捧げないといけないぐらいに。

 だからこれは返済のための、第一歩なのだ。常夜巻という少女と共に、これからの人生を歩みだす、その第一歩。

 我ながら恥ずかしいことを考えるのだと思いながらも、蹄人が赤らんだ顔を手で隠しながら、巻のことをちらりと見ると。

「ティト」

「な、なんだよ」

「ありがとう」

 そこには心底嬉しそうな表情を浮かべた、巻の顔があった。


 うっすらと開いた工房の扉の向こうで。

 スカーレットは蹄人と巻のやり取りを、静かに聞いていた。

「スカーレット」

 背後から名前を呼ばれて振り向くと、ミルキーウェイとカットが立っていた。どちらもなんとも言えない表情を浮かべて、スカーレットを見つめている。

「……分かってる」

 スカーレットも、今の自分がどんな顔をしているか分からなかったが。きっと笑えているのだと、信じることにした。

「人間から人形の間に、『信頼』以上の感情が生まれることはない。そのことはちゃんと、分かっているさ」

 人間から人形の間に、「信頼」以上の感情が生まれないというのは、既に何人もの高名な学者によって証明されてきたことだった。

 だが、人形から人間へ向けられる感情に関しては、人形にしか分からないことであり。人間である学者の誰一人として、未だ証明することが出来ていない。

 だから、人間から人形にはあり得なくても。人形から人間に対しては、「信頼以上」の感情が向けられることは、人形たちしか知らないのだ。

 もっともそれも、極稀なケースであるが。かつて人間に愛する存在と重ね合わせた玩具にされた過去を持つスカーレットだからこそ、その極稀なケースに当てはまってしまったのかもしれない。

 だが、しかし。想いを伝えたところで蹄人は困るだろうし、困って悩みぬいた末に、きっと断られるだろう。スカーレットを傷つけないように、だがはっきりと、確実に。

 でも、それでも。自分が涙を流せないことを悔しく思いながら、スカーレットは目を閉じる。

「大丈夫、諦められるさ、私は『道具』なんだから」

「スカーレット……」

 気が付くと、スカーレットはミルキーウェイとカットに、優しく抱きしめられていた。

 どんな慰めの言葉よりも、その静かな抱擁が、今のスカーレットにとっては何よりの救いだった。

 道具だからこそ、諦められる。諦めてこれからも、大切な「相棒」として一緒に歩いて行ける。

 心の中にずっと秘めてきた、蹄人への感情が整理されていくのを感じながら。スカーレットは自分を励ましてくれる同胞たちを、優しく抱きしめ返すのだった。


 数日後。

 新年の開館初日ということだけあって、水族館は非常に混雑していたものの。早めに家を出ただけあって、思ったよりもスムーズに入館することが出来た。

 大きな水槽の中で、鮮やかな色合いの熱帯魚が泳ぐのを眺めながら、蹄人は隣に立つ「巻たち」に声をかける。

「混んでるけど、来てよかっただろ」

「悪くはないな、悪くは。正直魚は嫌いじゃないし」

 なんて言っているくせに、巻は非常に楽しそうな様子であり。それ以上に楽しそうなのが、横で水槽を食い入るように見つめているミルキーウェイだった。綺麗なものに目がないだけあって、熱帯魚に夢中になっているのだろう。

「でも蹄人さん、よくここのチケットが取れましたね。この水族館って、確かかなりの人気があったような」

 パンフレットを持ったカットに、蹄人はにやりと歯を見せる。

「気にすることじゃないさ、僕には僕なりの『ルート』があるってことだよ」

「嘘つけ、数か月前から予約してただけの癖に」

「……マッキー、このぐらい恰好つけさせてくれよ」

 意地悪な巻を蹄人が睨みつけると、巻は心底楽しそうに笑って見せた。

「蹄人」

 そんな巻に、何を言い返そうかと考えていた時。背後から名前を呼ばれ、蹄人は振り向く。

 深紅の髪によく似合う、デニムのジャケットを身に着けた、スカーレットが立っていた。やっと購入できた本物のデニムが良く似合っているスカーレットに、蹄人は優しく笑いかける。

「楽しんでるか、スカーレット」

「ああ……でも」

「どうしたんだ」

 やや言い淀んでから、なお躊躇いがちな様子で、スカーレットは蹄人を見つめる。

「その……私たちも一緒だと、邪魔なんじゃないか」

 スカーレットの言葉に、蹄人は一瞬きょとんとしてから、すぐに笑って見せる。

 巻との交際開始をスカーレットたちに伝えてから、スカーレットにどことなく元気がないことは気づいていたが。自分たちが邪魔にならないか、気を使ってくれていたということか。

 だったら、むしろその逆である。

「邪魔なものか。みんな一緒だからいいんだよ、スカーレット」

「でも……」

 うだうだと視線を彷徨わせるスカーレットに対して、蹄人は呆れたように鼻を鳴らす。

「それとも何か?スカーレットは僕が、巻と付き合うからってお前をないがしろにするような人間だと思うのか?」

「……ツッ」

 弾かれたように顔を上げてから、スカーレットは目を閉じて笑みを浮かべる。

「そうか、そうだったな……すまない、蹄人」

 目を開けた時、そこにはいつものスカーレットの、強気で美しい表情が浮かんでいた。

「さあ蹄人、そうと決まれば思い切り楽しむぞ」

「もちろんだとも」

 頷いて、蹄人はスカーレットが回り込むと同時に、再び巻たちの方に視線を向ける。巻もカットも、水槽からいつの間にか目を離していたミルキーウェイも、みんなにやにや笑いを浮かべていた。

「何だその気色悪い顔は……」

「いや。ティトとスカーレットがいつも通りで安心したってことだ。それより次は、どこに行こうか」

「そうだな―――」

 青く輝く大きな水槽の前で。藍葉蹄人は大切な相棒と、恋人と、仲間たちに向かって。本当に素直に純粋に、心からの笑顔を浮かべて見せたのだった。

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