EPISODE26 先輩と後輩

 微かに埃の舞う、夕方の空き教室の中で。

 スカーレットとハクライがドームの外に帰還すると、敗北した梅太郎は蹄人の前で、静かに目を閉じて息を吐いた。

「俺の負けだ、蹄人」

「対戦ありがとうございます、部長」

 心からのお礼の言葉と共に、蹄人が静かに頭を下げると、梅太郎は豪快に笑って見せる。

「もう部長じゃねえし、勝者のお前がそう呼ぶのは、逆に侮辱になるぞ」

「……では、対戦ありがとうございました、蜂山先輩」

「いい感じだ、先輩、悪くない響きだ」

 満足げに頷いて、梅太郎は蹄人に近づくと、大きな手で肩を力強く叩いた。励ますように、応援するように。

「済まなかったな、蹄人。契約を破棄した方が良いんじゃないか、なんて言って。お前たちの絆、はっきりと見せてもらった」

「え、そんな失礼極まりないこと言ったんですか。全く酷い人ですのう」

 静かに頭を下げた梅太郎背後で、ハクライが呆れたように両手を広げる。梅太郎は一瞬だけ振り向き、ハクライに申し訳なさそうな笑みを浮かべてから、改めて蹄人とスカーレットに向き直る。

「スカーレットを大切にしろよ、蹄人」

「言われなくてもそうしますし、これからもずっとそうしていきますよ」

 背後に立つスカーレットに目配せをすると、スカーレットは嬉しそうに微笑んだ。

「改めて、今回はありがとうございました、先輩」

 蹄人が片手を差し出すと、梅太郎は即座に握り返してくれた。お互いタイプは違うとはいえ、人形を愛する男同士の、力強い握手。

 手を離すと、梅太郎は空き教室の窓の外へ視線を向ける。冬空は夕陽によって、綺麗な茜色に染まっていた。

「交換編入の期間が終わったら、俺は地元に帰るが。それまでに何かあれば、遠慮なく言ってくれ。出来る限りのことはしてやる」

「ありがとうございます。また、人形決闘の相手をお願いするかもしれません」

「おう、いつでも受けて立ってやる」

 歯を見せて笑った梅太郎は、良いことを思いついたというように手を叩く。

「そうだ、蹄人。せっかくだからこのまま、この学校の人形決闘部に遊びに行ってやらないか。一応それなりに実力はあるんだが、俺からすればどいつもこいつも物足りなくてな」

「なるほど……スカーレット、どうしようか」

 一応聞いてみたものの。自分でも行きたいという感情が、顔にはっきりと出てしまっているのが分かった。

 スカーレットは、呆れたように微笑むと。今の蹄人と同じような顔をして、サムズアップをして見せる。

「人形決闘が出来るなら、行かない道理はないだろ、蹄人」

「ああ、そうだな。それでこそ僕の、パートナーだ」

 スカーレットに対し、サムズアップを返して。にやにやとする梅太郎とハクライと共に、空き教室を後にする。

 それから数時間後。私立仁英高校の人形決闘部が挑戦者によって壊滅させられたという話が、学校中へと瞬く間に広まっていった。


 通勤ラッシュの名残が残るバスの中、99を連れ立った萌木極は、一番後部にある座席に座って、スマートフォンの画面を眺めていた。

 画面には通話アプリのチャット欄が表示されていて、極は的確なフリック入力で、相手に対するメッセージを打ち込んでゆく。

『ですから僕はただ、「提案」しているだけですから。盛り上がること間違いなしですし、そちらにとっても悪くない「提案」だと思うんですがねえ』

 最後にわざとらしく、ハートの絵文字を付けて、送信ボタンをタップする。同時に手前に立つ99が、静かにため息をついた。

「ハートマークはやりすぎじゃないですか。ただでさえマネージャーさん、発狂気味なんですから」

「それは情報管理を怠ったあっちの自業自得だよ。僕はそれを利用しているにすぎないからね」

「……マスター、いつか後ろから刺されて死にそうですね」

「覚悟はしてるさ。その時は僕の為に泣いてくれるかい、99」

 極が片目を瞑って見せると、99はまた長々としたため息を吐きだした。

 ともかく、結翔のマネージャーに対する根回しは順調だ。ほどなくして陥落し、正式な対戦の日程と会場が決定するだろう。

 そうなったら、己のチャンネルで大々的に宣伝して、一石二鳥と行きたいところだ。ほくそ笑みながら、極はさらにスマートフォンを操作する。

 人形決闘をたしなむ、学生たちのコミュニティサイト。ログインして、掲示板を見に行くと、新鮮な書き込みの数々で溢れかえっていた。

 新しい書き込みのほぼすべてが、同じ内容の情報を伝えている。仁英高校の人形決闘部が、外部からやってきた挑戦者に壊滅させられたという。書き込みによると挑戦者は深紅の髪をした人形を連れていて、赤いラウンド型フレームの眼鏡を掛けていたという。

「蹄人くんも、頑張っているようで何より」

 記事に一通り目を通して、にんまりと笑うと。極はスマートフォンを仕舞って、顔を上げる。

 ちょうど車内に、目的地のアナウンスが響き渡り。極は慌てて降車ボタンを押した。

「ところでマスター」

 バスが目的のバス停に停車するのを、窓から眺める極に。99が思い出したように、声をかけてきた。

「これから結翔さんの、ラストホープ・グランプリ連覇記念の祝勝会に行くわけですが。何かお祝いの品でも、持っていかなくていいんですか」

「親友からのお祝いの言葉ほど、価値のあるものはないだろう?」

「……聞いた私が馬鹿でした」

 ため息を吐きだす99と共に、バスから降車すると。極はそのまま真っ直ぐ、バス停の近くにあるカラオケボックスの店内に入る。

 店員にあらかじめ予約してある、ボックスの番号を告げてから。「18」なんていう縁起のいい数字をした、パーティー会場へと向かう。

 防音だと知りつつも、扉を軽くノックして。中に入ると、先に来ていた仲間たちが一斉に極の方を見た。

 主役である結翔に、当然とばかりに寄り添う美衣華。二人の伴侶人形である、ハルカとショウ。そしてもう一人、見知った顔の少年がいた。

 結翔よりやや幼く、お値段の高さが透けて見える私服を着たその少年を一瞥しつつ。極はとりあえずにこやなか表情で、結翔に言うことにした。

「ラストホープ・グランプリ連覇おめでとう、結翔」

「ありがとう、極」

 嬉しそうに頷く結翔に満足して、極は座席の空いているところに座ると、使い捨てのおしぼりを手に取った。

「……で、何でこいつがここにいるんだ」

 手を拭きながら、極が少年に視線を向けると。彼は露骨にムッとしたような顔をしてみせた。

「こいつとは失礼ですね。僕にはちゃんと、明星院瑛みょうじょういんてるという名前があるんです」

「ああ、知ってる知ってる。そのうえでこいつ呼ばわりしてるんだから、気にしなくていいよ」

 おしぼりを置くと、極はテーブルの上のサンドイッチに手を伸ばす。カラオケボックスの料理も、昔より随分と美味しくなったものだ。

 明星院瑛は中学時代からの仲間の一人だが、結翔や極よりも一つ下の、後輩にあたるのだ。そのため彼はまだ、中学三年生である。

 卵サンドを頬張る極に対し、苛立ちが治まらない様子の瑛は、良いことを思いついたという感じで聞いてきた。

「そういえば先輩、復活した藍葉蹄人と戦ったらしいじゃないですか。どうだったんですか、勝敗」

「あ、それ私も気になる」

 選曲用の端末を眺めていた美衣華も顔を上げて、期待するような眼差しを極に向けてきた。極はテーブルにあったコーラを手に取ると、口の中の卵サンドを流し込んだ。

「勝ったのか、極」

「うん、僕が勝ったよ。リベンジ達成、というところかな」

 最後に問いかけてきた結翔に対し、コーラの缶をテーブルに置いた極は即座に答える。どのみち勝敗については、報告するつもりだったのだ。

「そうか、じゃあ―――」

「でも。僕に負けても、蹄人くんの思想は変わる様子がなかったな。それどころか結翔くん、君のことを随分と恨んでるみたいだったねえ」

 流れるように吐き出した極の嘘に、結翔はさっと顔をしかめた。計画通りと、内心でほくそ笑みながら、極はさらに言葉を続ける。

「やっぱり蹄人の思想を変えるには、もう一度君が彼のことを、徹底的に叩きのめさなきゃならないと思うよ。向こうも結翔くんとの、再戦を望んでいることだしね」

「やはり、そうなのか……」

「まったく、面倒くさいこと極まりないやつね、藍葉蹄人って」

 中学時代の結翔なら、すぐに戦おうと言い出すところだが。まったく、随分と変わってしまったものだ。彼の心の中には今、スポンサーと交わされた契約のことがあるのだろう。

 もっとも。変わり果てた結翔を動かすために、裏であれこれやってるわけだが。内心のたくらみを微塵も感じさせない涼しげな様子で、極はプラスチックの爪楊枝を手に取ると、唐揚げに刺して口に運んだ。

「だったら僕が代わりに戦いますよ」

 ぴたりと。口内まであと少しというところで、極は唐揚げを持った手を止める。

 発言者である瑛は立ち上がると、腕を組んでにやりと笑った。

「極先輩が勝ったんだったら、僕に勝てないわけがない。結翔先輩が出るまでもなく、僕が藍葉蹄人の根性を叩きなおしてやりますよ」

「……へぇ」

 まったく、前はもうちょっと可愛げがあったものだが、随分と生意気になってしまったようだ。唐揚げの刺さった爪楊枝をくるくると回しながら、極は起立したテツを上目遣いに見上げる。

「言っとくけど、蹄人くんは強いからね。僕が勝てたのも、幸運があってこそだから」

「なるほど。つまり幸運がなければ、先輩は負けていたってことですね」

 挑発と共に、飛び交う火花。せっかくの祝勝会の空気を悪くしてしまい、申し訳ない気持ちもあるのだが。こればかりは譲れないため、仕方がない。

「……まあ、いいですよ。この際先輩がどんな手を使って、藍葉蹄人に勝ったかなんて」

 ほとんど睨みつける極に、瑛はフンと鼻を鳴らした。

「それに何より。『彼女』も藍葉蹄人との再戦を望んでいると思いますから」

 腕組みを解くと、瑛は背後に立つ、己の人形へと視線を向ける。

「ね、ミルキーウェイ」

 そこに立っていたのは、虹色の髪と瞳をした、美しくも馴染み深い人形。

 かつて藍葉蹄人と共に極と99を破り、その藍葉蹄人を見捨てた人形。

 ミルキーウェイは頷くこともなければ、否定することもなく。ただ何とも言えない表情を、パートナーの瑛に対して向けた。

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