第1+3*2話!

「ねぇ相川さん?」

「なんでしょうか?」

「……どう切り出せばいいかな」

 私は我が家の墓の、ちょうど遺骨が納められているだろう場所を見つめながら、相川さんにそのように話しかけた。至って普通だと感じられるような声音を作って。実際にはちっとも普通ではなく、私の心には様々な感情が湧き出していた。まず疑問があった。それが転じて疑惑となった。しかし相川さんを疑うということはいくらか後ろめたいものだった。それでも、相川さんとこれからも仲良くするためには、この話題は避けられない必要なものなのだという覚悟があった。それらの感情を必死に抑えて、私は自身がまだ冷静でいられていると自己暗示をかける。それは演劇部での芝居と似ていた。

「何か言いにくいことでもあるんですか? あまり気を使わずに言ってしまって構いませんよ?」

 相川さんは私に、気楽そうな声音で尋ねる。相川さん、君はいま何を考えているんだい?

 風が吹いた。その風は、私と相川さんを中心に取り囲むかのように、そのときの私には感じられた。私はその風が止む前に、相川さんへ切り出すことにした。でなければ私は、いつまでもいつまでもタイミングを伺って切り出せないだろうと思われた。

 私は振り返り、相川さんの目をまっすぐに見て問いかけた。

「そう。じゃあ言うよ。……あの夏の日、君はどうして死のうとしていた私を止めたの? ……いいや、止めようとはしていないね。結局あのときの君は、止めることも止めないこともせず、ただ何も知らないフリを、何もわからないフリをしていた。どうせ私が何をしでかそうとしていたかなんて、想像がついていたんだろう? どうしてそんな中途半端な行動を取ったの? そしていま、君はどうしてそれを覚えていないふりをしてくれているの?」

 風が止んだ。この世界から、私の拍動以外の音がすべて消えたように錯覚した。

 夏休み終盤のあの日、私はこの命を捨てるために近所の神社の森へと向かった。けれどそこで相川さんと出会い、私はやめた。そのとき、相川さんは私の自殺を止めようとせず、けれど止めないこともしなかった。「……ふふっ。よくわかりませんが、いまのあなたの笑顔はとても素敵です」。相川さんは言った。なぜわからないフリをしたのか。

 夏休みが明けてから半月が経過した頃、私は別の高校へと転校した。転校した先にはあの相川さんがいて、けれど相川さんは私と初対面なフリをしていた。なぜそんな演技をしたのか。

「私は今頃、このお墓の中で黙っていることになっていた。でもあの森で君と出会ったから、そうはならなかった。君と学校で再開したとき、私は確かに結ばれた運命を感じた。……君はあの夏の日のことを私に聞いてこない。それは優しさかい? それとも——」

 相川さんは少したじろぐ。少し言葉がキツかっただろうかと私は省みた。がしかし、相川さんは私にこんなことを言ってきた。

「……あなたはなぜ、あの夏の日の出来事を知っているのですか?」

「どういうこと?」

 私は眉をひそめて首を傾げる。相川さんはそんな私に……いいや、自身に言い聞かせるように、続ける。

「私とあなたは、あの夏の日、出会っていなかったはずです。この世界においては。……もしかしてあなたは、別の世界の私を知っているのですか?」

 相川さんの言うそれがどういうことなのか、私には何もわからなかった。

「別の世界? なんのこと? 私はただ、一ヶ月くらい前のことを話してるだけだよ?」

 相川さんと再開したのが半月前で、初めて会ったのはそのさらに半月前の、いまから一ヶ月前の出来事になる。別の世界とはなんなのか。

 何もわからない私の様子を見て、相川さんは言う。

「一ヶ月……。私は何か、致命的な勘違いをしてしまっていたようです」

 勘違いとはなんなのか。ふらつく相川さんは見るからに異常で、私は心配になって近付き、手を取る。

「大丈夫? 顔色悪いよ?」

 相川さんは力無く笑って言った。

「ふふっ。私はそろそろ、次の世界へ行かなければならないのかもしれません。……あなたと出会わなかった世界へ。出会おうとしなかった世界へ」

 そしてその瞬間、こちらを見る相川さんの目から光が消えた。ぞっとして相川さんを抱き寄せる。相川さんの体はいともたやすく私の方へと倒れてきて、私はその重みに驚く。相川さんの体は歳のわりには小さい。それでもとても重かった。

「……相川、さん? 大丈夫?」

 私は私の胸の中でうんともすんとも言わなくなった相川さんに恐る恐る声をかける。一瞬、最悪の事態が頭をよぎった。けれど相川さんはすぐに気がついたようで、頭を上げて私の顔を見上げた。その目の焦点は合っていなかったが、私が誰かはきちんとわかったようで、

「なるせさん?」

 と言った。私は心の底から安堵して、できる限りの優しさを込めた微笑みを作る。

「大丈夫? ごめん、いきなり変なことを聞いちゃって。別に君を責めようとか、そういうのじゃないんだ」

 相川さんは私の顔に、その目の焦点を合わせた。途端、相川さんは震え出す。まるで恐ろしいものでも見たかのように、顔を青くして。

「……なさい」

「え? なんて?」

 聞き取れなかったその言葉を尋ねる。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 相川さんは私に謝っていた。なぜ? どうして? 私が相川さんに謝られる理由はないはず。むしろいきなり答えにくいような質問をなかなかにキツい口調で尋ねた私に非があるはず。

 相川さんは念仏のように謝りながら、目から大粒の涙を流しながら、後ずさりで私から距離を取り始める。

「ちょっと落ち着いて、私は別に怒ってはいないから……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 相川さんの耳に私の声は届いていないようだった。相川さんは私の手が届かないような距離まで離れると、後ろを向いて駆け出した。後に残されたのは私一人……と、相川さんが落としたらしき紙の束だった。

「ちょっと! 何か落としたよ!?」

 相川さんのとても小さな背中に叫ぶ。けれどもうすでに遅かったようで、相川さんはそのまま道を曲がって行ってしまった。


 行ってしまった。何もわからない私には、ただただ呆然と突っ立っていることしかできなかった。

 別の世界での出来事とはどういう意味だ? 別の世界とはなんだ? 私と相川さんがあの森で会ったのは間違いなくこの世界でのことで、そして私はこの世界以外のことは知らないし、存在を信じてもいない。そんなオカルト染みた話があるわけがないと思っているし、相川さんもそういう話を信じるようなタイプではないと思っていた。相川さんはこの世界以外の世界があることを、そしてその世界がどういう世界なのかを知っているとでもいうのか?

 勘違いとはなんだ? 話の流れからして相川さんは、この世界を「私と出会わなかった世界」と勘違いしているようだった。そんな世界が存在するとでもいうのか?

 次の世界とはなんだ? 私と出会わなかった世界、出会おうとしなかった世界へ行くとはどういう意味だ? 相川さんはいくつかの世界を移動していて、この世界はそのいくつかの世界の中の一つだとでもいうのか?

 相川さんの様子があの一瞬で豹変したのはなぜだ? 結局、次の世界へ行くと言っておきながら相川さんはずっとこの世界に存在していたじゃないか。相川さんの様子が豹変したのは、相川さんの心と呼べるような何かが別の世界へと行ってしまったとでもいうのか?

 信じるとか信じないとか、信じられるとか信じられないとか、そういう次元ではなかった。何が起きたのか、何を言っていたのか、一つとして理解できなかった。相川さん、君は一体何者なんだい?


 私は相川さんを追いかけるべきだったのだろうか。しかし追い付いたとしても、どんな言葉をかければいいのか私にはわからない。相川さんは間違いなく、私を恐れていた。私を恐れ、私に謝り、そして私から遠くへ行ってしまった。私を拒絶したのだ。

 私はただ相川さんとの仲をより深めるために、いつかその障壁となるだろう私の自殺未遂に関して話すべきかと思っただけだった。相川さんに救われたと、こうして一緒に生きられてよかったと伝えたかっただけだった。そして、あの日に森で拾った、相川さんのものと思われる小説「君に恋する夏の海」を返したいだけだった。

 ……私が何かいけないことをしてしまったのだろうか。この私が、相川さんにとっていけないような何かをしでかしてしまったのだろうか。


 しばらくすると私は落ち着いた。けれど落ち着きなんてものを取り戻したところで、相川さんが戻ってきてくれるわけでも、相川さんの話を理解できるわけでもなかった。何もわからなかった。何も。

 風が吹いた。その風は私を中心に取り囲むかのように、そのときの私には感じられた。その不自然な流れの風は、ここが墓場という入り組んだ場所だから生まれたのだろうか。気味が悪かった。

 私は帰ることにした。独りで、自宅へ。しばらく前の私は、相川さんという大事な友人を家に招くことができるのをとても嬉しく感じていたというのに、いまの私は、何もかもが億劫で憂鬱で、心の中で帰ろうと決めたというのになかなか歩き出せずにいた。次にまた風が吹いたら、そのときに歩き出そうと決めた。


 風が吹いた。相変わらず気味の悪い流れをした風だったが、決めたものは仕方がないと私は渋々歩き始めた。しかし私はまたすぐに歩みを止めた。バインダーでまとめられたルーズリーフが、風を受けて私の足にまとわりついていたのだ。それは相川さんが行ってしまう直前に見つけたもので、相川さんの落とし物だと思われた。私はそれを急いで拾って胸に抱えた。相川さんが私に残してくれたもの、というふうに感じられた。泣きそうだった。

 しばらくしてまたいくらか落ち着いた私は、抱えていたそのルーズリーフの束を見た。表紙には女の子らしい丸い字で、このように書かれていた。「切り替わる三つの世界と、この私。彼女を求め、次の世界へ」。



 あの日からどれだけの時間が経過しただろうか。十月に入ると一気に秋めいて、十一月を前にしたいまはもう、日によっては冬と言ってしまっても差し支えないほどには冷えていた。この間、相川さんは一度も学校へ来なかった。もしかしたら保健室登校をしていたかもしれないが、少なくとも教室へ来ることはなく、私と会う機会はなかった。

 私は相川さんの落とし物を読んだ。勝手に読むのは少し心の痛むものだったが、そこに、私の求める解があるような気がしたのだ。そして、あった。そのノンフィクション小説形式の備忘録には、あの夏の日から相川さんが経験したことが詳細に書かれていた。私のこと、切り替わる三つの世界のこと、こことは異なる世界の私のこと。それらが、読んだだけの私も心を痛めるほど詳細に書かれていたのだ。

 別の世界とは言葉通り別の世界のことで、パラレルワールドが一番近い概念であると考えられた。私がこうしている世界と、私があの夏の日に自殺した世界と、私があの夏の日に自殺しようともしなかった世界。その三つのパラレルワールドを、相川さんは順番に移動しているようだった。移動の引き金となるのは、パラレルワールドの存在について言及したときなど。そしてその移動は、私を含めた相川さん以外の存在には知覚できないものであるようだった。

 それを信じるとするなら、あのとき墓では、相川さんと私が「別の世界」について言及したために相川さんは私が知覚できないうちに他の世界を巡り、またこの世界へと戻ってきた、ということが起きていたとなる。信じられないようなことだが、信じた方が都合がよかった。相川さんの様子が一瞬で豹変したあの出来事に、「他の世界で何かがあったから」という推測ができるからだ。

 ではその「何か」とはなんなのか。この備忘録にはそこまでは書かれていなかった。そもそもこの備忘録はなんなのか。ここからは相川さんも知らないことで、完全な私の推測になるが……この備忘録もまた、「君に恋する夏の海」同様、世界の切り替わりで継承されたものだと考えられた。相川さんの目から光が消えた瞬間、相川さんは私が死んだ世界へ移動し、その後私が死のうとしなかった世界へ移動し、この備忘録をその時点まで書き上げ、「何か」が起き、この世界へと備忘録と共にやってきた。そのように考えられた。

 私にできることはなんだろうか。世界の切り替わりを知覚できない私にできることは少ないだろうが、決してないわけではない。この不可解について考えること、感じ考えたことを相川さんに伝えること、そして相川さんに寄り添い、力になること。そのために私にできることはなんだろうか。

 そして私は書き始めた。私が感じ考えたことを、相川さんがしたように言葉にした。……そう、いままさに君が読んでいるこれのことだ、なんてね。


 私は相川さんに会う必要があった。渡さなければならない物も思いもたくさんあった。まず、短編小説「君に恋する夏の海」。あの夏の日の帰り際に森で拾ったこれはやはり、相川さんの書いたものだった。次に、ノンフィクション小説風備忘録「切り替わる三つの世界と、この私。彼女を求め、次の世界へ」。この備忘録のおかげで、私は相川さんをある程度理解することができた。しかしまだ、いま相川さんを苦しめる「何か」がなんなのかは理解できていない。それを理解するためにはまず、相川さんとの関係を修復して教えてもらう必要がある。だから私は「これ」も渡さなければならない。私が書いたこれを渡して、私が感じたことを、考えたことを、いま相川さんへ抱いているこの感情を、伝えなければならない。……本当は、いますぐ相川さんを抱き締めたかった。


 そんなある日の放課後のことだった。担任の先生に呼び出され職員室へ向かった私は先生から、どれも見た覚えのある数十枚のプリントと地図を受け取った。……もうわかるね? これを書いている私はいまから君の家へ向かって、プリントと一緒にこれらを渡そうと思う。どうか、ここから先はもう一度、君の手で綴ってもらえたらと思う。それでは。

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