第4章
第1話
わたしは文章を書くことに慣れていない。兄さんとは違う。それが悔やまれた。思うように書けなかった。
いまから一ヶ月ほど前のある月曜日、わたしはサイバーダンスへクラッキングをしかけた。それはとてもうまくいった。システムに侵入できた。シミュレータは起動した。兄さんは仮想世界へ接続できたようだった。けれど、最後の最後で何かが起きて、兄さんは眠ってしまった。兄さんの最後の言葉は、「君に恋する夏の海」へ追記された「バックアップを取れ」だった。最後まで、兄さんは人工知能のためを思っていた。その願いを成し遂げたわたし。兄さんは褒めてくれるだろうか。兄さんは眠り続けている。
香坂という人から連絡はない。あっちもあっちで大変なのだろう。けれどこっちもこっちでなかなかに大変だ。いまはお互い、連絡を取り合えるような感じじゃあない。そう思うことにした。そう思っておくことにした。
あの日、兄さんの身には一体何が起きたのだろう。なぜ兄さんは目を覚まさないのだろう。自作ハブワールドは正常に兄さんを仮想世界から切断した。シミュレータは正常に終了した。バックアップは無事に取り切れた。クラッキングは成功だった。ただ兄さんだけが、目覚めない。わたしが何か、気付いていないだけでとんでもないミスを犯してしまったのだろうか。怖くて仕方がない。
考えないといけない。けれどまったく頭が回らない。わたしはどうすればいいのだろう。わたしには何ができるだろう。
そしてわたしは、これを書き始めた。これはもしかすると遺書になるかもしれない。少なくともいまのわたしは、遺書だと思って書いている。少なくともいまのわたしは、わたしがこれから先も生きていくなんてことはできないと思っている。けれど兄さんを残して先に死ぬなんてこともできない。きっとこれは、長い長い遺書になることだろう。誰に宛てたわけでもない、ただただ私が救われた気になるためだけの遺書。
日が沈み、夕方が終わり夜と呼べる時間帯になった。兄さんが眠り始めてしまったあの日から私の睡眠リズムは後退し続けて、いまでは夜に眠り明け方に起きるようになっていた。規則正しい生活を心掛けろと口を酸っぱくして言ってきていた兄さん。その兄さんがいなくなってから、段々と普通になっていくかのようなわたし。それがなんだかイヤだった。まるで、兄さんなしに生活できるようになっていっているみたいで。そういえば今日は自炊をした。吐き気がしてきた。
わたしはどうすればいいのだろう。
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