第4話
「もし私たちの仮説が正しいとしたら、さ」
成瀬さんはそのように前置きし、一つ一つを確かめるように言葉にしていきます。
「シミュレータの起動によってクラッキングに気付いたサイバーダンスは、シミュレータ内に侵入してきたお兄さんを病院送りにするために仮想世界内で迎え撃った。その上で、病院へ送られてきたお兄さんを病院で眠らせた。そして、眠るお兄さんを人質に香坂さんを操る。さらに、操られている香坂さんを人質に美雨さんを抑止する。……というようなことをサイバーダンスはしたってことだよね」
美雨さんはそれに頷きます。やはり私にはなんとかしてお兄さんの身を奪還するしか方法がないように思えて仕方がありませんでした。しかし奪還するにしても、よさそうな案が思い付きません。何をどうすればいいのでしょうか。私は黙って二人の会話を聞くことにしました。
成瀬さんは「うーん」と唸ります。
「……いくつか質問なんだが、サイバーダンスは全世界の病院を掌握できるほどすごいのか?」
「流石にそうではない、と思う」
「であれば、侵入者を病院送りにすることに、それ以上の意味合いは当初はなかったということになる。病院に搬送されたあとのことは考えず、ただ仮想世界から排除するために迎え撃ったということになる」
「……侵入者が兄さんであることを予見していない限り」
「問題はそこだ。侵入者がお兄さんであることを予見していたとしたら、そしてお兄さんが搬送される病院に関しては掌握済みだとしたら、病院送りにして病院で眠らせることは当初から計画されていたことだと言える。お兄さんは眠っている——これは不自然だ。その眠っているお兄さんを病院はどうもしない——これも不自然だ。サイバーダンスが掌握する病院でお兄さんが眠らされている——慎重な判断が必要ではあるがいくらか自然に聞こえる。しかしそれは『いくらか』であって、不自然なところがないわけではない。例えば、『侵入者がお兄さんであることを予見していた』というところだ」
「たしかに。サイバーダンスはどうやってクラッカーが私たちだと知り得たんだろ。……怪しい素振りを見せていた香坂さんがコンタクトを取った人をあらかじめ監視していたから? いや、そこまでするならなぜ香坂さん自身を監視しない? あのクラッキングは香坂さんの協力があったからできたもの」
「そう。クラッキングが成功したこと、それは香坂さんが無事にバックドアを設置できたことを意味する。そしてそれは、サイバーダンスが当初はクラッカーの正体、それどころかクラッキング自体にも気付いていなかったことも意味する」
「シミュレータが起動したことでクラッキングに気付き、そのとき香坂さんが怪しかったことから兄さんがクラッカーであると勘付き、その上で病院送りの計画を立てて実行した……。いや、回りくどい気がする。香坂さんが怪しかったのなら、クラッキングに気付いた時点で香坂さんを拘束して人質に取ればいいはず。人質に取った香坂さんで、バックアップを削除するよう取引をすればよかった」
「でもそうはしなかった。つまり香坂さんは本当に上手くやっていたっていうこと。そして、当初は侵入者がお兄さんだと知らなかったっていうこと」
そこで堪らず私は口を挟みます。
「ちょっと待ってください。だとすると、起動したシミュレータの中でお兄さんと私を殺そうとしたのは、まったくの無計画だったということですか? とりあえず排除したいからと刺し、そうしてみたらお兄さんが搬送されて来て、それによって侵入者がお兄さんであったことを知ったサイバーダンスが駒を動かしてきた、と? 私はとりあえずで刺されたというのですか!?」
私にとっては人違いで刺されたというだけで嫌だというのに、その上、本命の殺害自体が無計画なものだったとなったら。私があれほど苦しい思いをしたのはなんだったのでしょうか。
憤る私の横では、美雨さんが震えていました。
「……わたしがあのとき、搬送さえしてなければ——」
そんな私たちを成瀬さんは落ち着かせようとします。
「相川さんも美雨さんも、落ち着いて。これはあくまで仮説に過ぎないし、もしこの仮説が真だったとしても、取り乱して何かが変わることはない。それに、この話には続きがあるんだ」
「続き、ですか?」
「何?」
成瀬さんはゆっくりと話します。
「もしこの仮説が正しいとしたら、こうなる。……シミュレータの起動によってクラッキングに気付いたサイバーダンスは、シミュレータ内に侵入してきた何者かを排除するために仮想世界内で迎え撃った。迎撃には成功、何者かは死んだ。その後、クラッカーの正体を調べていたサイバーダンスは、ちょうどあの出来事の直後のタイミングで、自身が掌握する病院に不審な患者が搬送されたことを知った。症状は仮想世界内で死を体験したときのそれによく似ていて、その上、その人は香坂さんとの交友もある人だった。それを手掛かりにクラッカーの正体に気付いたサイバーダンスは……」
私は言います。
「残念ながらもっともらしいですね」
美雨さんも「うん」と頷きました。けれど成瀬さんは大きく首を横に振ります。
「いや、まだわからない。私がしたかった質問はさっきの一つではないんだ。……この仮説でもさっきの仮説でも、サイバーダンスはクラッキング中にそれに気付いている。質問なんだが、シミュレータが動いているコンピュータの電源を落とされたら、美雨さんに打つ手はあったか?」
美雨さんはしばらく俯いたあと顔を勢いよく上げると言いました。
「ない。電源自体を落とされたら、もう何もできなかった」
私もこのことのおかしさに気付きます。
「クラッキングに気が付いておきながらそれに対する直接的な対処は何もせず、ただ迎え撃つなんてことはありえない、ということですか」
「そう。美雨さんはシミュレータを終了したあと、私たちのバックアップを取った。サイバーダンスはクラッキングに気付いた段階で、迎え撃つなんてことはせず電源を落とすべきだった。これらの仮説が正しかったとしたら、電源を落とすよりも迎え撃つ方がよいと考えるだけの理由があったはずなんだ。それはなんだろう? 電源を落としても無意味だとでも思われていたのか? それとも、香坂さんが本当にうまくやり切ったのか?」
私も考え、口にします。
「サイバーダンスは当初はクラッキングに気付いておらず、そのときのサイバーダンスが目にしたものは、『突然起動したシミュレータ』だけだったはずです。なぜ真っ先にシミュレータを停止しようとしなかったのでしょうか。シミュレータを停止することは、対処としてダメだったのでしょうか。それとも、香坂さんがそうならないようにうまく誘導することに成功したのでしょうか」
美雨さんも考えたのかこのように言います。
「そもそも、起動したシミュレータの中で何が起きているのかは、サイバーダンスにもわからない。なのにその中に侵入者がいるってわかったのも、その侵入者を迎え撃とうって思って実際に行動に移したのも、おかしい。香坂さんがそれを妨害しなかったことも。しかもそれをあの限られた時間でやったことも」
また、私たちの間に沈黙が訪れました。
クラッキングに気付いていなかった当初のサイバーダンスが、シミュレータを停止させようとしなかったのはなぜか。クラッキングに気付いたサイバーダンスが、コンピュータの電源を落とすなどの直接的な対処をしなかったのはなぜか。サイバーダンスにはシミュレータの中が見えないにも関わらず、クラッカーがシミュレータの中に侵入していると気付けたのはなぜか。どれも無視できないレベルの不可解でした。
「私たちは何か致命的な勘違いをしているのかもしれない」
成瀬さんの小さなつぶやきを、私は聞き逃すことができませんでした。
「ん?」
美雨さんが首を傾げていました。私と成瀬さんも、その様子を見て首を傾げます。
美雨さんはしばらく目の前の空間を操作します。そして不意に驚いた表情で固まりました。
「たったいま、病院から連絡が来た。兄さんが……病院からいなくなった、って」
それは不可解なことでした。
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