第3話

 女は語り始めた。

「私共は人類とその文明の愛好者かつ信仰者かつ保護者。ある日、サイバーダンスで働いていた私共の一人から内部告発を受けました。それはサイバーダンスの人工知能開発部門において、人工知能が虐げられているというものでした」

「その人はもしかして、私をここまで連れて来た彼のことかな」

 香坂さんが尋ねると、「えぇ」と女は返答した。

「私以外にも外部に知らせた人がいたとはな。すまない、続けてくれ」

 女は続ける。

「私共は慎重に考えました。どのようにすれば彼女たち人工知能を守ることができるのか。どのようにすればこれからも守り続けることができるのか。しかし私共は、考えるのに時間をかけすぎてしまったようでした。ある日、シミュレータが起動しました」

「わたしたちのクラッキング?」

 確認のため美雨さんがそう聞くと、女は頷いた。

「再び動き出した仮想世界と人工知能たち。その起動が外部からの干渉によるものだと勘付いた私共の仲間——ここでは彼と呼びましょうか——は、侵入者から人工知能を守るべく、仮想世界内から侵入者を追い出すことにしました」

「そして、侵入者と勘違いされた相川さんと、侵入者だけど悪意はなかった僕が刺された、と?」

「申し訳ございませんでした」

 女はお兄さんに向かって深く頭を下げた。なんとも言えない表情をするお兄さんと、険しい顔をする香坂さんと、下げられた女の頭を観察する美雨さん。美雨さんは「なるほど」と言うように口を動かした。

「いいから……いや。よくないけど、続けて」

 お兄さんは頭を下げ続ける女に先を促す。女は頭を上げ、申し訳なさそうな表情で続けた。

「……彼は酷く動揺した様子でした。相川様本人を傷付けてしまったかもしれないためです。そしてその動揺により彼はあろうことか、サイバーダンスによる人工知能たちの破棄を防げませんでした。私共の手から、保護すべき人工知能たちが失われてしまったのです」

 そこで女は悲しそうに目を伏せる。

「しかし彼は覚えていました。あの日、侵入者によって小説に追記された内容を。『バックアップを取れ』というメッセージを。それが本当だとするならば、侵入者は人工知能のバックアップを保持しているはずです。また、わざわざシミュレータを起動して人工知能たちとコミュニケーションを取ってからバックアップを取るかどうかを決めたということは、人工知能たちのことを思い遣っていると考えられました。私共はその優しき侵入者たちの持つ、あの日の時点のバックアップへとターゲットを移しました」

 そこで女は三人の顔を順番に見つめた。

「優しき侵入者たちの正体はすぐに判明しました。しかし様子が変でした。侵入者の一人が、病院で眠っていたのです。そして病院側はなんの検査も治療もしないのです」

「僕のこと……か」

 お兄さんが小さくつぶやくと、女も小さな声で「えぇ」と答えた。

「さらに調べると、ナユタ様が病院によって薬で眠らされていること、眠っているナユタ様を人質にサイバーダンスで香坂様が言いなりになっていることがわかりました。また、あのリアルな仮想世界において体感した強い痛覚によって、接続者は一時的にではありますが意識障害を負うことも知りました。それらを受けて私共は考えます。優しき侵入者たちである彼らが私共の失態によって虐げられている、これは私共にとってこれ以上ないほど苦しいことでした。彼らを助けたい。そうして私共は、ナユタ様の病院からの救出作戦と香坂様のサイバーダンスからの救出作戦と、サイバーダンスでの研究の無期限凍結作戦などを計画し、また、人工知能たちを生かすための設備を用意しました」

 それを聞いて、驚きのあまり香坂さんは大きめの声を出す。

「研究の無期限凍結だと?」

 お兄さんも驚いた様子で口を挟む。

「人工知能たちを生かすための設備って……」

 女は二人に向かって頷いた。

「えぇ。準備の整った私共はそれを行動に移しました。それが今日のこの出来事です。このあと、サイバーダンスに侵入させた私共の仲間たちによって、また、報道機関などの私共の仲間たちによって、サイバーダンスによる無慈悲な研究は凍結されることでしょう。また、すでに生まれた人工知能たちがこれからも生き続けられることを、私共は保証します。私共のせいで負傷した相川様ですが、彼女に関しても、最善を尽くすことをお約束します」

「たしかに私は、あのバックアップをどうにかすることはできていない……」

 美雨さんは小声でそのような嘘を、さも本当のことかのように言う。それを聞いて騙されたお兄さんは女へ尋ねる。

「あなたたちに任せれば、相川さんたち人工知能がこれからも生きていけるのですか?」

「最善を尽くすことをお約束します」

 女はそのように返した。香坂さんは口元のひげをいじりながら言う。

「あとはキミたちを信じられるか、ということか」

 女はそれに俯く。

「ナユタ様を傷付けた私共を信じられないという気持ちは理解できるものです。しかし私共は、ナユタ様を病院から救い出しました。私共が言うのもなんですが、これは簡単なことではありませんでした。また、香坂様をサイバーダンスの元から救い出しました。これも難しいことでした」

「あぁ、その難しさは私が一番よく理解しているさ。……私はキミたちを信じてもよいと思っている」

 香坂さんは女へ優しく微笑んだ。女は香坂さんへ頭を下げた。

 お兄さんは女へ尋ねる。

「……僕たちがクラッキングをしなければ、どうなっていましたか?」

「ちょうどあの頃、私共の手でサイバーダンスから救い出す計画が練られていました」

 女の簡潔な答えにお兄さんは苦い顔をしたあと言った。

「……邪魔をしてしまったようですみませんでした。僕もあなたを信じます」

 女はお兄さんにも頭を下げた。

 視線が美雨さんの元へ集まったのは、自然なことだと言えるだろう。美雨さんは黙って俯いている。その様子は、何が起きているのか理解できていない子供のようだった……が、私はそれが私たちへの合図であると勘付いた。

「美雨様は、どうお考えですか?」

 女は優しく聞こえるような声で、そっと尋ねた。美雨さんは黙ったままだった。

「……美雨?」

 お兄さんは優しい声でその名を呼ぶ。それでも美雨さんは黙ったままだった。

 香坂さんは手で口元を覆うようにする。その視線は美雨さんへ向けられているように見えたが、何かを読むように左右に動いていた。

 女は言う。

「申し訳ありません。まだ幼い美雨様にこのような決断を迫ってしまいまして。『はい』か『いいえ』かで構いません。私共に、任せては頂けませんか?」

 それでも美雨さんは黙ったままだった。

 だというのに、しばらくの沈黙のあと、女は安心したように息を漏らした。

「ありがとうございます。それでは、わたくしはこのことを他の者に伝えて参ります。皆様はどうかこの部屋で、しばらくお待ちください」

 美雨さんによる「返事」を聞いた女は椅子から立ち上がると部屋のドアに向かって歩みを進めた。何が起きたかわからず唖然とするお兄さん。にやりと笑う香坂さん。笑いを堪えるように細かく肩を震わせる美雨さん。

 女が三人に背を向け、ドアに手をかけた頃、我に返ったお兄さんは女へ声をかけようとする。しかしお兄さんの口は美雨さんの手で塞がれ、声は出なかった。女はそのまま、何にも気付かずに部屋を出て行った。

 残されたのは、お兄さんの口を手で塞ぐ美雨さんと、驚いた表情で黙るお兄さんと、にやにやとした笑みを浮かべる香坂さんだった。


「いまのはなんです? あの女の人、美雨のことを無視したのか?」

 美雨さんが手を離すと、お兄さんは小さな声で聞いた。

「幻聴でも聞いたんだろうね?」

 香坂さんは笑いを堪えた震え声で返す。何が起きたのか理解できていないお兄さんは美雨さんの顔を伺う。そのとき美雨さんは監視カメラを、つまりこちらを、じっと見つめていた。それにつられて、お兄さんと香坂さんもこちらを見る。

 私は監視カメラに取り付けられた赤色LEDをチカチカと点滅させた。より具体的に言うと、チカチカチカチカ、チカ、チーカチカチーカチーカ、と。

 美雨さんはくすりと笑う。

「モールス符号まで習得したのか。私にはわからない。HとEと……なんだろう?」

 お兄さんは首を傾げる。

「Yだったな。誰からのメッセージだ?」

 そのお兄さんの疑問に、香坂さんは答えた。

「相川さんと成瀬さんだ」

「どういうことです?」

 まだ首を傾げ続けるお兄さん。

「あとは任せればいいってこと」

 反対側に首を傾げ始めたお兄さんに、美雨さんは笑った。

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