第3+3*2話B
残念なことに暇な放課後、私は教室の自分の席で、このノンフィクション小説のような形式の備忘録を書いて時間を潰していました。「切り替わる三つの世界と、この私。彼女を求め、次の世界へ」。私は一枚目のルーズリーフにタイトルとしてそのように書きました。そしてすべてのルーズリーフをバインダーでまとめ、机の上に置き、トイレに行くために離席しました。
私のすべきことはなんでしょうか。あの夏の日から三つに分岐してしまった世界において、私はどうやって生きていけばいいのでしょうか。
成瀬さんと共に完璧な日常を謳歌していたあの世界。勘違いをしていましたがあの世界は、死のうと森へ向かった成瀬さんが私と出会った世界の続きでした。その勘違いから私は成瀬さんの前で、三つの世界の不可解について口にしてしまいました。成瀬さんにどう説明すればいいのでしょうか。しかもその「説明」は口ではできません。どのようにして、成瀬さんに理解してもらえばいいのでしょうか。そもそも成瀬さんを巻き込むのはどうなのでしょうか。この不可解は私にしか認識できません。私が抱えるべき問題なのです。私しか抱えられない問題なのです。
成瀬さんが死に、私も死のうとしたあの世界。あの世界に未来はあるでしょうか。成瀬さんがいないのに生きている意味は、死のうとした私が戻れる場所は、あるのでしょうか。とはいえ状況が状況なため、命を捨てるような真似はしないでおくべきです。もし仮にあの世界で私が死んだとしたら、別の世界の私はどうなるのでしょうか。気にはなりますが、ただそれだけのために死ぬのは得策ではありません。「もういっそのこと死んでしまいたい」という感情を、理性でもって押さえ込むのです。
人気のない放課後の廊下を歩き教室へ戻った私は、教室内の様子を見て驚き、扉のところで立ちすくみました。成瀬さんが私の席のところに立っていました。それだけであればどうということはありません。成瀬さんの席は私の席の一つ後ろですから。しかし成瀬さんはバインダーでまとめられた紙らしきものを持っていて、それに視線を落としていました。そして、私の机の上にあったはずの備忘録はなくなっていました。成瀬さんに備忘録を読まれてしまいました。
この世界の成瀬さんはそれを読んで何を感じるでしょうか。この備忘録は一見すると物語のようです。「あぁ自作小説か」と思われるだけで済んでしまえば楽ですが、これがノンフィクションであること、不可解な三つの世界を元にしていることがバレてしまったら問題です。私が離席していた短時間にすべてを読んで理解できているわけがありません。もしこの不可解を口に出されでもしたら、中途半端な状態で世界が切り替わることになります。私はまだ次の世界でする成瀬さんへの説明を考えていませんし、この世界の切り替わりの法則もまだまだ謎に包まれていて、考えなければならないことであふれています。このタイミングで世界が切り替わってしまうことは都合の悪いものでした。
そのように考えていたら、成瀬さんは扉のところで立ちすくむ私に気付いたようで視線を上げます。その目が私を捉えた瞬間、成瀬さんは険しい表情をしました。嫌な予感が的中してしまったようでした。
「君、これはどういうこと?」
「どう、とは、どういう意味でしょうか」
「これって、君が書いたの?」
「……読んだのですね」
表情と同じ様に刺々しい成瀬さんの声に、私は純粋に困惑したかのように聞こえるであろう声音で返しました。どうにかしてその備忘録を、完全なフィクションとして誤魔化さなければなりません。
「答えて。これって君が書いたの? ……まぁ君が書いたんだろうね。鞄の中のノートも見させてもらったけど、筆跡がまったく同じだったよ」
どうやらこの世界の成瀬さんは相当手癖が悪いようでした。いくら私の好きな人と同じ見た目をしているからといって、このようなことをされると気分が悪くなります。私は少しキツめな口調で返します。
「それで、私が書いたとしてなんなのですか?」
「私の名前が出てきていた」
「……そうですね」
この備忘録において成瀬さんの名前が出てくるのは、相当後になってからです。ということはつまり成瀬さんは、これをパラパラとめくるようにして斜め読みしていたときに偶然、自身の名前を見つけた……といったところでしょうか。
先程の予感とは別の、けれど同じくらい嫌な予感がしました。この世界の成瀬さんは、自身の名前の登場するそれを軽く読んで何を感じるでしょうか。
「まだすべては読めていないが、夏休みが明けて一週間が経過した頃に私が転校生としてやってきて、君と、仲良くしていた」
「……そうですね」
肯定するしかありませんでした。たしかにそれには、成瀬さんと私が仲良くしている描写があります。……この世界の成瀬さんは、私という親しくない人によって書かれた、作者自身と自分が仲良くしている小説を読んで、何を感じるでしょうか。想像に難くありません。心臓の拍動が明らかに速まります。
成瀬さんは吐き捨てるように言いました。
「気味が悪い。大人しい子だと思っていたら、影でこういうことを妄想するようなタイプだったんだね」
「あなたの目にはそう映るかもしれませんが、誤解です」
否定するしかありませんでした。
「どういう誤解だって言うんだい? 私と同姓同名な登場人物が、君と同姓同名な登場人物と仲睦まじく過ごしている様子が書かれている。どういう誤解だって言うのか、読解力がないこの私にも教えてはもらえないかい? ……君は影で、私を使って気味の悪い妄想をしていた。違うか?」
初めてこの世界で見る成瀬さんの黒い目には怒気が込められていました。いままでの人生で他人から向けられたことのないような攻撃的な視線でした。心の底から私を侮蔑しているのが感じられました。私はその視線で、ぴくりとも動けなくなります。口の中が乾きます。
「……誤解です。きちんと読んでもらえれば——」
「この長ったらしい自作小説なんかを全部読めって言ってるのか? 馬鹿なのか君は。まぁ妄想癖があるくらいだし、馬鹿なんだろうね」
私の脳みそはこの絶望的状況を前に逃避を始めてしまったようで、何も考えることができませんでした。何も。ただただ頭が働かなくて、息苦しいのでした。
「なんとか言ってみたらどうなんだ? それともあれか? 私が、妄想していたような優しい人じゃなくて勝手にショックでも受けたのか? 哀れだな」
黙っている私に成瀬さんは追い討ちをかけるように言いました。
考えなければなりません。どうにかしてこの誤解を解かなければなりません。しかしどうやって? 膝がガクガクと震えます。成瀬さんの顔に両目の焦点を合わせようとしますがぼやけてしまいます。それはまるで私の心が、成瀬さんに焦点を合わせるのを拒んでいるかのようでした。
必死に頭を回転させた私は、お腹に力を入れて踏ん張って声を出します。
「あなたは前の学校では、演劇部に所属していたのではありませんか?」
「っ……いきなりなんだ? なぜ知っている?」
驚いた様子の成瀬さんは眉を曲げて言いました。
「あなたは毎日、家族のお墓に立ち寄っているのではありませんか?」
「君はまさかストーキングもしていたのか? 通報するぞ」
険しい顔で成瀬さんは言います。
「あなたは、理性と感情、どちらが上位でどちらが下位だと思いますか?」
何かを言おうと口を開けた成瀬さんは、その状態のまましばし固まります。そして口を閉じて考えたあと、落ち着いた、けれど不信感の込もったような声で聞いてきました。
「……君はただのストーカーではないらしいね。それは私が考えていた、けれどいままでずっと心から出していなかったものだ。君は何者だ?」
どうやらこの世界の成瀬さんにとっても、あの世界において成瀬さんが私に尋ねてきたその話は重要なようでした。結局、成瀬さんにとって理性と感情とはどういったものなのでしょうか。それを知っていれば、この世界の成瀬さんに何かしらのよい作用を及ぼすことができそうです。
しかしいまの私は知りません。いまの私にできる、この世界の成瀬さんの誤解を解く方法はなんでしょうか。
「いまから筆談をします。どうか口には出さないでください」
誤解を解く方法として私が考え付いたのは、もうすべてを明かしてしまう、というものでした。備忘録を斜め読みして誤解してしまったのなら、備忘録をすべて読ませることができないのなら、ここで簡潔にすべてを明かして正しく理解してもらうしかないように考えられました。
「は? どういう意味だ?」
成瀬さんは意味がわからないといった風にこちらを睨みます。私はその射るような視線を受けながら、一歩ずつ、私の席へと、成瀬さんの方へと進みました。そして鞄からペンと紙を取り出すと、
〈私は、この世界とは違うパラレルワールドのような世界で、あなたと会っています。そこでの出来事を綴ったものが、その物語です〉
と書きました。どう伝えればいいのかわからなかったため、できる限り簡潔に言葉にしたつもりでした。
しかし、
「やっぱり君は馬鹿なんだな。救いようがないほどの」
心底あきれたような声がして、私は紙から視線を上げます。そこには冷たい目をした成瀬さんがいました。
「そんな言い訳が通用するとでも思っているのか? 私も馬鹿にされたもんだね」
「違います! これは本当のことで——」
私は弁明しようとしますがそれを遮るように成瀬さんは吐き捨てます。
「それじゃあバイバイ、異世界人さん? それとも、主人公さんとでも呼んだ方がいいかな? 元の世界へ帰りなよ。君にとっての理想的な世界へ、ね」
成瀬さんのその声が教室に響きます。その瞬間、私は落ちていきました。体はそのままに心だけが、意識だけが倒れて落ちていきました。下へ。後ろへ。
「やめて……そんな……いや……」
……どこへ?
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