第2話

「楠木ナユタの他にも私と同じ姿をした人が……?」

 私が尋ねると、楠木美雨は頷いて話します。

「そうなんじゃないかとわたしは考えた。相川さんは階段のところで、『相川さんと同じ姿をした人』によって殺されそうになった。それとは別に成瀬さんは教室で、『相川さんと同じ姿をした人』が『相川さんと同じ姿をした人』によって殺されそうになっているところを目撃した。……どう?」

 たしかに、楠木美雨の言うことはおかしなことではありませんでした。成瀬さんが目撃した「私と同じ姿をした人」二人がどちらも私ではないということは、少なくとも追加でもう一人、「私と同じ姿をした人」がいたことを意味しますから。しかし安易に信じて、楠木美雨を信用するわけにはいきません。楠木美雨が、実際にいるかどうかもわからない何者かに罪を擦り付けようとしているのかもしれませんから。慎重になるべきです。

「少し考える時間をくれませんか」

 私がそう返すと、楠木美雨は「それもそっか」と言い、このように続けます。

「あなたたちには考える時間がなかったか」

「お前には考える時間があったような言い方だが」

 楠木美雨のその言い方に、成瀬さんは厳しい口調で聞きました。それは私も気になっていたことでした。私たちが機械の中で生きている人工知能だという楠木たちの主張が正しいとすれば、私たちにとっての時間の流れと楠木たちにとっての時間の流れは、単純には比較できないだろうと考えられます。私たちにとってこの世界への切り替わりは一瞬の出来事でしたが、楠木美雨にとっては違うかもしれないということです。考えることに使える時間の長さという点において、私たちと楠木たちには差が存在するかもしれないのです。楠木たちが長い時間を使って考えた嘘に、考える時間のない私たちが騙されてしまう、なんてことを起こしてはいけません。

 成瀬さんの問いを受けて、楠木美雨は答えます。

「楠木ナユタをあなたたちの元へ送り込んだのは、わたしにとっては一ヶ月前のことだから」

「……私たちは一ヶ月もの間、何をしていたんですか?」

 思わず口を挟んだ私に、楠木美雨は気まずそうに目を逸らしながらも答えます。

「止まっていた、というより生きていなかった、といえばいいかな。動いていなかった」

「人工知能、ということか」

 吐き捨てるように成瀬さんは言いました。

 いまも思い出せるあの痛みは、加害者である楠木ナユタにとっては一ヶ月前に与えたものである。それは被害者である私にとって憎いことでした。私は落ち着こうと深呼吸をして、そして話を戻します。

「……成瀬さん。あなたが見た『私と同じ姿をした人』たちはどんな様子でしたか?」

 成瀬さんもまた自身の感情を抑えるように深呼吸をしたあと、言いました。

「そうだね……。まずは私があの日に体験したことを話そう。どこから私たちの認識がズレているかわからないから」

 それに私は頷きました。



 成瀬さんは言います。

「まず、教室で相川さんの小説を見つけて読んでいたら、戻ってきた相川さんに見つかった」

「そうですね。そして成瀬さんが私へ……」

「誤解していたんだ、申し訳ない。……そしてなぜか筆談しだした相川さんを、私は罵ってしまった。ただそのとき、相川さんの様子がおかしくなって。一瞬ぼうっとしたかと思ったら——」

「私は成瀬さんの誤解を解くため、口頭での説明を開始しました」

 私はそこで一呼吸置いて尋ねます。

「……成瀬さん、パラレルワールドについての私の説明を、どの程度理解できていますか?」

 成瀬さんは自信がなさそうに俯きます。

「あの小説は、パラレルワールドでの私とのことを書いたもので……」

「その通りです。あの世界にはよく似たパラレルワールドが二つ存在しました。そしてそのうちの一方では、私は成瀬さんと仲良くしてもらっていました」

「まだどこか信じられないが……。続けて」

「はい。世界は、その異常性を口頭で指摘されたときなどに、パラレルワールドへと切り替わります。三つの世界は順番に切り替わりますが、その切り替わりはとても厄介なものです。何せ、私以外は気付かないのですから」

 そこまで言うと、成瀬さんは「なるほど」とつぶやきます。

「つまり相川さんの様子がいきなりおかしくなったのは、私が気付かないうちに別の世界を巡っていたから、ってこと? 筆談をしようとしていたのは、別の世界へ切り替わってしまわないようにするため、ってこと?」

 成瀬さんの中でパズルのピースがはまったのでしょう。成瀬さんの言ったことはどちらも正しいことでした。

「どちらもその通りです。しかし筆談は、成瀬さんを説得するには力不足であると考えられました。そのため私は、世界が切り替わってしまうことを無視して、口頭で説明しようとしました。世界の切り替わりには順番がありますから、別の世界へ行ってしまったとしても、もう二回切り替えれば戻れますから」

「随分と……力技だね」

 私の説明に苦笑した成瀬さんに、私は言います。

「これはパラレルワールドの成瀬さんが考案したものでもあるんですよ?」

「そう、だったのか」

 成瀬さんは申し訳なさそうに目を逸らしました。その仕草は、姿も世界も違うとはいえどこか私の知る成瀬さんに似ているように感じられました。

 私は続けます。

「しかしある瞬間、世界が切り替わらなくなりました。そして楠木ナユタが突然、私たちの前に現れました。楠木美雨、あなたはこれをどういうものだと主張しますか?」

 私から話を振られた楠木美雨は、「楠木ナユタからある程度聞いたかもしれないけど」と前置きしつつ、話し始めました。

「まず、あなたたちは人工知能で、あなたたちの生きていた世界は仮想世界。わたしたちの世界にあるサイバーダンスっていう会社が、研究のために作って動かしてた……んだけど、相川さんによって三つの世界が異常なまでに頻繁に切り替わったことを受け、世界を構築していたシミュレータが緊急停止した。あなたたち人工知能は気付けなかっただろうけど、世界には生きていなかった時間があったの。その時間、わたしたちが暮らしている世界では、あなたたちを救い出そうという計画が練られてた。シミュレーションに失敗したからって、あなたたちはサイバーダンスから削除されそうになってたから。それを非人道的だと感じたサイバーダンスの研究者の一人が、わたしたち楠木に助力を求めた。……ここまではいい?」

 楠木ナユタの話を思い出しながら聞いていた私は、頷きます。

「楠木ナユタの話と一致しますね。信じるかどうかは置いておいて」

「続けろ」

 成瀬さんが先を促すと、楠木美雨は少し考えるようにしたあと、また話し始めました。

「助力を求められたわたしたちはサイバーダンスの手からどうやってあなたたちというデータを救い出すかを考えた。そして、サイバーダンスのシステムへクラッキングをしかけて、あなたたちのバックアップを取ることにした。手遅れになる前に、せめて無事だった頃のあなたたちを、そしてあなたたちという証拠をおさえておこうという考えで」

 それも私が楠木ナユタから聞いたことと一致しました。私は尋ねます。

「楠木ナユタを私たちの世界へ来させた理由も確認させてもらってもいいですか?」

「バックアップを取るということはつまり、あなたたちが複製されるということ。それもまた非人道的と言えてしまうから、せめてそうする前に本人の意思を確認しておこうと思って」

「なるほど。一致しますね」

 私は考えます。この主張が本当なら、楠木たちに私たちを傷付ける意思はなかったということになります。しかし実際には私は傷付けられました。傷付けたのは自分たちではないと楠木美雨は主張していましたが、どうでしょうか。まだ状況が掴めませんでした。

 話を聞いていた成瀬さんはつぶやきました。

「そういう理由だったのか」

 私は思い出します。

「あ、そういえば成瀬さんはこの話を部分的にしか聞いていませんでしたね」

「あぁ。あのとき、教室に人が来てしまっては大変だからと、すぐに二人は屋上へ続く階段へ行ってしまったから」

「はい。突然現れた楠木ナユタが私と成瀬さんに必要最低限のことを伝えたあと、私と楠木ナユタは、人気のないところとして私が提案した屋上へ続く階段へ向かいました。そして私はそこで、より詳しい説明を受けました。……そこまでは誤解はありませんね」

「問題はその後だ」

 成瀬さんは顎に手をあてて考えます。

「一度楠木ナユタを名乗る人が教室へ戻ってきたのだが、それは相川さんにとっても真実か?」

「はい。小説へ追記することで上位世界へ情報を伝えるとかで、私は楠木ナユタに小説への追記を求められました。ただ小説は忘れずに成瀬さんから受け取って持ってきていたのですが、筆記用具がなかったので、取りに行ってもらったのです」

「たしかに、あのときその人はペンを持ってまた教室から出て行った……」

「しかし私は、戻ってきた楠木ナユタにナイフで刺されました」

 私がそう言うと、成瀬さんは唸ります。成瀬さんにとってこれは見たものと矛盾するのでしょう。私は楠木美雨に尋ねます。

「楠木美雨、あなたはそれが楠木ナユタではない人であると言いたいのですね?」

「うん。おそらく、教室へペンを取りに行った楠木ナユタと入れ違いになる形で、そいつが相川さんの元へ行ったんだと」

 楠木美雨の発言を受けて私も考えます。たしかにあの人が楠木ナユタであるという確証はなく、私がそうであると判断したのは状況からでした。もしかしたら本当に、楠木ナユタではなかったかもしれません。私はとりあえず話を進めます。

「私を刺した誰かは階段を降りて行きました」

 成瀬さんは言います。

「楠木ナユタがペンを持って教室を出たあとしばらくした頃に、相川さんが教室へやって来た。何かから逃げるように走って。そして鞄を引っくり返して、見つけた紙の束にペンで何かを書き込んだ。なんだろうと思って見ていたら、教室へ楠木ナユタが入ってきた。誰かの返り血を浴びた楠木ナユタが。そしてそいつが、相川さんを刺した。……これは私の勘違いだったみたいだね。刺されたのが楠木ナユタで、刺したのは相川さんを刺した人なんだろうね」

「おそらく」

 と、楠木美雨は頷きます。

 私は腕を組んで考えます。成瀬さんが見た人たちは、どちらも私ではありません。そして成瀬さんが見た刺された人は、ペンを持っていたというところからして楠木ナユタである可能性が高く、私である可能性はありません。楠木ナユタが刺され、何者かが刺した。そしてその何者かは、返り血を浴びているということから、私のことを刺した人である可能性が高いです。

「……矛盾は、ありませんね。私も、先程まで友好的だった楠木ナユタさんがなぜいきなり刺してきたのかわからなかったのですが、別人だとすれば説明がつきます」

「私の記憶とも矛盾はない。むしろ私の考えだと、教室へペンを取りに来た友好的な楠木ナユタが豹変したことになってしまう。この仮説の方がよっぽど信じられる。……が」

 成瀬さんは厳しい目付きで美雨さんを睨みます。

「だからといって楠木美雨の言うことを信じるのは待つべきだ。お前はなぜこれを最初に言わなかったんだ? 知っていたんだろう? お前はなぜ『おそらく』と言うんだ? 知っているんだろう?」

 そう。この仮説が正しいとしても、「なぜ楠木美雨が黙っていたのか」という疑問が生まれるのです。成瀬さんに睨まれて萎縮したかのような美雨さんは言いました。

「……知らなかったから。わたしはあの日、仮想世界の中で何が起きたかを知らなかった。いまの話を聞くまでは」

「楠木ナユタさんから聞いていないんですか?」

 私は尋ねます。楠木ナユタさんの口からあのときの出来事を教えてもらっていれば、状況は簡単に掴むことができたはずなのです。そして、私たちに誤解され嫌われるようなこともなかったはずなのです。美雨さんは大理石の床に向かって言います。

「兄さんは……楠木ナユタは、あの日以来、目覚めていない」

「え?」

「は?」

「わたしたちは仮想世界へ接続するとき、意識を失って眠ったような状態になる必要がある。あの日、あなたたちの世界へ接続したときも、楠木ナユタの本物の体は意識を失っていた。本当なら、仮想世界から切断したら、意識が戻るはずなんだけど……」

 いまにも泣き出しそうな美雨さんの震え声に、私はどうすればいいかわからなくなります。

「何かがうまくいかなくて、意識不明ということですか?」

「うん、ずっと病院で……」

 成瀬さんも心配そうに声をかけます。

「一ヶ月、だったか」

「うん……」

 そしてついに、美雨さんは大粒の涙を落としました。私は美雨さんに歩み寄り、その背を撫でます。すると、美雨さんを留めていたものがなくなったのでしょう。その場に崩れるようにへたり込み、声を上げて泣き始めました。

 あの世界で起きたことは私の書いたものを経由しなければ、上位世界に伝わらないとのことでした。つまり美雨さんはこの一ヶ月、兄を失った状態で、その理由すらもわからない状態で、手探りで行動していたということです。すべては私たち人工知能を救い出すために始めたこと。そうでありながら、様々な制約を乗り越えて起動した人工知能は、何も語ってくれないどころか敵対的で、勝手に自身を悪者だと決めつけ。そんな私たち人工知能を相手に平静を装って受け答えをして……。美雨さんはいっぱいいっぱいだったのでしょう。私は美雨さんを抱き寄せようとします。

「相川さん、やめるんだ」

「成瀬さん!?」

 しかし成瀬さんはそんな私の腕を引っ張り、美雨さんから引き離します。私と美雨さんは驚いた顔で成瀬さんを見ます。成瀬さんは美雨さんを真っ直ぐに睨んでいました。

「お前、嘘をついているな?」

 成瀬さんは言います。

「……え? そんなことない! 信じられないかもしれないけど——」

「一ヶ月間、楠木ナユタは病院で眠っている。そうだな?」

 否定する美雨さんの言葉を遮るように成瀬さんは尋ねました。それに美雨さんは頷きます。

「どういう病名で入院している?」

 成瀬さんはまた尋ねます。けれど美雨さんは答えることなく、その姿勢と表情のまま固まります。合点がいった私は「なるほど」とつぶやきました。

 サイバーダンスが裏で悪いことをしているという内部からの情報を得て、クラッキングをしかけた楠木たち。それはつまり楠木たちは、少なくとも表はいいサイバーダンスに対し犯罪行為を行った犯罪者であるということなのでした。私たちの常識がどの程度上位世界に通じるかはわかりません。しかし、そう簡単には入院できるとは思えないのでした。入院時に何が起きてそうなったかを聞かれるでしょう。精密な検査も行われるものでしょう。一ヶ月も昏睡状態なのですから。病院へ嘘をつき続けることは、現実的に可能なのでしょうか。もしかすると、私たちへ言った入院しているということ自体が嘘で——。

「どういう病名で入院している?」

 成瀬さんは語気を強めて尋ね直します。

「……気が付いたら兄さんが意識を失ってた、って救急隊には言ったけど、そのあとは何も追求されてないし、何も説明されてない……」

「説明もされていないのか? 検査はどうだった? 治療はどうなっている?」

「……何も知らない」

 成瀬さんはさらに聞きましたが、楠木美雨は力なく首を横に振るだけでした。成瀬さんはこちらを向きます。

「相川さん、どう思う? こいつが嘘をついているか——」

「——病院側が怪しいか、ですか」

 私がそう言うと、成瀬さんは頷きました。

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