第16話

 パチパチと火が爆ぜている。たき火はユラユラと燃えていた。

「ちょっと、まだ焼けないの」

「まだ、もうちょっとだ」

 ダリルはたき火の周りに組まれた土台の上で、フライパンで焼かれている肉を見ていた。要するに晩飯だった。

 私達は日が暮れると馬車を止め街道の脇で夕飯を取ることにした。

 丘陵地帯は抜け、ここはだだっ広い草原の端にある林の脇だった。ここで私達は火を起こし晩飯を作っているところだった。

「まだなの」

「まだだ。焦ったらまずくなる」

「ああ、もう」

 急かすリーアにダリルは頑として譲らなかった。ダリルは料理にこだわりがあるらしく、肉を焼き始めるといつにも増して寡黙になった。

 とにかく旨いものを作らないと気が済まないらしい。

 肉の横では野菜スープが良い匂いを漂わせていた。

 そして、料理の完成を急かすリーアは別に腹が減ってどうしようもないわけではない。別に食い意地が張っているわけではない。

 今こうしている間にも隠遁の魔術を使っているためである。火のような目立つものを隠す場合普段よりも難易度が上がるらしく、その分魔力の消費も多いらしいのだ。

 つまり、普通より疲れるらしい。

 リーアは一日の終わりのそんな疲れる思いはとっとと終わらせたいというわけである。

 料理が出来ればとっとと火を消して馬車に戻り、少し移動してから一日が終わる手はずだった。

「よし、もうそろそろ良いだろ」

「よかったぁ。結構疲れてんのよ私」

「いや、待て。まだだ」

「まだなの!」

 肉を切り分けようとしたダリルだったがすぐにまたフライパンに肉を戻してしまった。リーアの苛立ちはつのるばかりだった。

 私の横のサヤは無言だった。しかし、どうも機嫌は良くなかった。鋭い目で肉を見つめている。サヤは馬車を下りた瞬間に「腹が減りました」と強めの口調でダリルに言っていた。多分あれは「さっさと作ってくれ」という意味だったのだろう。しかし、料理は一向に手に入らないのでお冠なのかもしれない。

 サヤの横に居るレイヴンは時間が経つにつれてホームシックの症状は治まり、クレアクレアと連呼することはなくなった。今はローテンションで一言も話さずぼーっとたき火の火を見つめていた。

「こんなことなら付いてくるんじゃなかった」

 ぼそりとサヤが言ったのが聞こえた。食い意地が張っているのかもしれない。

 だが、いい加減に腹が減っているのは私も同じだった。そして、そういえばまともに空腹を感じたのも久々だと気付いた。

 この数年、食事と言えばただ腹に入れるだけのものだった。食事はただのルーチーンでしかなかった。時間が来たら摂取するだけのもの。習慣としてこなすだけのもの。

 感動なんかもちろんないし、まず味わうということもなかった。いつも行く薄汚れたパン屋で安いパンを買い、ひとりぼっちの下宿先の部屋でただ腹に流し込む。それだけだった。

 私の薄暗い日常でなにかを感じるということはなかった。

 こんな風にたき火を囲んで飯が出来るのを待つということはなかった。飯の時に誰かが

隣りに居るということはなかった。良い匂いがしてきたなと思うこともなかった。隣の人間の様子をうかがうなんてことはなかった。

 ひと月で死ぬと言われて、怪物から逃げ隠れながら過ごしているというのに、なぜだか私は落ち着いていた。

 少しだけなにかが和らいでいるような気がした。

「もう良いでしょ。さすがに良いでしょ。もうちょっと経ったわよ。いい加減に肉を上げなさいよ」

「ああそうだ。もう出来る。もう出来るぜ」

 そう言いながらダリルは肉の様子を神妙な面持ちで見つめていた。リーアはいらだたしげに地団駄を踏んでいた。サヤは表情は変わらないが明らかに怒気をはらんでいた。レイヴンはぼーっとしていた。

 そんな時間がしばらく過ぎた。

「なにこんなところで油を売っているんだ君たちは」

 そんな私達にふいに声がかけられた。

 一瞬でサヤは傍らのカタナを取り声の方へ構えた。

 リーアとダリルも瞬時にそちらへ目を向け戦闘態勢に入る。

 しかし、

「おいおい、仲間の声を忘れるなよ」

 声の主は言った。見ればそこに立っていたのは男だった。新大陸出身だろうと思われる肌の黒い男。腰には剣を携えていた。

「なんだ、カメルか」

 その男を見た瞬間にリーアは戦闘態勢を解いた。同時にダリルとサヤも解く。

 どうやら、【トネリコの梢】の仲間らしかった。

 男は私達の側までやって来て料理を覗きこむ。

「旨そうだな。旨そうだがちょっと悠長だぞ。隠遁の魔術があるとはいえこんな草原のただ中で」

「それはこいつだけに言ってよ。よーく言ってよ。もうどんだけ待たされてんのか」

「ダリルの飯への妥協のなさは普段は助かるがこういう時はマイナスだな、まったく。そして、彼がその護衛対象か」

 男は私を見た。

「本当に一般人なんだな」

「そうよ、紛う事なき一般人。この間までどこかでひどい暮らししてた一般人よ」

「なるほど」

 男はふむ、と言いながら私の顔を見る。なにがそんなに珍しいのか。どこにでもある顔だが。

「で、なんの用よ。こんなところにこんな突然やってくるんだから何か伝えることがあるんでしょ?」

「ああ」

 男は剣を抜く。そこには拭き取られたあとだったが血のりが付いていた。なにかと交戦したあとらしい。

「この先で魔獣に出くわした。どうも普通のやつじゃない。多分カンパニーの魔獣だろう」

「な、この隠れ道にも来てるの」

「どうやら連中の索敵能力を甘く見てたな。連中、この先の街道という街道に網を張ってるみたいだ」

「ていうことは、この先進んだら見つかってたってことか。危なかったわね」

 リーアの話しでは魔獣程度の能力なら見つかることはないということだった。ついでにこの隠れ道は魔術的な作用もあってここもまた見つかることはないということだった。しかし、魔獣はこの隠れ道まで侵入していたらしい。

 そして、この男がそれを倒したということか。

 このまま進んでいたら魔獣の索敵網に引っかかり、あの怪物がやって来ていたのかもしれない。

「だから、道を書き換えて置いた。だがそれでも絶対じゃない。慎重に進むことだな」

「なるほどその忠告に来たのね」

「そうだ。それと屋敷から出した囮も全部潰されたらしい。破壊跡から恐らく屋敷を襲った龍人だろう」

「ほんとに?」

 私達の他に魔術で馬車に見えるようにした囮の使い魔を五台別々の時間に出発させていた。ゴーレムがどうとか難しいことは私には良く分からなかったがとにかく馬車に見える別物らしい。中に人間はおらず、馬も偽物なのだそうだ。

 それがもう全て壊されたらしい。あの龍人に。

「結構別々の範囲に走らせてたけど、あの怪物には関係無しか」

「もう、囮は使えない。最悪交戦の予想も必要だろうな。うまく逃げろよ」

「そうするしかないでしょうが。王都の手前で隠れ道は途切れるし、どうしたって1回は交戦すると思ってるわよ」

 隠れ道は王都の手前まで通じている。しかし、手前からは一旦普通の街道に入らなくてはならない。そこで隠遁の魔術を使っても完全ではないだろうという話しだった。

「とにかく、伝えることはそれだけだ。上手くやれよ」

「言われなくても。あんたは飯食ってかないの? 多分美味しいわよ。こんだけ時間かけてるし」

 こんだけ時間かけてる、の部分は嫌味たっぷりだった。

「遠慮しとくよ。道の管理に忙しいからね。じゃあ」

 そう言って男は私達の元を去っていった。すぐにその姿は見えなくなった。

「今の隠れ道の管理人よ。契約してる精霊の呪いで寝ることがなくて、だからずっと道を管理してるのよ」

「へぇ」

 その呪いが幸福なものなのか、不幸なものなのか判断はつきかねたがどうやら上手く付き合っているらしかった。

 本当にこの組織には色々な人間が居るらしい。

「それにしてもカンパニーの能力もこっちの予想より上ね。隠遁の魔術以外にもなんか考えとかないと」

 リーアは苦々しそうに言う。

 今回魔獣は私達と接触しなかったから命拾いしたが、この先もそうとは限らない。やはり、この旅に絶対はないのだろう。出来るならば他にも追っ手に対する対策が必要なのかもしれない。

 私を殺そうという巨大な組織との逃亡戦だ。当たり前だが簡単に話しは運ばないのだ。

 その時、

「出来てるぞ」

 今までただ肉を焼いていただけのダリルが言った。見ればダリルはようやく焼き上がった肉を切り分けているところだった。

 ようやく完成らしい。

「やった。ようやくね」

 時間にして30分ほどだったが、リーアにはこの上なくいらだたしい時間だったのだろう。ようやく魔術を解けると上機嫌に戻っていた。

「腹が減りました」

 そして、サヤも料理を作る前と同じ事をダリルに言った。その目は実に鋭かった。サヤにとっても不愉快な30分だったらしかった。

 なんだか面白い時間だったように感じた

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