第11話
目が覚めると見知らぬ部屋だった。一瞬自分がどこに居るのか分からなかった。寝て覚めた時に見る天井と言えば、下宿先のくすんだ天井と隙間だらけの壁だ。
今日も一日が始まる。腐った時間が寝るまで続く。
目覚めとはそういうものだった。
しかし、今目に入ったのは柔らかい陽光と、穏やかに風に揺れるカーテンと、細かな
紋様の入った天井だった。
明らかに貴族かなにかが寝る場所だ。
そこで、私は自分の身に起きたことを思い出した。
ここがミルドレイクの屋敷であることを思い出した。
「目が覚めましたか」
声がしたので顔を向けると、私の横にあの無表情なメイドが椅子に座っていた。確かリーアにクレアと呼ばれていたメイドだ。
「なんで寝てるんでしょうか」
私はそう漏らした。どうやら、時刻は朝だ。昨日の襲撃を受けた晩から一夜明けているらしい。
しかし、私は自分がこのベッドに入った記憶は無い。
というか、ミルドレイクとリーアたちの勝利を見届けた後からの記憶が無い。そこから今まで時が飛んでいる。
「あなたは突然血を吐き倒れたのです。それもただの病気ではない。カンパニーによるものだと旦那様は言っておられました。今、そのことについて旦那様から説明があります。旦那様を呼んで参りますのでしばしお待ちください」
そう言うとクレアはすっと立ち上がり、また例の滑るような歩き方で部屋を出て行った。
状況が良く分からなかった。私が血を吐き倒れた。
やはりあまり覚えていない。リーアたちの戦いを見た後の記憶が霞がかかったように思い出せない。
私はしばし呆然と外を眺めた。
日射しを浴びながらざわめく木々を見るとどこか落ち着く気がした。
そして、こんな風に落ち着いて景色を見るのはいつ以来だっただろうかなどと思った。
「失礼するよ」
そんな風に私がなにをするでもなくぼーっとしていると、ほどなくしてミルドレイクが入ってきた。
その後に続いてきたのはリーア、ダリル、サヤ、レイヴン、そしてその後にクレアだった。
随分な大所帯だ。俺の状況の説明だけにしてはゾロゾロとやってきたように思う。
「だから、僕は行かないって言ってるだろ! クレアさんのご尊顔を一日でも見られないなんて我慢できないよ」
「アンタの術ぐらいしか今んとこ対抗策が無いんだから観念しなさいよ」
「ちょっと。病人の前で騒がないでください」
しかも、なにか言い争っているようだった。
そんな4人はさておき、ミルドレイクは優雅な足取りで私の横までやって来て、椅子に腰掛けた。
「気分はどうだね」
ミルドレイクは言った。
聞かれてようやく、異様に体がだるいことに気が付いた。普段も体がだるいのは常だが、これはそれと違って病的なだるさだった。
「少しだるいです」
私が答えるとミルドレイクは「ふむ」と言ってあご髭を撫でた。
「だるいで済んでいると言うことは抑制魔術は効いているということだろうね、クレア君」
「はい、抑制魔術が効いていなければ体を起こすことも適わないはずですから」
ミルドレイクは再び髭を撫でる。
なんなのか分からないが、どうやら私が寝ている間に何かあったらしい。というか、恐らく私の身に何かあったのだ。
「単刀直入に言おう。ジグ君、君は君が出くわした魔獣にかけられた呪いで血を吐いて倒れ、意識不明の昏睡状態に陥っていたんだ。君は一夜明けたのだと思っているだろうが今はあれから一日経った朝だ。丸一日君は寝ていたわけだね。まぁ、丸一日の昏睡で済んだのもまた幸いというものだろう」
「呪い?」
私は問うた。丸一日昏睡していたというのも否応なしに気になる話だったが、それ以上に気になるのはその原因だ。
呪いによる昏睡。それも、魔獣にかけられたものだと。
「ここに来る発端になった変異魔獣。あれは肉体の変異のみならず、その身に呪いを宿していたらしい。それも、遅効性の簡単には気づけない呪いだ。普段から魔力を練って戦うリーア君やダリル君ははね除けてしまえる程度のものだったようだが、一般人の君はもろに受けてしまったのだ」
「なるほど」
あの魔獣はあの腕が生える変異だけでなく、その呪いという機能も含めた実験体のようなものだったのだろう。
その呪いをもろに受け、私は吐血して意識を失ったということらしい。
「気づけなかったことは非常に申し訳なく思う。目の前に君がいながら私もそれを見抜けなかったのだからね」
「本人の魔力に完全に溶け込んで巧妙に隠蔽する呪いだったんだからミルドレイク卿でもひと目じゃ見抜けないわよ。それこそ、呪詛を専門にしてる魔術師でもないとね。大体分かっててもどうにか出来るものでもないし」
「しかし、客人の異変に対応出来なかったというのはこの屋敷の主として不手際だよ。ありがとう、リーア君。弁明してくれて。しかし、やはり私の落ち度には違いないのだ」
ミルドレイクは言った。どうやら、ミルドレイクなりに罪悪感のようなものを感じているらしい。あの晩、自分は人間の価値観には興味がないというようなことを言っておいて今はこれらしい。人間の価値観は分からないがミルドレイクなりの価値観というものは確かに存在しているらしい。
なにはともあれ、
「つまり、俺は死ぬんですね」
自分の体のことだ。なんとなくは分かる。今ようやく思い出した。自分を襲った胸の不快感、手にべっとりと付いた沢山の血。
あの光景は否応無しに死を連想させた。
恐らくこのままでは私は死ぬのだろう。
「ああ、このままではね。君が倒れてすぐに、呪いを押さえ込む魔術を君に施したがね。完全ではない。進行は遅らせたが、ひと月ほどで君は死ぬ」
「なるほど」
私はほう、と息を吐いた。
死ぬ。私の一生があとひと月で終わる。
実感がなかった。
私は消えてなくなりたいと願っていた。誰かに全てを終わらせて欲しいと願っていた。
それが、ようやく私の身にふりかかったらしい。
しかし、死ぬということが良く分からなかった。なにせ、今は体がだるいだけだ。このまま死ぬと言われても良く分からない。
あの手に付いた血が死を連想させても、ミルドレイクに死ぬと言われても、死というものがどういうことなのか恐らく私は分かっていない。
ただ、やはり。あまり感情が沸き立つことはなかった。ただ、呆然と自分の運命を思うだけだった。
「随分落ち着いてますね、死ぬんですよあなた」
そう言ったのはサヤだった。ぼーっとしている私が理解出来なかったらしい。
しかし、これは落ち着いているのではない。考える力が無くて固まっているだけだった。
「ジグ君」
そんな私にミルドレイクが再び言う。
「だが、君が助かる方法がひとつだけある」
「この呪いを解けるんですか」
私は答える。無機質に。
「王都に行って欲しい。そこの教会のシスターにひとり、君の呪いを解ける者がいるのだ」
ミルドレイクは深く椅子にもたれながら言った。
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