第28話
月が空で照っていた。流れる雲の隙間から見え隠れしながら、この丘の上の草原に優しい光を落としてた。
辺りはすっかり夜になり、遠くに見える王都は街明かりが輝いている。あの大都会は夜でもすぐに眠りに就くということはないらしい。嵐も収まったばかりだ。今あの街にはひっきりなしに人が行き交っているのだろう。
私はそれを見ていた。なにをするでもなく見ていた。いや、なにをすることも出来ないから見ていた。
もう手に入らない遠く遠くの景色を見ていた。
「どうやら来たな」
私の横で言ったのは女だった。カンパニーのヌエ。恐るべき女。
そして、私の後に居るのは龍人。ズライグと呼ばれた正真の怪物だ。
そして、さらにその後に金髪の伊達男、ギースと呼ばれている男が立っていた。
ヌエの言葉を聞き、その視線の先に私も眼を向ける。丘から下る一本道、その下から歩いてくる4人の人影があった。夜闇のために影にしか見えなかったそれらは、近づくにつれ月光に照らされ誰なのかが分かった。
リーア、ダリル、サヤ、レイヴンの4人だった。私と共に旅をして、私を王都まで送り届けた【トネリコの梢】の精鋭たちだ。
彼らはやってきたのだ。まさしく、私をカンパニーから取り戻すために。戦って戦って、王都の仲間で送って、しかし結局捕まってしまった私を取り戻すために。自分の間違いによってこうなった愚かな私を助けるために。
彼らは全身に包帯を巻き、絆創膏まみれだった。しかし、全員確かな足取りで歩きここまでやって来ていた。ヌエの話では全員重傷を負ったはずだったが魔術によるものだろうか。少なくとも死にかけといった様子は無かった。
リーアたちは何の小細工もなしにただ一本道を上がり私達の眼前へとやってきた。
「堂々としたご登場だな。お得意の隠遁はどうした。不意打ちをしなくても良いのか?」
ヌエが皮肉たっぷりに言った。
「その怪物が本気を出したら意味ないって分かってるから。意味のない事に魔力を使っても無駄だもの」
「なるほど最もな意見だ。しかし、そう分かっていても実行出来る者は限られている。貴様らの胆力は賞賛に値する」
「とんだ挑発だこと」
リーアは肩をすくめた。
「しかし、よくぞ逃げずにここまでやってきたものだ。ジグ・フォール1人失ったところで貴様らの組織にはなんの影響もないはずだが?」
「引き受けた仕事はきっちりこなす主義なのよ」
「それだけで命をかけられるものかな。ミルドレイクに何を吹き込まれた。何か相当の利があるからこの仕事を引き受けたんだろう」
「さぁ、どうかしらね。そんなことより、あいつはどこなの。こっちはあいつを取り戻しにここに来てるのよ。もしかして嵌められたのかしら」
リーアは言う。リーアは私を見ずに言う。それも仕方の無いことだ。
こいつらは本当に私を助けに来た。まさかと思っていたが本当に助けに来た。ヌエの言うとおりだ。私1人居なくなったところでこいつらになんの影響もありはしない。なにせ私は部外者なのだ。部外者が1人居なくなったところでなにも困ることなどないだろう。なのにこいつらは私を助けに来た。私の価値観からすれば理解出来なかった。だが、それはこいつららしい気もした。
「抑えろズライグ」
私の後の龍がうなっていた。それに合わせてギースも腰の二丁の回転式銃を抜いた。
リーアたちも応じる。ダリルが斧を構え、サヤはいつでもカタナを抜けるように腰を落としていた。
こいつらはつい数時間前にこの上ないほどの敗北を味合わされておいて、物怖じをまったくしていなかった。
本気で私を助けに来たらしい。
「答えて。あいつはどこなの」
リーアが再度言った。それにヌエは答えなかった。しかし、代わりにクツクツと笑った。それはやがて声に代わり、その声量はどんどん大きくなった。それは不愉快な音の大笑いだった。ヌエは本当に楽しそうに笑っていた。
リーアたちは不快そうにそれを見る。しかし、その表情には疑問があった。なにがそんなにおかしいのかという疑問だろう。
やがて、ヌエは口元をニンマリと歪ませながら言った。
「ジグ・フォールならずっとお前達の目の前に居るじゃないか。ずっと、彼はお前達を見ているじゃないか。お前ほどの魔術師が分からないのか? 『瑠璃のリーア』」
「なに言って......」
言いかけたリーアの言葉は途中で途切れた。そして、リーアは信じられないと、有り得ないと、表情を引きつらせた。その視線はやがて私に合わされた。私とリーアの眼が合った。
「ふざけんじゃないわよ」
リーアはこの上ない怒気とともに言った。
そのリーアの様子にサヤもダリルもなにかを悟ったらしい。本当に忌々しそうにヌエを睨んでいた。
「なるほど、お前達が魔獣で実験していたのはこのためだったのか。魔獣に変性出来る人間。人工的にその龍人に似たものを作ろうとした。それがお前達の目的だったってわけだ
」
「さすがだなノア・フォーブス。大した慧眼だ。全てお前の言う通りだよ」
「ふざけんじゃないわよ! なんでそれでよりによってそいつを実験台にするのよ! なんで、そんな普通に生きてきた一般人を私達の世界に巻き込むのよ! お前達ただじゃすまさない!」
リーアは激怒していた。ヌエたちが私に行った仕打ちに憤っていた。
私の身に起きた理不尽、それに耐えられないのだろう。
私も耐えられない、いや、耐えられなかった。もう、私はその理不尽に打ちのめされてダメになっていた。私はもうそこを通り越していた。私の心に望みはなかった。ただ、苦痛だった。
「ふふ」
ヌエは楽しそうに笑っている。
リーアはその様になお怒りをつのらせる。
「なんで、そいつがそんな怪物に変えられなくちゃならないのよ!」
リーアは私を見て言った。
そう、私の姿を。
私の身体は今や人間のものではなかった。私の身体は怪物のものになっていた。
私は大きな狐の怪物へと姿を変えていた。紫の体毛、3つの尾、そして4つの眼。
私の身体はそういった魔獣のものへと姿を変えていた。
人間に戻ろうと思っても戻れはしない。私の身体は今ヌエに支配されていた。自分の思い通りに身体が動かないのだ。意識はそのままだが、身体がヌエの言うとおりにしか動かない。
私は絶望していた。今までの人生でも何回も失望したことはあったし、この世の底のような苦痛を味わったこともあった。だが、これはそれ以上だ。
自分が人間ではなくなってしまった。もう人間にも戻れない。それは本当の意味で私の人間としての全ての終わりを意味していたのだから。
「なんでここまで来てこんな目に......」
「なにを言っているんだ『瑠璃のリーア』。彼はこうして生きている。本来我々に捕まった時点で殺されるのが彼の運命だったんだ。お前達にとっては僥倖だろう」
「バカ言うなっ!!!!!!」
激情のままにリーアは指を振る。巨大な爆発がヌエの前で巻き起こる。しかし、ヌエがそれに巻き込まれることはない。
「どうやら、動きを操られていますね」
サヤの言ったとおりだ。私はリーアが起こした爆発、それからヌエを盾となって守っていた。私の身体に激痛が走る。体表が焼けただれ、肉が弾けた感覚があった。しかし、それはかゆみとともに収まっていく。見れば爆発を受けた箇所の傷がすさまじい勢いで塞がっていた。みるみる間に私の身体は元通りになった。
「ああ....ごめん、ごめん.....」
それを見てリーアは取り乱していた。相当のショックを受けていた。自分の魔術が今まで守っていた私の身体を吹き飛ばしたのだ。仕方が無い。リーアは優しいやつである。
それを見てヌエは醜悪に口元を歪めていた。
「さぁ、ジグ・フォール。お客人をおもてなししろ。それがお前の最初の仕事だ」
私の口が人間でない雄叫びをあげる。そうしたらもう止めようはない。私の身体は言うことを聞かない。リーアたちにズライグの速さに迫らんとする勢いで襲いかかった。
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