第27話

 ある街のある廃工場。工業地帯の中に佇む廃墟には嵐による暴風と大雨が降り注いでいた。時折光る稲光が薄暗い工場内を照らしていた。

 廃工場の崩れかけの天井の下。元はせわしくなく職工が行き来していたであろう工場内には壊れた工業魔導機械が鎮座している。いや、壊れかけなのは見た目だけだ。これは今もしっかり動く。ただし、作り出すのは機械の部品ではない。ある組織のある部署の研究材料を生み出すものだった。

 その機械、その前に据え付けられた椅子に1人の青年が座らされていた。なんの変哲も無い青年。少しやつれて疲れた様子ではあったが、どこにでも居る普通の青年だった。彼は今意識を失っていた。

 青年の前には女がいた。この工場に元居た職工を思わせる服装の女。しかし、その瞳はおよそ社会の中に居るはずのないどす黒いものだった。

 そして、女の後には見あげるほど大きな龍が立っていた。龍はなんの表情も浮かべずただそこにあるだけだった。

 もう1人彼女たちには仲間が居たが、彼はこれから起こることを見たら飯がまずくなると言って席を外していた。

 そして、やがて青年が眼を開けた。

「目が覚めたかジグ・フォール」

 女が言ったが、青年は答えなかった。答える気がないというよりは答える気力がないという感じだった。青年は眼を覚ましたが意識が朦朧としているようだった。

「お前を殺すつもりはない。お前にはまだ働いてもらう。良い知らせだ。お前のお仲間は死んでいない。我々はしくじったといわけだ」

 女は本当に苛立たしげに言った。その怒気だけで気の弱いものなら失神しかねないと思わせるほどだった。

「まさか、ズライグとまともにやり合って逃げおおせるものが居るとは思わなかったよ。まぁ、だが全員重傷を負ったらしい。それはそれで良しとするとしよう。そうする他ないからな」

 ジロリと女は後の龍を見る。龍は無表情だったが、向けられた怒気に少し身を震わせていた。

「問題はギースだ。銃口をこめかみに突き付ける状況まで行っておいてノア・フォーブスを取り逃がしたと言うんだからな。まったく、腹立たしい。ノア・フォーブスが一番厄介だったんだ。何に代えても殺しておかなくてはならなかったというのに。まぁ、この罰は仕事が終わってからにしよう。今戦力を減らすのは得策ではないからな」

 女はゆっくりと青年に近づいていった。屋根から落ちる雨が女を濡らしたが女はまるで気に留めていなかった。それより重要なものが目の前にあるからだろう。

「連中は取り逃がした。だが、全員まともに戦えない負傷を負っている。これで、見逃がすのも手だろうが散々煮え湯を飲まされたからな。我々は連中を殺すことにする。だから、連中に手紙を送っておいたよ。ジグ・フォールは生きて我々の手の中にあると。取り戻したくば指定の場所に指定の時間に来るようにとね。連中は来るだろう。ここまで命懸けでお前を運んできたお人好しどもだ。必ず来る。そこで、我々は連中を皆殺しにする」

 青年にとって受け容れがたい内容の話のようだった。青年は朦朧とした意識でしかし確かに女を睨んでいた。しかし、女はそんな眼光にはまるで動じなかった。むしろ、さらに顔を近づけ青年を覗きこむ。

「それで、ただ連中を招くだけというのも趣向に欠けるからね。私はプレゼントを用意しようと思う。連中があっと驚くプレゼントだ。お前に協力してもらうんだよ。ジグ・フォール」

 女の言葉に青年はただ眼のみで応じる。しかし、女の言葉までは理解出来ないのだろう。これからなにが起きるのか、それに対する疑問が表情には見て取れた。

「ジグ・フォール、根本的なところの話だ。お前がこうして追われることになった理由。お前が見た変異魔獣、あれをなんのために作っていたか分かるか?」

 女の言葉に青年はなにも返さなかった。いや、返せないのか。

 そんな青年に女は楽しそうに言う。

「あれはね、この龍人。ズライグのようなものを人工的に作るための実験だったんだよ。龍までは無理でも、魔獣に変性出来る人間を作る。そのための前段階として魔獣で実験していたんだ。要するに魔獣に他の魔獣の特性を持たせる実験だな。それは概ねにおいて成功した。魔獣に魔獣の因子を植え付ける、それは成功したんだ。【トネリコの梢】の連中が倒したのは失敗作ばかりだったがね。成功例もあった。魔獣が見事に他の魔獣に変異した。感動的だったね」

 女は感傷的に宙を見あげる。こんな芝居がかったことを女は普段しない。それだけ気分が高揚しているのだ。それはこれから行うことへの高揚か、それとも青年と話しているがゆえの高揚かは分からなかった。

「だからね、ジグ・フォール。研究は次の段階に進むことになる。いよいよ、人間に魔獣の因子を植え付ける段階へと進むんだよ」

 女は青年の後、工業魔導機械にしか見えない、しかしそうでない機械のメインコンソールのレバーを下ろした。

 機械が鈍い音を立てて動き始める。内部で魔導機関が動き始めたのだ。

「ここまで言えば分かるな。その最初の被験者はお前だよ、ジグ・フォール」

 機械から6本のアームがはい出し、それが青年へと伸びた。アームの先にはそれぞれ鋭い針が付いていた。注射針のように見えた。

 それが、青年の背中へと均等に刺さっていった。

 途端、

「あ、あああぁああぁああああぁああああぁああ!!!!」

 激痛により青年が叫んだ。叫び声はおよそ人間に出せる声量の限界に達していた。しかし、強力な隠遁の結界がかけられているこの工場の外にそれが聞こえることはない。青年の叫び声は空しくこだまするだけだった。

 女はそれを濁りきった眼で、楽しそうに見ていた。

「ほぅら、これがこの世界だよ。ジグ・フォール」

 そう言って、女は声を上げて笑ったのだった。

 青年の叫び声と女の狂ったような笑い声、それだけが工場内に響き渡る。聞いているだけで気が狂いそうな二重奏だった。

 外は大嵐で人通りはなかった。誰も気にもかけない工業地帯の一角で、地獄が生まれていた。

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