第2話

 立っていたのは男だった。汚いコートとつばの広い帽子、白みがかったヒゲは伸び放題で男の表情が読み取れないほどだった。そして、その手には斧が握られていた。それも、男の身の丈を越える柄をした大きな斧が。

「ちっ、まだくたばってないな」

 男はそう言ってダン、と跳んだ。向かう先は吹っ飛んだ魔獣。男はそれに斧を振り下ろす。それに魔獣は応戦を始める。男と魔獣の戦闘が始まっていた。

「大丈夫? 死にかけてたけど」

 その時、新たな声がした。目を向けると、今度は私の横に女が立っていた。一目で上質と分かるローブを羽織っている。長い黒髪、どことなく青っぽく見えた。

「あ、ちょっとやばそう」

 女はそう言ってつい、と指を振る。すると、遠くで戦っている男の目の前の魔獣の頭上で爆発が起きた。轟音と衝撃。魔獣だけでなく男も吹っ飛んでいた。

「ふざけんな! 殺す気か!」

「今死にかけてたじゃない。助けただけよ」

「どのみち死にかけたんだよ!」

 男は女に激怒していた。

 奇妙な2人だった。俺にはこの2人がさっぱり分からない。ただ、間違いないのはこの2人が私を助けたらしいことだけだった。

 だが、それ以上の考えは浮かばなかった。考える気力も湧かなかった。ただ、呆然と目の前の光景を眺める。

「大丈夫? なんか反応鈍いけど」

 そう言いながら女は再び指を振る。遠くの男と魔獣の間で再び大爆発が起き、男はすかさず怒号を上げていた。

 女はそんなことまるで気にも留めず、どうやら私の返答を待っているらしい。

「別に。なんにもする気が起きないだけだ」

 私は応えた。それ以上言うことはなかった。

「ふぅん。元気ないのね」

 女は言った。

 そして、また指を振り爆発が起きる。男が怒号を上げる。

 この2人はどうやらあの怪物を倒そうとしているらしい。魔獣狩りだろう。

 しかし、そもそもまだ街に近いこの辺りでは結界のおかげで魔獣が寄りつくこともないはずだがなぜこんなところに魔獣が居たのだろうか。

 いや、そんなこともどうでも良かった。一瞬恐らく誰もが抱くであろう普通の思考が巡ったがそれ以上は続かない。

 考える気が起きない。ただ、目の前の景色を眺める。

 巨大な斧を振るって怪物と戦う男。指を振る度に爆発を起こす女。

 こんなもの見るのも初めてだった。魔獣狩り、そんなもの街の中に居たら目にすることなんかないのだ。

 新聞の与太話くらいでしかお目にかからない。まぁ、新聞さえ滅多に読まない私にはそれさえ関係のない話しだが。

「しぶといけど、そろそろ終わりにしましょうか」

「得意そうに言うな。人殺しかけといて」

「いつものことじゃない」

「いつものことなのが問題なんだ」

 そうこうしているうちに、魔獣は俺の目にも弱っているのが明らかな状態になった。全身に深手を負っている。出血はないが代わりに黒い靄が盛んに吹き出していた。あれが魔獣の血ということか。

 戦いは大詰めらしい。

「そら」

 男がかけ声とともに勢いよく切り込んでいく。

 その時、怪物が吠えた。それは今までの声とは違う、不気味な金切り声だった。どこか、俺の工場の機械の軋む音を思い出させた。それだけで私は嫌な気分になった。

 それと同時に魔獣の姿が変容した。

 魔獣の背中がバキリと音を立て、そこから四本の腕が伸びた。それは蟲のような腕でどこか獣のようだった魔獣の姿からは異質だった。それも不愉快だった。

「変異種だったか。面倒だな」

「面倒なのはいつものことじゃない」

 男と女は溜息を吐いていた。

 魔獣は吠え猛る。その背中の腕がさらに伸びる。そして、その腕が消滅した。いや、消滅したのではなかった。ただ、目にも止まらない速度で振るわれたのだ。草原が一瞬で裂け、前衛の男に迫った。

「くそが」

 しかし、男はさも当たり前のようにそれを払った。男が持っているのは巨大な斧なのに、払ったのだ。器用に柄を使っていた。

 そして、男は後ろに飛び退くと女の横に立つ。

「エンチャント」

「ええ....だるいわね」

「エンチャント!」

 面倒そうに顔をしかめる女に男は叫ぶ。

 女は溜息を吐きながら指を振るった。それと同時に男の斧が淡い橙色に光った。

 男が斧を肩にかついで構える。それと同時だった。斧が強烈に爆発したのだ。そのせいで男はまるで砲弾のような速度で吹っ飛んでいった。そして、勢いそのまま魔獣にすさまじい一撃をお見舞いした。

 魔獣はその一撃を受けて地面を何回も跳ねながら吹っ飛んでいった。

「くたばったか」

「あれくらいじゃ死なないでしょ。面倒ねぇ」

 女が言った次の瞬間だった。魔獣が吹っ飛んで巻き上がった土埃。そこから、飛んでったのと同じほどの勢いで魔獣がこちらに襲いかかってきた。

 早すぎた。私には土埃に突如穴が空いたようにしか見えなかった。

 しかし、男はさも当然のように応じたのだった。

 男が斧を振るう度に爆発が起き、斧の速度を尋常ではないものにしている。魔獣の腕とお良い勝負だ。

 男は魔獣と何度も打ち合い、その隙間に斧をねじ込み魔獣の体を傷だらけにしていった。

 嵐のような攻防だった。

 私はそれを死んだ目で見ていた。

 その見たこともない、現実のものとは思えない光景を、俺は干からびた心で眺めていた。

 とにかく、騒がしかった。早く終わって欲しいものだった。

「死に損ないが」

 男が一際強く斧を打ち込む。魔獣はそれを腕で受けたが、腕はとうとう切り落とされた。そのまま魔獣の脳天に斧がぶち当たる。魔獣はそのまま地面に打ち付けられた。

 吠え猛る魔獣。そのまま後ろに飛び退くが。

「そろそろお仕舞いにしましょうか」

 飛び退いた魔獣の真下、足下、そこで大爆発が起きた。

「わぷ!」

 男が吹き飛んだ土砂に巻き込まれてうめき声を上げる。

 爆発の直上に居た魔獣は空高く飛ばされていた。怪物に飛行能力はない。つまるところ、無防備も良いところだった。

「災難だったなお前も。楽になれ」

 そうして、男は落ちてくる魔獣に渾身の一撃をお見舞いした。胴の中心、胸にあたる部分に斧が直撃し、魔獣の体は真っ二つになった。

 二つに分かれた魔獣の肉体が地面に落下する。上半身は俺にほど近いところに落ちた。

 そして、そのそばから魔獣の体は黒い塵になって消えていった。

 静かに魔獣は低い声を上げた。

 その表情は苦悶に満ちながらもどこか安らかに見えた。

 私はその表情を見て、なぜかひどく悲しくなった。

「終わったわね。手こずらせてくれたわ。.....って、なんであんた泣いてるのよ!?」

「は?」

 女が蚊帳の外だった俺に突如驚いていた。

 私は言われて頬を撫でる。濡れている。私は確かに泣いていたらしい。雨ではない。暖かい涙が私の瞳から流れていた。

 なぜなんだろうか。魔獣なんて初めて見たし、魔獣が死ぬところも初めて見たがその死に様がなんだか悲しかったのだ。

 なぜだろうか。あの魔獣が自分と同じに見えたのだ。

 なぜだかそんな気がしたのだ。

「なんだ、どこかやられたのか?」

「そんなはずないんだけど。一応気を使ってたし。大丈夫あんた。怪我はない?」

「怪我はないよ。ただ、なんだか悲しいだけだ」

「なんだそいつは」

 男は怪訝そうに俺を見ていた。

 大の男が怪物が死ぬところを見て突然泣き出したのだ。不審に思われても仕方がない。私

も自分で自分が不審なくらいだ。だが、涙は止まらなかった。

 そして、魔獣はとうとう完全に塵になって消えた。

 この2人の仕事は終わったのだろう。

「とにかく、そいつは連れてくしかないだろうな。お前が籠から逃がすへまをしたせいでまた面倒に巻き込まれる奴が増えた」

「うるさいわね。私だって逃がしたくて逃がしたんじゃないわよ」

「逃がしたくて逃がしてたらお前を奈落の谷に突き落としてるところだ」

 2人はペラペラと会話をしている。会話はほとんど耳に入ってこない。ただ、呆然と相変わらず雨の降り注ぐ空を見あげていた。空はもうじき真っ暗になるところで、雨粒はろくに見えなくなっていた。

 そんな風に呆けている私の前に突如手が差し伸べられる。

 それは女の手だった。

「どうやらしばらくの付き合いになりそうね。私はリーア、一応魔女をやってるわ。あんたは?」

「ジグだ」

 私はただ一言の自己紹介をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る