第24話

「進んで! 進んで! 止まらないで!」

 叫ぶリーア。私達はいくつも襲い来る竜巻を何度もくぐり抜けながらひたすら走っていた。馬車はガタガタと揺れ、いつ吹き飛ばされるかも分からない。そんな中をダリルは脇目も振らず手綱を取り続ける。

 ダリルはただ前しか見ていない。城壁を目指してまっしぐらだ。馬車が吹き飛ぶとかの恐怖はないのだろうか。そこまでリーアを信用しているのだろうか。信用、そんなものの価値を私は長らく忘れ去っていた。人間は私に何ももたらさないものだと思っていた。

「順調ですね。順調過ぎます」

 サヤが漏らした。サヤはつま先立ちでしゃがみこむ姿勢だった。いつでも抜けるようにカタナに手をかけている。

「さっき吠えたのが聞こえたな。間違いない、あの聞いたことのない興味深い音色。やつがこっちを見つけてるぞ」

 レイヴンも楽しそうに言った。冗談じゃない。なにも楽しくはない。

 しかし、その咆吼は私にも聞こえていた。

 間違いなくあの龍人が私達を補足している。

「護りに必死で隠遁がおろそかだもの。仕方ないわ」

 リーアが答える。そうか、この竜巻への防御の魔術でリーアは手一杯なのだ。他の魔術に、隠遁の魔術に力を回す余裕はないのだ。

 つまり、あの龍にはこちらが丸見えだということだ。

「なんで襲ってこないんでしょうか。私達をなめてるんですかね」

「さて、竜巻で僕らを圧殺する算段なのか。竜巻から出たところを殴殺するのか。とにもかくにもあっちの手のひらの上ってことだ。まぁ、ここまできたら相手の手のひらの上で足掻くしかないだろうな」

「なにが来ようが斬ります」

 サヤはカタナの柄に力を込めた。

 こいつらは始めから龍から逃れる可能性を考えてはいなかった。わずかも考えていなかった。こんな超常現象を起こす怪物を真っ向から迎え撃つことしか考えていない。

 正気じゃない。正気じゃない私が言うのもなんだが本当に。

 どうして、あれだけの強さを見せつけられて、これだけの光景を見せつけられて、そう思えるのか。

「クソが! 面倒くせえ!」

 一瞬浮いた馬車にダリルが叫ぶ。

 そうこう言っているうちにも馬車はまた竜巻の中に突っ込んでいく。

 隠れ道の出口から城壁までは全力で駆け抜けておよそ20分。竜巻がある範囲はその半分ほどまで。もう5分以上走っただろうか。ここまでいくつの竜巻を越えたかもう数えていなかった。

 リーアは苦悶の表情を浮かべている。それはそうだ。昨日一日から寝ずに魔術を使い続けたのだ。リーアがどれだけの魔術師なのか分からないが疲労しないわけがない。それもこんな竜巻をいくつもいくつも魔術で防ぐなんて並大抵のことではない。

 こんな現象に突っ込んでいくなんてまともな行動ではない。

 普通の人間ならあの丘の上で竜巻に囲まれた時点で死を受け容れるしかない。普通の人間ならこの状況になった時点でどうしようもない。

 これだけの竜巻、大嵐、人間の力でどうにか出来るものではない。立ち向かえるものではない。

 リーアたちはそれを越えているのだ。

 魔術を使っているリーアだけではない。ダリルはリーアの魔術を頼りに馬車を走らせ、サヤはいつなにが来ても良いように臨戦態勢だ。レイヴンも私には分からないがなにかしらの警戒をしているのだろう。

 こんな死地としか思えない極限状態の中でこいつらはまるで冷静で、その上来るであろう敵襲に備えているのだ。

 それは、どれほどのことだろうか。 

「見えたぞ! 保つか!?」

「誰に言ってんのよ!」

 今まで嵐と竜巻によって奪われていた視界。それが少しずつ晴れてくる。そして十数分前に見失った美しい白い城壁が再び見え始めた。

 もうすぐだった。もうすぐ、竜巻が発生している範囲を抜ける。

 見える竜巻はあと2つ。

「突っ切れ!」

 リーアの叫びと同時にダリルがまたひとつ竜巻に突っ込む。ガタガタ音を立てながら馬車は再びそれを抜ける。

 そして、続けざまに押し寄せる最後のひとつもそのまま押し抜けた。

 竜巻が途切れた。風と雨だけになる。城壁がもう目の前だった。

「サヤ!」

 リーアが叫んだときにはすでにサヤはカタナを抜いていた。一瞬で、瞬きの間に馬車がバラバラになる。それと同時にリーアが指を振るうと全員の身体が浮き上がり、一気に元馬車があったところから離脱した。

 そして、元私達が居た場所を巨大な何かが爆音と爆風を伴いながら通過した。

「ぐっ!」

 全員がリーアの魔術でその爆風をしのぐ。他の全員は受け身を取りながら。私はそんなこと出来ず転がりながらなんとか身体を起こす。魔術のおかげで身体に痛みはなかった。

そして、見あげた。空で私達を見下ろしている大きな龍を。

「あの竜巻をしのぐだけでも大したものだ。まさか、本当に生きて抜けるとはな」

 龍が言った。

「生憎だけど、あの程度の困難なら【トネリコの梢】の人間は100回は越えてるわ」

 不敵に笑いながらリーアが返す。目の前に居る正真正銘の伝説の存在に。この光景を作り出した本物の怪物に。

 龍人は私達をただ見下ろしていたのではなかった。龍の表情には分からなかったが、その声には明らかに畏怖が込められていた。

 越えられるはずのないものを越えてきた人間を賞賛しているのか。

 豪雨が私達に吹き付けている。暴風が私達の髪をかき乱している。馬車の馬が走り去っていった。

 リーアは空を睨み付けている。ダリルが斧を構える。サヤはカタナを鞘に戻し柄に手をかけた。気付けばレイヴンは私の隣りに立っていた。

「やるのか? 死ぬだけだぞ」

「バカじゃないの。こっちの台詞よ。あんた、本気の私達とやりあってただで済むと思わないことね」

「面白い」

 龍は笑っていた。分からないはずの表情ではっきりとそれが分かった。愉しんでいた、リーアたちと戦うことを。

「口惜しいな。ここで殺すということが」

 龍が大きく吠えた。

「渦(ヴォルテックス)」

 そして、龍の声と共にその周囲に3つの竜巻が起きた。今までのものより巨大な竜巻。リーアの魔術がなければとっくに吹き飛ばされているだろう。

 まさに戦いが始まる寸前だった。

 これから、リーアたちにとっての正真正銘の死闘が始まる寸前だった。

「レイヴン」

 リーアが言う。その言葉に合わせてレイヴンは魔術を、

「ああ、そうだ」

 発動しなかった。

 代わりにトコトコ歩いてリーアの側まで行った。あまりにもこの緊迫感に不釣り合いな有様だった。

「ちょっとアンタ! こんな時に変人ぶり発揮しないでよ!」

「ああ、龍を間近で見たいのも山々だけどね。少し伝えておくことがある」

「なによ!」

 レイヴンはリーアの耳に何か言っていた。しかし、ここからでは暴風にかき消されてなにも聞こえなかった。やがて、レイヴンの言葉が終わるとリーアが目を丸くしてレイヴンを見た。

「本当なの?」

「ああ、多分な」

「でも、それ。魔術が効く前提でしょ?」

「まぁ、そういうことになる」

「はぁあ、やるだけやってみるわよ」

 リーアは溜め息と共に言った。なにが伝えられたのかは私にはさっぱりだった。ダリルもサヤも怪訝な表情だったが、深く追求はしなかった。戦いの中で分かるということなのだろうか。

「それじゃあな、お前ら。死ぬなよ」

 そう言ってレイヴンが指を鳴らすと同時だった。レイヴンの身体が、私の身体が、カラスの群れになって舞い上がった。

「させん」

「こっちのセリフ!」

 そして、舞い上がっていく視界の下でリーア、ダリル、サヤと龍の戦いが始まった。私はそれを見送ることしか出来なかった。

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