第18話

「嫌な予感しかしないわね」

 リーアが馬車の外に出る。続いてダリルも。私も幌の隙間から外をうかがった。

 そこからは森の彼方が赤く光っている様が見て取れた。

「こいつは」

「ええ、多分あいつだわ」

 「あいつ」。その言葉の意味を私も理解した。あの爆音、それは恐らく何か巨大な者が地面に激突した音だ。そして、今私達を取り巻く状況でこんな芸当を行うものはひとつだけ。すなわち、あの龍人だ。あの龍人が森の彼方に落下したのだ。

「起きなさい! 起きろ! この状況下ですやすや寝てるんじゃありませんよ!」

 馬車の中ではサヤがレイヴンを激しく揺さぶりながら怒鳴りつけていた。しかし、レイヴンは安らかな寝息を立て、まったく起きる気配はなかった。この状況下でどういう神経をしているのか理解出来なかった。

「おいおい、マジか」

 ダリルの言葉に私は再び外に目を向ける。そこでは彼方の赤い光が瞬く間に広がっていくのが見えた。

「あの野郎、森ごと焼くつもりだわ」

「俺たちがここに居るのが分かってんのか?」

「そういうことじゃないんでしょう。見つかるようなヘマはしてない。下手したらあいつ、目に付く森全部焼いて回ってるのかもしれないわ」

「大雑把な作戦だなおい」

 ダリルとリーアが言っている間にも炎は瞬く間に広がっていく。龍人のあの炎の息、それがこの広大な森を舐めていく。爆音が上がった彼方から炎は燃え広がり、景色が変わっていく。恐怖で馬がいなないていた。

「クソ! やべぇ。なんてことしやがる。マジで森が丸々焼けるぞ」

 この炎の広がりの速度ならそれも時間の問題だろう。そのうちに私達の周りの森も炎の海になる。

 森への畏敬など微塵も感じられない。あの龍人は私達が隠れている可能性がある、それだけで森ひとつを消し炭にしようとしているのだ。

「このままじゃあぶり出されるぞ。迎撃するか?」

「それじゃああっちの思うツボだわ」

 しかし、このままでは私達も木々と一緒に焼かれるだけだ。生き残るなら馬車に乗って逃げるしかない。

 しかし、それではあの龍人に見つかってしまうのも事実だ。あの龍人に追われながら逃げるのもそれはそれでまずい。

 どうやら、状況はまずいことになったようだ。

「こんなめちゃくちゃなことしてくるなんて思ってもみなかった。加減ってものを知らないわね向こうは」

「クソッタレ、このままじゃ死ぬぞ。一か八か逃げるか?」

「いいえ、逃げても一緒よ。あの怪物に見つかるのがもうアウトだわ」

「じゃあ、どうする」

 その時、私達の目の前の木々の隙間から炎が吹き出した。とうとう、火の手がここまで迫ってきた。

 タイムリミットが近い。このままではどの道死んでしまう。

 さっきまで穏やかに晩飯を食べていた空気が一変してしまった。今や生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 私は周りを囲む炎、迫る怪物の魔の手を感じ純粋な恐怖が湧き上がってきた。

 そしてそんな自分に私は驚いた。

 このままでは死ぬのか。このままでは私の生が終わるのか。そんなことどうでも良かったはずなのに、今は少しだけ嫌な気分が湧いていた。

「虎の子だったけど背に腹は代えられないわね」

 リーアは言った。目の前を舐める炎の舌。それを見てリーアは馬車に戻る。

「リーア、こいつ全然起きません。ぶん殴って良いですか?」

 未だ気持ちよさそうに寝ているレイヴンを睨みながらサヤが言った。

「いつものことね」

 リーアはつい、と指を振る。すると、

「うぎゃああ! 苦い、苦い!」

 一発でレイヴンは起きた。ぺっぺっと唾を吐き出している。「汚いんですよ!」とサヤはまた怒鳴った。

「気付けの魔術をこんなに強く使う奴があるかよ! 苦すぎて死ぬところだった」

「起きないあんたが悪いんでしょ。仕事よ。二人で隠遁の魔術を二重がけする」

「ん? おやおや、外は大騒ぎだな。あの龍人が来たのか」

「そういうことよ。だから、このままここで隠れ切る。上手くいくかは賭けだけど、他の手よりは確率高いから」

「ふぅん。まぁ、死にたくないから僕も手は貸すけど。炎はどうするんだ?」

「こいつを使うわ」

 そう言って、荷物をごそごそと漁っていたリーアが取り出したのは木製の像だった。どうも牛のようだ。幾何学模様の描いてある札と一緒に縄が巻いてある。

「火除けの呪具か。これはまた値打ちものだな」

 レイヴンはニヤニヤしながら興味深そうに牛の像を見る。

「こいつならしばらくはこの炎でも耐えられる。馬車に火除けをかけて、そこに隠遁の魔術を二重がけする。それであの怪物をやり過ごすわ」

 なるほど、火除けの呪具は私の街でも売っていた。炎から身を守るための呪いがかかっているものだ。これはどうやらそれの上位互換らしい。

 これで炎をよけつつ、隠遁の魔術で姿を隠す。それであの龍人を完全にやり過ごそうというのがリーアの作戦らしい。

「本当はあいつと正面からやりあうことになった時用だったんだけど。もう、仕方ないわ」

 つまり、本当の隠し球だったということらしい。だが、このままでは全滅だ。使う他ないだろう。

 その時、とうとう炎が馬車の周りの木々を焼いた。たまらずダリルも馬車の中に戻ってくる。

 リーアは間髪入れず呪具の縄を魔術で切り、そして幾何学模様の札を剥がした。

「よし、効果ありね」

 すると、今まさに馬車を襲おうとしてた業火、それが跳ね返されるように馬車の周りを逸れた。馬も馬車も焼かれていない。

 しかし、馬は騒いでいる。リーアは指を振り魔術で馬を大人しくさせた。

「さぁ、レイヴン。とっととやるわよ」

「面倒だが仕方ない」

 リーアが指を振り、レイヴンはパチンと指を鳴らした。

 傍目には分からないがこれで隠遁の魔術がかかったらしい。

「もっと、もっとよ。出来うる全開で魔術使って」

「疲れるなぁ」

 良く分からないがリーアとレイヴンの周りの空気が張り詰めていた。これが全力で魔術を使っている状態なのか。

「これでなんとか....」

 リーアが言いかけた時だった。

 ドスン、と音が響いた。

 幌の隙間から見える。見渡す限りの炎の海、そこに一体の怪物が降り立っていた。見上げる巨躯の青い龍。一目で死を感じるおとぎ話の化け物。

 それが、ちょうど馬車の横に降り立っていた。

「..........!」

 リーアもダリルもサヤも息を呑んでいた。私もさすがに緊張する。レイヴンは面白そうに龍を見ていた。

 一言も発せない。言葉ひとつでも隠遁の魔術の効果に影響を及ぼすことだろう。

 炎の中で火除けを使っているのだ。全力で隠遁の魔術を使っていてもその効果は万全ではないのだろう。

 龍は明らかに周りの気配をうかがうように視線を動かしている。

 見つかっているとは思えない。しかし、あの龍はその怪物的感覚でなんとなく私達の存在を感じたのかもしれない。龍は用心深く辺りを見回し、鼻を動かし、頭を下げ、私達を探していた。

 ドスドスと音を立て、私達の横を歩いていく。

 その時、龍の周りで青い火花が飛び散った。

「息(ブレス)」

 そして、一際首を高く振り上げたかと思うとそのまま業火を吹き出した。

 炎はさらに森の向こうまで焼き、火の海が広がった。

「.....っ!」

 皆息を呑む。しかし、業火はギリギリ馬車の真横を通り抜け、直撃はしなかった。

 龍は炎を吐くとしばらく動きを止めた。そして、ぐるりと頭を回してまた辺りの気配を探る。鼻を動かす。

 それからひとしきりそれを済ますと、龍は唐突に跳び上がった。そして、雷のようなすさまじい爆音が響いた。そして、暴風。リーアはさらに魔術を使い馬車はそれに耐える。

 龍はその爆音と暴風とともにさらに森の向こうへと消えていった。

 もう戻っては来なかった。後にはただただ火の海のみが残った。

「..............はぁ.....!」

 そして、私達は気付かずに止めていた息を吐き出した。安堵でどっと汗が噴き出す。まだ油断は出来ないが私達は腰を下ろした。

 なんとか、危機を乗り越えたらしかった。

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