第22話
「さて、もうじき隠れ道の終わりね」
馬車は進みとうとう隠れ道の終わりまでもうすぐのところまでやってきた。王都が近づき、辺りは木々も薄れ平野へと変わってきていた。
結局、上空を旋回する魔獣は今も居る。しかし、あれからなにが起きるということもなかった。レイヴンの言うとおりあの魔獣に私達の馬車は見えていないらしい。ただ、私達が居るであろう場所を予想を付けて飛んでいるだけなのだろう。
ここからが問題だった。リーアの予想ではあの龍が待ち構えているということはないという話だ。しかし、なにもしていないということもまた無いのだ。必ずなにかがこの先に待ち構えている。今からこの馬車はその何かが待ち構えているその場所へとまっすぐ走って行く。
「レイヴン。結界の匂いはしない?」
「するな、プンプンする。連中やっぱり全部の道の出口に感知式の結界を張ってるぞ」
「破れる?」
「僕ほどの魔術師なら容易いね」
なにか魔術がしかけられている気配があるらしいが、レイヴンなら簡単に解けるらしかった。
「さて、結界だけなら良いんだけど」
リーアはやれやれと言った調子だった。感知式の魔術ということは、触れたら使った魔術師のところになにかの知らせが行くということなのだろう。つまり、まともに触れたらあの龍が飛んでくるということなのだろう。
しかし、リーアは向こうがそんな程度のものしか仕掛けてこないとは思えないらしかった。
サヤも横に置いていたカタナを腰に差した。リーアもダリルも表情が鋭くなっている。ヘラヘラしているのはレイヴンだけだ。みな戦闘に備えている。
これから訪れるなにかに皆身構えているのだ。
しかし、そんな時、
「あ、海が見えたじゃない。王都までくるのも久々だから見るのも久々ね」
リーアが言った。それは御者台の向こうに見えた。馬車はなだらかな丘の斜面を下るように走っている。その丘の麓に王都があった。荘厳な城を中心に街があり、高い城壁に囲まれていた。白い美しい街だった。それも、私の目を奪った。しかし、それ以上に目を奪ったのはその向こうにあるどこまでも続く青い平原だった。
「あれが海なのか」
私は思わず漏らした。
「あら、あんた見るの初めてなの」
「俺は元いた街の周りから出たことがない」
「へぇ、感動のご対面ってやつね。曇り空なのが口惜しいわ」
空は確かに濁った灰色だったが、その下の海は私にとっては十分美しいものだった。話には聞いたことがあったし、写真で見たこともあった。だが、実際に見るのは初めてだった。
こんなに大きくて果てしないものがあることを初めて知った。
山だって大きいし、どこまでも続く森や平原もこの旅で見た。しかし、この広さには敵わない。
本当にずっと彼方まで続いている。陸の向こうにも、その左にも右にも海岸線づたいにずっとどこまでも。
私は頭にこびりついていた重たいなにかが、今この時だけ姿を消したのを感じた。
「随分じっくり見るじゃねぇか」
「あんまり余裕持たれても困りますけどね」
「良いじゃない。初めて見た海に感動してんのよ。感動は大事な感情だわ」
3人の言葉も聞こえているようで聞こえていなかった。私はただ黙って海を見ていた。この、大きな大きなものを私はどうしても目に焼き付けたかった。
なにがあっても忘れないように私の記憶に刻みつけたかった。
「良いもの見たでしょ」
リーアが言った。私はようやく他人の言葉を聞き取れた。
「ああ、これはすごいな」
私はもう何年出していなかったか分からない、柔らかい声で言った。
「む、まだか」
そんな私にリーアはそう言った。別に今の馬車の作戦上の発現ではなさそうだった。リーアは難しい顔で私を見ながら言ったからだ。
なんのことか。なにがまだなのか。
「なんか変か俺」
「別に。こっちの話だから」
ますます良く分からないことを言うリーア。そのまま私から目を離し、再び馬車の進行方向を向いた。
私もいつまでも海を眺めている場合ではない。これから始まるのは極限の緊張状態だ。
「さて、なにがあるかな」
「レイヴン、結界を中和する準備しとけ」
「準備もなにも、僕ほどになれば手を振るだけで事足りるよ」
馬車は進む。隠れ道の出口へと。
1人を除いて皆何が起きても良いように身構えている。この旅の終わりに向けて。
ここまで私のようなどうでも良い、うだつの上がらない一般人を運んでくれたリーアたち。各々の理由で運んでくれたリーアたち。
そんな風な人々の顔を見て、自分も無事にたどり着きたいとなんとなく思った。
「おい、なんだこりゃ」
その時ダリルが言った。
なにが起きたのか。私は前方を凝視する。しかし、この道の前方ではなにも起きていなかった。
しかし、
「空が」
サヤが言った。私も道の先ではなく空に目を向ける。そこでは異様なことが起きていた。今までの空はありふれた曇り空だった。それが、その雲が渦を巻いていた。尋常ではない速さだった。まるで、栓を抜いた瓶の中のようだ。すさまじい速度で雲が、空が回っていた。
そして、雲はどんどん黒くなっていた。今まで見た重い空、それを遙かに上回る黒さだった。
そして光と共に爆音が轟く。雷だ。雲の中で激しい稲光が起きている。
それと同時に、辺りに滝のようなどしゃぶりの雨が降り出した。さらに風だ。さっきまでの穏やかな気候が嘘のような暴風が吹き荒れ始めたのだ。
嵐だった。それも私も味わったことのないような嵐が起き始めていた。
周囲の気候は一変した。
「これは」
「ええ、まず間違いなくあいつのせいだわ」
リーアは苦々しげに言う。リーアが言うあいつ。こんなことを引き起こせる生物。そんなものは今1人しか思い浮かばなかった。
「おいおい、冗談だろ」
ダリルが再び言う。その目線の先、そこはさっきまで私が凝視していたこの道の先だった。
そこには巨大な柱が現れていた。柱としか言えない。しかし、それは柱ではなかった。それは私も初めて見るが、間違いなく竜巻だった。
しかもよく見ればその柱のような竜巻が生まれていたのは私たちの馬車の前だけではなかった。
ここは丘の斜面だ。王都まで続く平原が良く見える。その平原に、何十という竜巻が発生していたのだ。
「うははは、こいつはデタラメだな! さすがは一国を滅ぼす完全生物の亜人だ! こんな芸当も出来るのか!」
レイヴンは笑っていた。だが、どう考えても笑い事ではない。こんな天変地異はただ事ではない。そして、それはどう考えても私たちの道行きを阻むために起きている。
隣りを見ればリーアが表情を歪めていた。
「ここまでしてくるとはね。本当に伝説の怪物じゃないの」
まさにその通りだった。
横ではレイヴンが面白そうに笑っている。だが、笑っているのはレイヴンだけだ。他
のものはただ、目の前の常識外れな光景を眺めることしか出来ない。ただ、歯がみしながら睨むことしかできない。
状況は最悪だった。
さっきまで海を眺めて感動していた心は私の中から消えてしまっていた。最早それどころではなかった。
2日におよぶ長旅、その終着点で待ち構えていたのは私達の想像を超える異常事態だった。人の世で起こりえないような天変地異だった。こんなもの人間がどうにか出来るとは思えなかった。
降りしきるどしゃぶりと吹き荒れる風が馬車を叩き、今までの旅のなにもかもをかき消すように音が轟いていた。
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