第30話

 顎が動いた。手足は動かない。首も動かない。リーアを押さえつけたまま動きはしない。どうにかリーアから離れたかったがそれは無理だった。

 私はリーアをただ上から見下ろすことしか出来なかった。

「話す事だけは許可してやった。好きなことを話せよ。ジグ・フォール」

 ヌエが面白そうに言った。腹立たしい話だ。私はなにも面白くない。こんなに悲しくて苦しい状況があるものか。自分を守ってくれた恩人を今にも殺しそうな体勢のままどうすることも出来ない。

 リーアは悲しそうに私を見ていた。だが、リーアのことだ。私の境遇を悲しんでいるのではないだろう。私をこうしてしまった自分の力不足を嘆いているのだと思う。

 だから、私はリーアに言うしかなかった。

「本当にごめん。俺のせいでこんなことになっちまった」

 謝るしかなかった。自分が判断を誤ったせいでこうなった。逃げるべきときに逃げなかったからこうなった。リーアたちが追い詰められてしまった。

 リーアは私の言葉に眼を丸くした。

「何言ってんのよ。謝るのはこっちよ。私達の力不足のせいであんたがこうなってしまった。本当にどんな言葉を尽くしても、なにをしてもあんたに許して貰えるはずないわ」

「そんなことない。お前らは本当に良くやってくれたよ。お前達は本当に俺を守ってくれたよ。お前達との旅、楽しかったよ。あの工場できっと俺はそのまま死ぬはずだったんだ。あそこで使い潰されるはずだったんだ。でも、それが終わってお前達が外の世界に連れ出してくれた。日常から外に出してくれた。お前達と馬車に揺られるのは楽しかった。飯が美味いって感じたのは久々だった。一緒に苦難を乗り越えるのも良かった。初めて見た海は本当に綺麗だった。お前達と旅をして俺は何かが元に戻ったんだ」

 私は素直に思っていたことを口にした。それが本心だったのだ。

「俺さ、本当は普通じゃないんだ。あんまり人に話せないような生き方してきてさ。ずっと、普通に憧れてた。ずっと普通の生き方がしたかったんだ。でも、なんとか就職した普通の仕事先は、頑張ってたどり着いた普通の生活は灰色だった。俺のカナン約束の地は灰色だったんだよ。そこで俺の人生は終着地点だった。あそこが俺の人生の行き止まりだった。でも、そこからお前達が連れ出してくれた。だけど、結局このざまさ。俺っていう人間はどこまでもこうらしい。結局こうなっちまうんだ。どうしようもないな」

 私の目からは気付いたらポロポロと涙が流れていた。なにもかも失った気がしていたが、少なくともこの状況を悲しいと思える感情はまだあったらしい。こんなのが耐えられないと思う感情はまだあったらしい。

 良かった。身体はもうすっかり人間ではなくなったが、どうやら心はまだ人間だったようだ。

 涙がパタパタとリーアに落ちていった。リーアは私を見ていた。その瞳にどんな感情が宿っているのか私には読み取れなかった。

 しかし、私はこんなのは嫌だった。本当に嫌だった。

 たとえ、私がここでどうなるとしてもリーアもダリルもサヤもレイヴンも、何がなんでも助けたかった。

 私は、私は渾身の意識を全身に向けた。渾身の力を全身に込めた。

 動け、動け、動けと。

「うああああ!!! 動け!!!!!」

 そして叫ぶ。身体に私は叫んだ。言うことを聞け、動けと。リーアから離れろと。

 すると、

「おいおい、あんたの拘束は絶対じゃないのかい?」

「どうなっている。いや、ミルドレイクの術が仕込まれていたのか?」

 私の身体はゆっくりとリーアから離れた。右足、左足、そして後ろ足、順番に私はリーアから引き剥がす。リーアはそれを驚愕の目で見ている。驚いてくれてありがとう。私もこれでも意地がある。その意地がなんとか働いてくれたらしい。

 そして、私はそのままサヤとダリルを押さえているズライグに襲いかかった。全身をバネにして、砲弾のようにズライグに飛びつく。そのまましがみつく。サヤとダリルを解放する。

「ちょっとまずいんじゃないのこれ。姉さんの予定にはないでしょ」

「予定にはないが、面白い趣向だ。ふむ」

「悪趣味なこった」

 ズライグと組み合いになっている私を見てヌエとギースが話していたが気にしない。ズライグの牙が、爪が、尾が私を引き裂き、全身の骨を粉砕するがそれはすぐに再生する。これで私の最後だ。これで私の全てを使い切る。今ばかりはこの身体にしたヌエに感謝しなくてはならないだろう。ズライグを止めきってリーアたちを逃がす。

「無駄だ」

 しかし、ズライグは私を爪で貫き地面に叩きつけ、そのまま足で胴を踏み抜き釘付けにした。

「息(ブレス)」

 そして、私に灼熱の炎を吹き付けた。直撃だ。私の全身は骨まで焼かれ、身体の大部分が炭化した。そこから私はゆっくりと再生する。しかし、もう動けない。まず筋肉がなくなっているのだから身体が動くはずがなかった。

 ここまでなのか。

 私はやっと再生した目でリーアたちを見る。ダリルとサヤが武器を構え、その後にリーアが立っていた。レイヴンはなにもせず地面に座り込んでいた。

「ふむ、ズライグ。ジグ・フォールを盾にしろ。少し心の折りようが足りなかったようだ。まさに目の前で仲間が惨殺される様を見れば考えを改めるだろう。そのまま、」

 ヌエが言いかけた時だった。なにかが変わった。空気だろうか、それとも魔力の流れだろうか。いや、違う。私にはなぜか分かった。私でもなにか感じられた。

 これは、世界が歪もうとしている。

 そして、その中心に居るのは。

「ダリル、使うわ」

「良いのか」

「ええ、どうしてもあいつを助けたくなったから」

 リーアだった。リーアからなにかが始まろうとしていた。その髪が、元々青みがかっていたその髪が今真っ青に輝いていた。『瑠璃色』に輝いていた。

「姉さん、なにが始まるんだこれは」

「ズライグ、『瑠璃のリーア』を殺せ。今すぐだ」

 ヌエの言葉を受け、ズライグが私を離しリーアにぶっ飛んでいく。しかし、それをサヤが迎え撃つ。

 サヤの腰が低く沈む。その目が冴え渡ってズライグの奥の奥まで見透かす。

 鞘の中ではそのカタナが渾身の力を溜めて引き絞られているのが分かる。

 サヤのなにもかもが研ぎ澄まされ、ただ一刀を放つだけのナニカになっているのが分かる。

「山割」

 サヤがぼそりと漏らす。

 同時だった。爆音を轟かせてリーアに迫っていたズライグ。それがまた爆音を立てながら逆方向にすっ飛んでいったのだ。なにが起きたか一瞬分からない。しかし、それは恐らく、サヤ持つ最大の奥義で斬られたのだと気付いた。

 ズライグは遙か彼方、王都の城壁の手前まで吹っ飛ばされていた。

 サヤは舌打ちをした。本当に忌々しそうに。

「これでも斬れない。本当にムカつく」

「リーア、とっとと済ませろ。あいつなら数秒で戻ってくるぞ」

 ダリルの言葉にリーアは頷いた。

「分かってる」

 そして、リーアの雰囲気が変わった。そこへギースが銃弾をぶっ放したが、ダリルが地面を砕いて隆起させ、その銃弾を防いだ。

「聞け。我、常世の善を観る者、常世の悪を観る者、その狭間、その外、全てを観通す者」

 遠くで爆雷の音が轟いた。それはまさしく、ズライグがこちらに向かっている音だった。

「世は平等にあって平等にあらず、世は普遍にして普遍にあらず。平穏、調和、流転、変動、その全てを内包しながらそうでないもの」

 爆音がどんどん迫ってくる。そして、それは一瞬で私を通り越し、リーアの目前へと迫る。その胴には大きなカタナ傷が付いていた。ズライグはリーアの鼻先まで爪を伸ばす。しかし、

「今良いところだからな。遠くへ行くんだぞ」

 そのズライグの身体にレイヴンが手を当てた。瞬間、ズライグはカラスの群れに弾け、また王都の周りの平原へと飛ばされる。

「我は常世の遍くを識るもの、常世の遍くを話す者、万象一切その悉くを欺く者」

 ヌエが懐から何かを出す。それはレイヴンとの戦いで出していた鎖だった。ヌエはそれを掴んでかざす。

「あれはまずいぞ」

「分かってら!」

 それを見るとすぐさまダリルとレイヴンがヌエに向かっていった。レイヴンが魔術でヌエの呪術に対抗し、ダリルが斧で鎖を絶とうとする。

 そして、またカラスが飛んでいった先で爆音が響く。

「我、ディートハルト・ウィトゲンシュタインが弟子、リーア・ダールトンの名に置いて告げる」

 爆音がやってくる。ズライグがやってくる。恐ろしい怪物がリーアの元までやってくる

「世界よ、歪め」

 そして、ズライグが爆風を伴ってリーアの目の前まで戻ってき。その爪が届く寸前、リーアの身体が歪んだ。

 そして、巨大ななにかがリーアの身体から、その周囲から吹き出し、ズライグの身体を押しやった。

 ズライグはそのまま受け身を取って地面に降り立つ。その瞳が捉えたものは、その波動の中心に居たものは、青い髪の女ただ一人だった。

 リーアの全身が淡く青く光っている。その周囲の景色が歪んでいる。

 なにかが決定的に変わっている。

 しかし、リーアが見ていたのはズライグではなかった。その視線の先にあったのはみっともなく地面に倒れ伏し、全身が焼けただれながらじゅくじゅくと再生している不気味な魔獣だった。

「その女がさっき私は何か利益があるからあんたを助けようとしてるって言ってたけど間違いじゃないわね」

 リーアはにかっと、歯を見せて笑った。

「あんた聞いたわよね。なんで命懸けで自分なんかを助けようとするのかって。理由はなんだって。私のは単純。あんた、とんでもなく暗い顔してたから。こいつが笑ったとこ見れたら面白そうだなって思っただけよ」

 私はその言葉を聞いて、なんてやつだと思った。たったそれだけの理由で私を助けのかと、信じられなかった。しかし、多分こいつはそういうやつなんだろうと思った。とんでもなく清々しいやつだった。私は、俺は、こいつに出会えて、こいつらに出会えて良かったと思う。

「さぁ、そいつを返してもらうわよ」

 そして、リーアは大きな青い龍を睨み付けた。

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