第32話

 ズライグとリーアたちの戦いはおよそ俺の知る戦いではなかった。今まで見てきた人間の喧嘩とはもちろん違うし、これまでのリーアたちの戦いも及んではいなかった。まるで、嵐と嵐のぶつかり合いだ。両者の動きは人間の目には留まらない。私は魔獣の身体のおかげで目が良くなっているからかかろうじて捉えられる程度だ。

 そして、その戦いは互角に見えたが、徐々にリーアたちの側に戦況が傾きつつあった。

 そう見えた。

 徐々にダリルとサヤの動きがズライグとかみ合っていく。徐々にズライグが深手を負っていく。

 胴は深い傷だらけで、羽は破れ、爪も牙も折れている。

「.......っ........っ!!!!!」

 しかし、ズライグは笑っていた。出ていない声で明らかに大笑いをしていた。ズライグは楽しそうだった。心から喜んでいた。戦闘を愉しんでいた。生きるか死ぬかの瀬戸際を愉しんでいた。

「どりゃ!」

 高速でぶっ飛ぼうとするズライグにリーアの爆発魔術が飛ぶ。景色が歪む。世界が吹き飛ばされる。それがゴムのようにズライグを引っ張りズライグの移動はなかったことになる。

「おらぁ!!!!」

 ダリルの斧がズライグの右足を捉える。腿に大きな傷を負い、ズライグの巨体がガクンと崩れた。

 しかし、ズライグはすぐさま両手で地を跳ね体勢を整え、その尾を振り回した。

 しかし、サヤはその動きに合わせて掻い潜り、胸に鋭い人たちを見舞った。

 ズライグはまた体勢を崩し、今度こそ地面に倒れた。

 リーアが口を開く。

「もう勝負は見えたわ。ここでそいつを置いて去るなら見逃してあげる。さっさと行きなさい」

 それはズライグ、ヌエ、ギースに向けられた言葉だった。

「ふざけるな.....ふざけるな.....。そんな妄言を受け容れると思っているのか?」

 答えたのはヌエだ。その表情は屈辱に歪んでいた。

「冷酷に合理的な判断をする人間だと思ってたけど、追い詰められると感情的になるみたいね。でも、状況は分かってるでしょう。あなたたちの負けよ」

「は.....はははは.....」

 ヌエは乾いた笑いを漏らす。自分たちの敗北を認められないのか。

 しかし、状況は明らかだ。もはや、リーアたちはカンパニーの切り札たるズライグを完全に攻略してしまった。ズライグは動きを見切られ、ダリルとサヤに圧倒されている。ズライグが負けるということは、もはやヌエたちにリーアたちを殺す手段が無くなるということだ。ギースの銃弾ではこの4人を殺すことは出来ないだろう。ヌエの魔術でもだ。

「バカな....馬鹿げている。ジグ・フォールを助けるためにここまでするか? 重傷を負った身体を魔術で無理に動かして、命懸けで龍人と戦い、禁術まで使う。どうしてそこまでする。なぜそこまでする。この一般人にそんな価値があるというのか!」

 ヌエは言った。それはリーアたちに対する糾弾だ。

「ええ、するわ。ここに来る前に満場一致だった。私達は彼を助けるためにここまで来た。だから、最後まで彼を助けるってね。まぁ、本当にヤバくなったら逃げろって教会のやつには言われてたんだけど、さっきの聞いちゃったら無理だったわ」

「なんだと......」

 リーアのその言葉に嘘偽りは無かった。作戦から感情まで全て本当だった。それがヌエには理解出来ないようだった。

「有り得ない。そんなことがあるはずがない。他者を思う? 他者のために行動する? 偽りだ。真っ赤な嘘だ。人間にそんな価値があるはずがない。人間に本物の感情などあるはずがない。この世界には希望も救いもありはしない。どう足掻いても現実には勝てない。必ず失望が待っている。この世界は灰色だ」

 ヌエは呪いのようにリーアに吐き捨てた。しかし、リーアは答えた。

「いいえ、この世界は明るく楽しく素晴らしいところよ。世界の色は晴れ空みたいな青色だわ」

 リーアはそう言い切った。

 どうして言い切れるのかさっぱり分からなかった。どうして、そんな楽観的になれるのかさっぱり分からなかった。正直ヌエの言葉を受け容れられなくなった自分でもリーアは脳天気過ぎると思う。この女にはこの世界がどう見えているのか。どうやって生きてきたらこんな考えになるのか。頭の中はお花畑なのか。

 だが、多分リーアという人間はそうなのだろう。だから、俺を助けようなどと思ったのだろう。だから、笑ってるところが見たいとかいう理由で俺のために命を懸けたのだろう。

 リーアの頭の中はさっぱり分からなかったが、俺はこの人間が嫌いではなかった。

「ふざけるな.....ふざけている......。そんな、バカなことがあるか。お前はバカすぎる。世界を知らなさすぎる。なにも味合わなさすぎている。お前には、お前にだけは負けてたまるか!!!!!」

 ヌエはそう叫んで懐から何かを取り出す。それはガラス玉だった。

「おやおや『次元球』じゃないか。こりゃまた珍品だな。あいつこの辺りを自分ごとこの世の外にほっぽり出す気だぞ」

 それを見てレイヴンが目を輝かせながら言った。

「なんですって!?」

 リーアが叫び、ダリルとサヤが動くがもう遅かった。ヌエは高々とそのガラス玉を握った手を空にかかげた。

「遅い、もう遅い! 最後の最後に詰めを誤ったな! お前達を殺す手段を持っているのはズライグだけじゃない。どの道お前達に負けた私達に待っているのは組織からの制裁、死だけだ。なら、道連れにするとは考えなかったのか?」

 ヌエは笑っている。形勢を逆転出来たとほくそ笑んでいる。恐らく、誰かが動いただけでヌエはガラス玉を割るだろう。

「どうだ、これがこの世界だよ。必ず現実が立ちはだかる。必ず望みは打ち砕かれる。思い知れ、リーア・ダールトン」

 ヌエは壮絶な表情でリーアを睨んでいた。睨まれていない俺でもすくむほどだった。ヌエはリーアを憎んでいる。決して自分とは相容れない、自分とは違う誰かを憎んでいる。

「レイヴン、あんたの術であのガラス玉の効果範囲から出られる?」

「どうかな。出られるかもしれないし出られないかもしれない。賭けだな。そんなことより、禁術を使ってるお前なら『次元球』を術ごと消し飛ばせるだろ。まぁ、あの女も死ぬだろうが」

「そうね.....」

 ヌエに聞こえない声量でリーアとレイヴンが会話をしていた。

「なにを内緒話している。なにを相談したところで無駄だぞ」

 ヌエはまだ勝利を確信している。今の話の通りならあのガラス玉の中の魔術が発動してもその魔術ごとリーアは消し飛ばせる。ヌエを巻き添えにして。それは少なくとももう、リーアたちの勝利が確定しているということだった。

 だが、ヌエは笑っている。自分の優位を疑ってはいない。それは、ひどく滑稽だった。

「どうした、なにか言ってみろリーア・ダールトン。お前の......」

 その時だった。今まで地面に倒れ伏していたズライグ。やつが瞬時に跳び上がり、一瞬でヌエの横へと舞い降りた。

「ちっ!! まだ動けたのか」

 ダリルが舌を巻く。しかし、どの道ズライグはもう満身創痍だ。ヌエの横に行ったところでなにが変わるわけでもない。

 そんなズライグに気を良くしたのはヌエだった。

「そうか、ズライグ。最後は私と共に居てくれるか。良い心がけだ。お前が、お前だけが私の本当の駒だ」

 ヌエはそう言ってニンマリと笑いズライグを見あげる。ズライグはそれを黙って見下ろしていた。いつものように寡黙に。

 しかし、

「がっ.............」

 ズライグはそのまま、ヌエの腹に拳を入れた。激痛でヌエはガクリと体から力を失い、ズライグの大きな右手の上に倒れ込んだ。そのままヌエは動かなくなった。意識を失ったのだ。ズライグはその手に握られているガラス玉を取り出し自分の手に握った。

 そして、ズライグは俺たち一同を一瞥した。

 リーアたちは黙って睨み返す。

「立ち去るんなら追わないわ」

 リーアが言う。

 それを聞くと、ズライグはボロボロの翼を大きく広げた。そして、ヌエを抱えたままゆっくりと飛び上がり、そのまま頼りない飛び方で丘の向こうへ行った。行ってしまった。

 ズライグはヌエを連れて去っていった。

 それがどういう意味だったのか俺にははっきりとは分からなかった。だが、ズライグがヌエを助けたのだけは間違いなかった。ズライグがヌエを死なせたくなかったのは間違いなかった。それは、その行動は。

 そうして、俺がなにかを思い至る前にズライグの背中は丘の向こうに消えていった。

 あとには俺とリーアとダリルとサヤとレイヴンだけが残された。

「勝った」

 やがて、リーアが言う。

 その言葉でようやく一同は全てが終わったのだと理解した。全員深い息を吐き出して、戦闘状態から解放された。

 終わった。私達を追っているやつらを退けた。紆余曲折あったが、長い道のりがようやく、終わったのだ。

 ダリルは肩を回して全身をほぐしていた。サヤは体の傷そっちのけでカタナの刃こぼれを見ていた。レイヴンはなにもしていなかったのでただ座ってのんびりしていた。

 そして、リーアはゆっくりと俺の側にやってきて、まだ魔獣の俺に手を差し伸べて言った。

「さぁ、帰りましょう。ジグ」

 と。 

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